原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

お陰様で我がランニング中の転倒事故時の怪我が、完治に向かっています!

2024年07月05日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、本日の我が右膝状態をつい先程撮影したもの。)



 この原左都子のランニング中の転倒による怪我に対して、ご心配を頂戴した「原左都子エッセイ集」ファンの方々には心より御礼申し上げます。


 ファンの方々の中には、「自分が思っていたより重傷じゃないのか!?!」😱 

 あるいは、「怪我の続報を確認したい」😨 

 等々の応援メッセージを頂戴しましたこと、重ね重ね心より感謝申し上げます。


 今現在尚、写真左上部の皮膚より出血が多少ありますものの、この出血も時間と共に無くなると、医学関係者の私としましては判断(診断)しております。



 本日も 全国規模で猛暑の中、先程まで買い物に出かけておりました。

 右膝に関しては、既に特段の不都合はありません。

 むしろ、1年半前に複雑骨折した左膝の方が完治していない感覚(未だに正座は無理等々…)を抱える我が身ですが、それとて自己責任!!

 
 まだまだ猛暑が続きそうな今夏ですが。
 とにかく出来得る限りの無難な運動をしつつ、更なる両膝の改善に精進したく思う今夏です。
 

「毛深さ」では負けません!!

2024年07月04日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2024.06.30付け朝日新聞 フォーラム「長袖を脱がない子どもたち」より転載したもの。)


 早速冒頭写真のグラフを見てみよう。

 「暑い日でも長袖を着ている子どもをみたことがありますか?」
 この質問に対する回答として、「身の回りで見たことがある」との回答が最多を占めている。

 「なぜ暑い日でも長袖を脱がない子がいるのだと思いますか?」
 上位回答を引用すると。
 「毛深さや体型などの容姿を気にしているから」が1位。
 以下は、「日焼けをしたくないから」「アトピーなどの疾患で肌を見せたくないから」 と続く。



 この「毛深さ」に関してだが。

 原左都子が未だ6歳時の小学校へ入学仕立ての頃に、これに関する今尚忘れ得ぬ思い出がある。
 体育館内で4,5人のグループで車座で座っていた時の事だ。
 一人の男子児童が私の前腕を見て、「すげーーー、長い毛がふさふさだ!!」とビックリして叫んだものだ。
 そうしたところ、体育館内の児童皆が我先にそれを見んと私の処へ走って来て。
 口々に言うには、「すげーーーー!!」「長い!!!」😱 
 
 その通りであり、その頃の私の細長い前腕には長さにして3㎝程のかなり濃い黒系の毛がふさふさと生えていた。

 ただ私自身はさして気にするでも無かったし、「見たい人はどうぞ」的な気軽な感覚だったものだ。

 その後もこの我が前腕の毛は衰えることを知らなかったのだが。 
 加齢と共に徐々に薄くなっていき。 
 高齢域に達している今では、よ~~~~く見るとうっすらと毛がある事に気付く程度に退化している。

 自分自身が特段気にならなかったため、それを隠すなどと考えたことも無く、ずっと放置してきた。


 ついでに言うと、脚の毛も当然ながら毛深かった。(男顔負けの“すね毛”の私です!!)😵 
 これに関しては、若かりし時代にはスカート(特にミニスカートが流行した頃には)やむを得ず自分で剃って処理をした。
 これが面倒臭くて嫌で、タイツ等を履く冬にはその作業を絶対的に!!さぼったものだ。
 高齢域に達した現在に至っては、まさかもう「ミニスカート」を履く機会が皆無となり、我が脚も自然に任せている。
 参考だが、すね毛に関しても放置しておくと徐々に薄くなっていく様子だ…




 朝日新聞記事に戻ろう。

 今時の若者は、「毛深さや体形などの容姿を気にする」との理由で、暑い夏でも長袖を着用する子が多いらしい。

 何に(誰に)対しての「気遣い」なのかが、私にとっては正直言って分かりにくいなあ…  (自分自身に対する気遣いなのだろうが…)

