原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「硬膜下血腫」で入院していた義母が施設に戻った…

2024年07月20日 | 自己実現
 梅雨明け後、気温35℃以上の酷暑が続く東京だが。


 そんな厳しい気象状況の中「硬膜下血腫」で入院していた義母が、元の住処である「高齢者介護施設」へ本日午前中に戻った。

 それに付き添ったのは亭主だ。
 亭主曰く。 「高齢者等々を専門に扱っている“介護タクシー”を利用すれば、無事に施設まで難なく義母を届けてくれるらしいので安心だ。」
 そうであって欲しいと思いつつ、今朝亭主を見送った私だ。

 亭主の話によれば、この“介護タクシー”とやらは今回の義母の事例のような重度認知症者等の病院から介護施設等々の輸送に、現在大活躍とのことだ。

 それが功を奏して、義母は無事に元の住処である「高齢者介護施設」へ帰ることが叶った。

 
 さて、義母が暮らしていた元の高齢者施設へ帰ってみると。
 亭主曰く、すっかりと義母の部屋内風景が変わっていたらしい。

 それもそのはず、義母はこの10日間の入院中に「要介護度」が急上昇してしまったのだ…

 今までのように施設内を一人で歩行するなど、もってのほか!!
 今後は、常に2名の介護者の付き添いの下に施設内を行動せねばならない程の、急激な要介護度の上昇だった様子だ… 😭 
 それに合わせて、義母の部屋内配置換えを施して下さっていたようだ。


 いやもちろん、施設介護施設のケアマネージャー氏も、今後も引き続き義母の復活を支援して下さる姿勢で動いてくれるらしいが…

 
 それにしても、元々認知症状がある高齢者が93歳近くになって。
 施設内でもどこでも場所を選ばず転ぶことが常習となって…
 ついに「硬膜下血腫」での入院を余儀なくされ、その病院でも扱うのが難義なため施設へ戻された事実を鑑みると。

 如何に病院や施設の係員の方々が、義母のために努力を重ねてくれたとて。
 当然ながら限界があり。

 義母との人物とは、そんな周囲の人物の「限界状態」を自ら創り上げつつも、その事実すら認知不能で…


 それでも尚 この世に未だ生存させられるとの、ある意味で「究極辛い」運命を背負ってまでも。
  
 今生き続けているのだろう…


朝から とことん「ウィッグ騒動」に翻弄され続ける日だ…

2024年07月19日 | その他オピニオン
 (冒頭写真を見て これが何かがお分かりになる方は、おそらく相当の“ウィッグ愛用者”でおられることだろう。)


 その回答を書くと。
 ネット通販にてウィッグ販売を展開している某ウィッグ会社から届けられるウィッグの箱、である。


 何故、原左都子の家にそのウィッグの箱があるのかを説明しよう。

 我がエッセイ集の古くからの読者の皆様は既にご存じであろうが。
 この私は、ちょうど40歳の時に「頭部皮膚癌」を患っている。 その理由に関しては、私自身の診断では医学業務の試験・研究に於いて無菌操作時に使用した「紫外線」を頭部に通常考えられない程の量を浴びざるを得なかったため、と診断している。
 その「頭部皮膚癌」に関しては、今となっては完全完治しており特段の問題は無いのだが。 
 その“置き土産”である手術跡を一生抱えるはめとなっている。 (自分自身では、今となっては何てことないのだが。 初めて見る人はかなりビックリするようだ!!)😲 

 その“置き土産”をもう既に40年近くに渡ってカバーしてくれるのが、このウィッグだ!!

 40歳当初は、未だウィッグと言うもの自体が市民権を得ておらず。 随分と高額をはたいてオーダーウィッグを幾つも作らざるを得なかった… (そのおおよその金額を言うならば。 正直言って、数百万円に上るだろう… それ程までに当時のオーダーウィッグは高額だった。)😱 

 その後、特にお年寄りやお洒落さんたちの間で男女を問わずウィッグが流行し始めて。
 今では 各種ウィッグが格安でオーダー出来たり。 市販品のバリエーションも増えていて、安価でいくらでもより取り見取りだ!!

 この私も、10年程前から高額オーダーウィッグを卒業し、すっかりと市販品に鞍替えしている。

 その“鞍替え”時に一番最初に選んだのが、冒頭写真の中国製の市販ウィッグである。
 その値段とは、まさに過去に作っていたオーダーウィッグの30分の1程度の費用で済ませられる。😛 

 現在はウィッグが十分に市民権を得ていて、それを被っていようが、誰からもとがめられたり軽蔑したりされることも無い良き時代である。


 
 冒頭の表題に戻ろう。

 本日は、朝からその「ウィッグ騒動」に巻き込まれてしまっている。😱 
 何がどうしたかと言えば。
 私が久々にネット発注したウィッグが、昨日届けられたのだが。
 これがどういう訳か、髪の毛の長さが短い!  きちんと自身の髪の長さ等々とマッチするウィッグを選択したにもかかわらず、予想よりはるかに短いヘアスタイルのウィッグが届けられた!
 これでは使い物にならないため、本日朝から早速メールにて返品か交換を申し出た。
 そうしたところ、返された回答は「貴方の注文通りの長さのウィッグを届けたはずだ。 その長さの基準(相手はcmメートル単位の細かい数値を上げていた)を貴方が取り違えているのではないか。 その場合、返品不能扱いとなる。」
 そこで、早速私はその長さを計測してみた。 確かに、相手の言う通りの長さのウィッグが届けられている…
 私側としては納得不能な思いもあるものの、こんなことで争っていてもしょうがないと思い起し、相手側の主張を飲むこととした。

 ところがだ。
 1時間ほど経過した後に、ウィッグ会社より新たなメールが届けられた。
 その内容を読むと、今度は私の主張を認めるとの事だ。???😶 
 それは良いのだが。  その場合は商品の返金はあるものの、ウィッグ返品の宅配費用を私が負担して欲しい、との内容だった。

 まあ、ウィッグ返品の配達料などいくらでも無いと考え、その案に従う事とした。

 ただし、実際その処理が面倒臭くはあるなあ。😩 

 それでも、偶然だが我が家の近くに宅配業者があるし。
 ここは明日、快くそのウィッグの配達料を自腹で支払って返品することとしよう!
 

郷里の叔母 “さっちゃん” より ハウスミカンとスダチが到着しました!!

2024年07月18日 | 人間関係
 (冒頭写真は、郷里のさっちゃんより昨日東京の我が家に送り届けられたハウスミカンとスダチ。)



 本エッセイ集ファンの皆様は、原左都子の叔母である“さっちゃん”をご存じの事であろう。

 実母の妹にあたる人物で 実母はもちろんのこと、この私も郷里帰省時にいつも大変お世話になっている人物だ。

 昨年11月の郷里医学部同窓会出席時にも、当然の事ながらさっちゃんのお宅に母共々長時間立ち寄らせて頂いて、至れり尽くせりの厚遇を受けたものだ。

 
 このさっちゃん、現在79歳なのだが。
 若かりし頃より頭が切れるし 運動神経もいいし、人格的にも明るくて優れているしで、わが親戚筋の中でも飛び抜けて優秀な人材だ。
 私など 小学生時代からこのさっちゃんを慕い続けて、母方親戚筋の何らかの行事がある時にはいつも懐かせて頂いてきている。

 私が上京後は、さすがにしばらく縁が遠のいたものの。 
 特に父亡き後しばらくして母が高齢者施設入居後は、母自身がさっちゃんに大いに依存している関係で。 娘の私も郷里帰省時には必ずさっちゃん宅に出向いて交流を深めているとの有様だ。


 さて、このさっちゃんが80歳を迎えようとしている現在。 さっちゃんの夫氏の提案で 家の「固定電話」を廃止して「スマホ」生活に突入した様子だ。

 昨日 ハウスミカン等のお礼のために、さっちゃんが宅配便の送り状に書いてくれていた電話番号に電話をしていみると。
  これがまさにさっちゃんの「スマホ番号」だったようで、ご亭主と2人で、ひと悶着している様子だ。
 (ははあ、さっちゃんは未だスマホデビュー後日数が経過していない故に、スマホ電話に出るのにご亭主にその出方を相談しているな?!?)😁 
 との我が推測通りで、やっとさっちゃんがスマホの電話口に出てくれた。

 その後は、スムーズにさっちゃんといつもの会話になったのだが。
 さっちゃんがおっしゃるには、「人間80歳を迎える段階になると、いろいろと整理するべきことが多くなる。 この電話もそうなのだが、我が家も家電話を廃止してスマホ生活に突入した訳だけど まだまだ慣れなくて…」

 何をおっしゃる、さっちゃん、だ!
 我が母系の親戚筋の中で今尚 一番の頭の良さを誇っているのは、このさっちゃんに間違いない!!
 だからこそ出来の悪い我が親ども(父は当の昔に亡くなり、今は母親のみだが)よりも、私は自分の考えで今現在は郷里に発生する各種問題事象に関しては、いつもさっちゃんに依存させて頂いている。
 スマホデビューしたてのさっちゃんであるが。 来る80歳との年齢にもかかわらず、すぐにその扱い方をマスターすることであろう。
 とにかく 私が郷里の親戚筋で頼れるのはさっちゃん一人ですので、今後ともよろしくお願いします!!