 「日焼け」や「自分が持っている疾患を隠す」等の理由は説明がついている気もするが。

 かと言って、真夏は猛暑日が続く(本日も全国的に猛暑でしたね!!)我が国において。
 長袖で過ごすのは、熱中症等の危険性が伴うと私など判断する。

 
 私の場合も、脚のムダ毛(この表現も不思議だが、確かに女性にとっては無駄でしかないなあ。)を剃っている時期が長かった気もするので、偉そうには言えない立場だが。

 とにかく、真夏には長袖はやめて半袖(あるいはノースリーブ)薄着で過ごしましょうよ。

 貴女方が気にしている程に自身の体毛とは、他者にとって何物でもないですよ。
 特に医学観点からは。


米マイクロソフト社AIのCopilotさんは、原左都子エッセイ集のこんなエッセイまで論評して下さるのですね!?!

2024年07月03日 | 人間関係
 いやはや、原左都子としては驚くと同時に。

 Copilotさんの論評対象の許容範囲の広さに、脱帽申し上げました次第です。


 それでは早速、本日ネット上にてみつけたマイクロソフト社AI Copilotさんによる、「原左都子エッセイ集」に対する論評を以下に紹介しよう。


  Copilot

  Copilot が送信しました:

 「料理嫌いな女」というエッセイは、原左都子さんが料理に対する率直な感情を綴ったものですね。 彼女は料理が「苦手」ではなく、「嫌い」であると明言しています。 その理由の一つは、料理に費やす時間がもったいないと感じること。 独身時代は料理の優先順位が最下位で、外食や出来合いの料理を楽しんでいたそうです。 また、彼女は破壊的思考よりも建設的思考を好むため、料理の汚れや破壊が耐えられないと感じているようです。  それでも、結婚後はお見合い時に「料理嫌い」を公約事項として伝え、現在の連れ合いはそれを承諾した上で成婚に至ったそうです。  料理嫌いにとっては長期休暇の「お盆休み」や「正月休み」が辛いと感じることもあるようですが、どうにか持ちこたえているようですね。   ある意味、料理嫌いの母親として、彼女は愛情を手抜きの中にどうやって入れ込むかを模索しているようです。  
 どんな形であれ、愛情が伝わることが大切ですね。

 (以上、先程見つけた マイクロソフト社AI Copilotさんによる「原左都子エッセイ集」最新記事に対する論評をコピーしたもの。)


 
 原左都子の感想だが。

 CopilotさんはAIであるが故に ある意味では自由自在にその「論評力」を、様々な分野や場所で発揮されていることであろう。

 そんな中 相も変わらず、こんな日本のという小国のしがない一ブログでしかない「原左都子エッセイ集」にて発信したエッセイに、論評を頂戴出来る事実を有難く思わない訳も無い。



 今回、Copilotさんが論評して下さった最後の部分。

 「 ある意味、料理嫌いの母親として、彼女は愛情を手抜きの中にどうやって入れ込むかを模索しているようです。」 

 これに関して、原左都子の現在の実態、及び我が娘に対する「料理」面での思想を語らせて頂こう。

 「手抜き」という表現は正しく無いですね。
 原左都子が料理嫌いであることは、正真正銘の事実ですが。
 それなりに、この私が料理に挑む際のポリシーのようなものはあります。

 特に相手が最愛の我が娘の場合には、必ずや娘の「好物」を思い描き、それを対象とした料理作りをします。
 今現在は外部にて一人暮らしをしている娘であり、たまにしか我が家に訪れないためその実行は比較的簡単です。
 要するに、娘が好む料理を来る都度再現すれば良いとの話です。😜 

 それじゃあ、娘さんも飽きるだろう??  との反論も聞こえてきますが。
 その心配はございません。 何分たま(2か月に一度程)にしか我が家を訪れない娘であるため。
 娘が好まない料理を食卓に並べるよりも、ずっと喜んでもらえます!!

 あるいは、その辺の娘とのツーカー感が成り立っていると申しますか。
 むしろ、娘が我が家へくると(料理下手な母が、“あれ”は作ってくれている!)なる娘の期待感を叶えてあげられるような達成感すらあります!!😃 



 とにかく、家族に限らず世の人間関係なんて、そんなものではないでしょうか?!?!