 そんなさっちゃんに先にお中元品を送るべきは、この私であるにもかかわらず。(急いでお返しの品を手配しました。)😜 

 今夏もまた、さっちゃんより先に冷蔵ハウスミカンとスダチを頂戴した。😝 

 これ、冷蔵室に保存すれば美味しさ倍増だし、ある程度の期間保存も可能です。
 さっちゃん、毎年郷里からの絶品の贈り物を誠にありがとうございます!

 今後共 母存命の間はお世話になり続ける予定ですが、よろしくお願い致します!!

 (30年程前に私側から絶縁した米国在住の実姉に関して、実母曰く「今尚何らの役にも立たない…」身にして。 郷里の叔母さっちゃんの存在は輝かしいばかりです… )



再掲載「『教え子』なる言葉、もう死語にしませんか?」

2024年07月17日 | 教育・学校
 本日は、またもや「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載ものでお茶を濁させていただくこととしよう。



 早速、2012.09.05付公開の「『教え子』なる言葉、もう死語にしませんか?」を、以下に再掲載しよう。

 原左都子が嫌悪感を抱く表現の一つに 「教え子」 なる言葉がある。
 過ぎ去りし時代にほんの一時学校という一集団の場でかかわった教員側から、いつまでも我々一般人の事を「教え子」呼ばわりされたって、今となってはどっちが偉いのか何なのか判断が難しい現実なのにねえ……
 との感覚に、庶民の皆さん襲われた経験はないだろうか?
 いえいえ学校の諸先生方は確かに我々より“年齢のみ”は上であられる故に、人生の先輩でいらっしゃる事は私も認める。 (いやいや、社会人入学生が少なくない定時制高校や大学・大学院などにおいては逆転現象もままある時代だ。)
 だがそもそも人間関係とは、過去に於いて先生の立場であったから“偉い”だの、自分がこの生徒を“教えた”どうのこうので序列が決定するはずもない。
 お互いに対等な大人となった段階では、もうそんなものどうでも良さそうなものなのに…… 
 何故、教員経験者とは生徒卒業後に及んで尚「教え子」なる表現を持ち出してまでも、過去に一時たまたま指導した生徒達に対し自己の“教育者”としての立場こそがランクが上と位置付けたがるのであろうか??

 いや、それが許される場合もある。
 もう既に老齢年代にあられる諸先生方に関しては、この私も久々にお会いすると「先生、お体の具合はいかがですか?」なるお声を一言かけて労わって差し上げたい思いになるものだ。 

 だが何と言っても“学校嫌い”の私は、それに付随して「同窓会」なるものを基本的には敬遠している。
 私の場合そもそも「同窓会」にさほど出席していない事もあるが、過去に於ける同窓会会場で出席者に向かって「教え子」なる“上から目線言葉”を吐いた教員も一人として存在しないのはラッキーと言える。(同窓会にお見えになる先生のレベルの程を私が熟考した上で出席返答をしているからであろうが。)
 今後もしも年老いられて尚「教え子」なる言葉を一切吐かず、我々と対等に会話して下さる先生が存命されていらっしゃるのならば、そんな同窓会には出席してみたい気もする私だ。 

 私自身に話を戻すと、過去において短期間ではあるが“高校教員”経験がある。
 教員退職後しばらくの期間、電話や便りをもらった生徒は何人か存在する。既に教職を離れている私は、それら元生徒に対しあくまでも“個人的人間関係”の位置付けで対応して来た。 
 一方、元教員の立場で「同窓会」になど一度も出席したことはないし、正直言って出席したいとの発想もない。 (何と言ってもそもそも「集団嫌い」な私であり、種々雑多な人が多く集まる場は出来る限り避けて通りたい故だ。)
 そんな私が、彼ら(彼女ら)に対し「教え子」なる“上から目線”の表現など使う訳もない。 彼らと何らかの共通項があれば自ずとその分野において今後も一対一の人間同士の対等な付き合いが続くだろうとの感覚はあったが、私の方から“どうか皆さんいつまでも私の「教え子」でいて下さい”などとのみっともない嘆願目的で旧生徒を集結させる「同窓会」開催を煽った事など一度としてあるはずもない。

 今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、8月終わり頃の朝日新聞「声」欄の投書による。
 50歳現役小学校校長による 「成長した教え子の姿に喜び」 と題する投書を以下に要約して紹介しよう。
 毎年お盆の時期になると中学で教えた子たちから同窓会の案内が届く。 今年も2つの会に出席した。 一つは33歳、もう一つはそれより10歳若い子たちの会合である。 仕事や家庭の様子をしっかり話す様子を見て彼らの人生の一部にかかわることができうれしい気持ちでいっぱいになる。 いずれの会でも何人かから「最近先生に叱られた意味が分かった」と言う生徒もいるが、それが教師冥利に尽きる。教師がぶれずに毅然と対応すれば、子ども達の成長の糧になる。 当たり前の事を認識させてくれた会だった。
 (以上、朝日新聞「声」欄投書より引用)

 原左都子の私論に入ろう。
 う~~ん、辛いなあ……
 この種の“単純馬鹿”校長を自治体教育委員会が公立学校の現場長として君臨させているからこそ、この世に「いじめ」及びそれに伴う「自殺」問題が後を絶たないと私は結論付けたい思いだ。
 現在50歳という若き年齢の公立小学校校長さん。 貴方が今やるべき事を原左都子が伝授申し上げるならば、同窓会に“出席しなかった卒業生”にこそ思いを馳せることだ。 同窓会に出席できない(あるいは出席したくない)それら元生徒が於かれている現状やその心理に少しでも配慮心が及んだならば、貴方も今後イッパシの校長として君臨できるのかもしれない。
 えっ? 現役小学校校長たる者が「教え子」である卒業生が主宰する同窓会に出席して楽しかったのだって? 
 そんなの当たり前だよ。 そもそも同窓会とは学校生活が楽しかった(私に言わせてもらうと)“単細胞連中”が出席する場だもの。(言い過ぎの場合お詫び申し上げます)  そんな単純「教え子」連中に自分の存在意義を一時認めてもらったから嬉しいですって?? それにしても今現在、学校長の立場で自分の未熟さ加減を新聞に投稿している場合ではない事に、何故この小学校校長は気付かないのだろう???

 大津市内公立中学に過去に於いて発生した「いじめ・自殺」問題は、現在訴訟事件と発展し警察による事情聴取を在校生徒が受けている現実だ。
 たかが学校に於ける「いじめ」事件とて、学校現場や教育委員会及び管轄自治体にこれ程までに対応力がない現実において、訴訟事件として警察からの強制捜査及び事情聴取を学校や生徒が受ける時代と相成った事に関して原左都子は賛同の立場である。
 朝日新聞「声」欄投稿者である山口県下関市の50歳の小学校校長さん、貴方がこの夏元生徒が出席する同窓会に出席して、よき「教え子」にまみえたと単純に喜んでいることを決して全面否定する訳ではない。
 ただ原左都子としては、生徒達が抱えているその裏側事情を同時に思慮深く洞察する力があってこそ、今後の校長職を全うできるのではないかとの老婆心を抱くのだ。
 今回の貴方の朝日新聞「声」欄への投書とは、わずか50歳の若輩校長にして「教え子」なる現在の自らを正当化するべく言葉を持ち出した事で、墓穴を掘ったと捉えさせていただいた次第だ。

 (以上、「原左都子エッセイ集」よりバックナンバーを再掲載したもの。)



 上記バックナンバー内でも記載している通り。

 私自身は、特に大学・大学院進学(2大学を経験しているが、その2大学共々)後は、自分でも不思議な程に恩師に恵まれてきている。

 大学(及び大学院)で知り合う恩師とは、まさに自身の今後の就職等々の将来性に直接結び付くべく存在であられる。

 それを外すとなると。
 (繰り返すが私自身は恵まれていたが)、何のために大学・大学院へ進学したかのすべてをぶち壊される結論となるであろうと推測する。

 だからこそ、特に大学・大学院にての恩師の選択は、学生自身の力量に委ねられていると結論づけられると断言しよう。


 上記本文中でも記したが。
 小中校時代の「恩師」など、特段誰でもよかったとも言って過言でないと言えよう。 (いえいえ、高卒にて その恩師のお陰で良き就職先に恵まれた等々の過去歴をお持ちの方もおられるだろうが…)


 とにかく、恩師の人格や力量よりも。

 貴方の人生を決定するのは、「あなた自身の実力」である事は明瞭な事実であろう!!


「硬膜下血腫」にて入院中の義母が急遽退院の運びとなったのだが…

2024年07月16日 | 医学・医療・介護
 本日午前中に、義母が「硬膜下血腫」にて入院中の病院から私のスマホ宛に電話が入った。


 これ、 何故私のスマホに着信があったのかを先に説明しておこう。

 既に10年程前の話になるが、当時は義母の面倒を全面的に長男の妻である私が担当していた関係で。  当時 義母が施設内にて転んで腕を骨折した際に この私が当該病院へ通いで1か月半の期間 定期的に引率していたことがあるため、私の携帯電話番号が病院内に登録されていたのであろう。

 現在入院中の義母の世話は 当然の事ながら長男である我が亭主が担当しているため、亭主に電話を替わった。

 そうしたところ病院長がおっしゃるには、「お義母さんが、あまりにも身体に装着している電源やチューブを勝手に引き剥がそうとします。 硬膜下出血に関しては、現在のところはさほどの悪化がみられないこともありまして。 それならばいっそ退院させてあげて、施設にて暮らされた方が良いと考えます。  明日以降、病院の方からも施設へ連絡を入れて急いで退院の準備に入りますのでよろしくご承知お願い致します。」


 この話を亭主から聞いて、私は思った。

 いやはや、重い認知症を抱える義母の“悪戯”の程はきっと我が想像以上なのだなあ。 病院も手に負えないか…  ただ、あの状態の義母を施設に帰しても、返された側の施設も大いに混乱をきたすことだろう。

 既に10日間程病院に入院した計算になるが、その間義母は「寝たきり」だ。
 これまで施設にお世話になっていた際の義母は、歩行能力がかなり欠落しているものの、シルバーカーに掴まる形で施設内を自己歩行にて過ごしていた。
 その頃から、しょっちゅう転んでいた義母だが。
 それにしても、脳内出血で既に10日間ベッドに「寝たきり」状態だ。  そんな義母を、施設ではどうやって面倒をみてくれるのだろう???  
 当初の予定では義母の容態が改善した際には、病院にてリハビリを受けるはずだった。
 それもせずして、10日間寝たきりだった義母を施設では如何に扱うのだろう???
 とりあえずは、義母もしばらくはベッドで寝て暮らすのだろうが。 とにかく、昔から“多動性”癖がある義母だ。 少し元気になれば、すぐさまベッドから起きて歩き始めるのだろう。

 その歩行能力が 認知症の影響が大きいが故に、元々不安定極まりない。

 未だに「車椅子」練習は皆無の義母だ。(その操作能力も完全に欠落していると私は捉えている。)
 病院内で10日間もずっと寝て暮らした身にして、すぐさまシルバーカーを押しての歩行は 如何に考慮しても困難だし危険だろう。

 かと言って、義母が暮らす施設は基本的に「自立生活」可能な高齢者を受け入れる役割を果たす施設だ。 もちろん受け入れた高齢者のその後の老化に伴っての対応力はある様子だが。
 ただいつ訪れても、施設内スタッフは多忙を極めておられる。
 すっかり寝たきりになった入居高齢者に関する介護手段を私は把握していないが。(施設の別階で暮らしている様子で、今までただの一度もお目にかかったことが無い。)

 義母の場合はそれには該当せず、とりあえずは自力歩行かあるいは、車椅子歩行が要請されるのであろう。


 
 いやはや、こういう事態になると やはり思うには。

 義母は身体に装備されたチューブや電源を執拗に剥がしてばかりいずに、おとなしく入院していて欲しかったものだ。 (とは言えども、重い認知症状を抱えていると必然的にそうなるのだろうし… )
 そうすれば、順序から言えば病院側にて「硬膜下血腫」のある程度の回復後に、きちんとリハビリを実施した後に 施設へ帰ることが叶っただろうに…

 そう考えてみても、もう遅い…
 病院長から「匙を投げられた」義母の施設への“強制送還”後の、義母の今後がどう考察しても暗く重い…