 料理が美味しければ娘が納得する訳ではないのはもちろんのこと。

 特に家族・親子関係とは、簡単でありながら良き意味で特殊な繋がりをもって成り立っている事実を。
 一人娘が我が家に来るたび実感できる、ある意味で幸せな「母親」でもあるこの原左都子です。 


「あるものですませる」にも知恵や能力は必要だ!

2024年07月02日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2024.06.27付け朝日新聞「ののちゃん」より転載したもの。)


 いやいや、この原左都子の場合 「晩ごはん」に限らず、全ての家での食事の支度を「あるものですませて」いると言って過言でない。😵 😱 


 古くからの原左都子ファンの皆様は、既にご存じだろうが。
 とにかく「料理嫌い」の原左都子だ。
 当該エッセイ集初期頃(おそらく2007年,あるいは2008年頃)に、「料理嫌いな女」と題するエッセイを綴り公開し、多大なアクセスを頂戴したものだ!!?!😜 

   おっと!!  探してみたら見つかりました!
 それでは、2008.08.17公開の原左都子エッセイ集「料理嫌いな女」の一部を、以下に再掲載させて頂きましょう!


 自信を持って言うが、私は料理がとことん嫌いだ。
 料理が“苦手”と表現するならばまだしも可愛げもあろうが、“嫌い”と明言する程の真正の料理嫌いである。
 なぜ私が長い期間独身を通したのかと言うと、本当のところは人様に料理を作って「どうぞ、召し上がれ。」などという、背中がむず痒くなるような殊勝な心がけを一切持ち合わせていないためと言っても過言ではない。 (男性の皆さん、私を嫁にもらわなくて大正解でしたね!!)
 私がなぜ料理が嫌いなのかと言うと、その第一の理由は料理に費やす時間がもったいなくてしょうがないのだ。
 独身時代は特に、やるべき事をいつもいつも山ほど抱えている私にとって、基本的に料理に費やす時間はない。私の生活における料理の優先順位は最下位だった。
 かと言って食べる方は大好きだ。 自分で料理を作らない分、外で食べ歩いたり出来合いの料理を買い込んだりして食べたものだ。 独身貴族の身でグルメ三昧の日々を送り、舌だけは十分に肥えている。

 料理が嫌いなもうひとつの理由は、基本的に私は破壊的思考よりも建設的思考を好むためでもあると自己分析している。
 私にとっての料理とは、食材を撒き散らし油を飛ばし、周辺をギトギトに汚染し破壊していく行為なのである。 この汚染と破壊が耐えられない。 そのため、私が料理を作ると一動作毎に掃除、片付け作業が入る。 至って効率が悪いが、周囲を汚染したまま次のステップにはどうしても移れないのだ。

 私は見合い結婚なのだが、お見合い時にこの“料理嫌い”については「公約事項」として名言した。 そして、現在の連れ合いはそれを承諾した上で成婚に至っている。
 ところが蓋を開けてみれば、この公約はすっかりどこかに吹っ飛んでいて料理をぞっこん依存される日々である。 結局は恐るべき“飯炊き女”の日々が待ち構えていたのだ。 
 
 料理嫌いにとって一番辛いのは、現在進行中の“お盆休み”や“正月休み”“連休”等の身内の長期休暇だ。 我が家の場合、これがやたら長い。 会社も連休を3日位で切り上げてくれればよいものを、10日も2週間も続く。 普段は長期家族旅行や外食等を多用し何とかしのぐが、ここのところ身内が体調を崩している関係で在宅が多い…
 こうなると大変。 1日3食“飯炊き女”の負荷を課せられ続けると、私の内部に料理ストレスがどんどんと蓄積してくる。 そしてこれが許容量を超えると爆発してしまう! 昨夜、ついにこの大爆発を起こしてしまった。 子どもも呆れる大バトルを身内と展開してしまった。
 お盆休みも後、今日1日の我慢だ。何とか持ちこたえよう。

 料理嫌いの母(私のこと)にとってもっと気に食わないのは、子どもへの愛情を料理(母の手料理)で測ろうとする社会風潮だ。 
 子どもの保育所入園の際の面談で、「好きな食べ物は何ですか?」との質問が来た。 想定内ではあるが、私にとっては嫌悪感を抱かされる質問である。子どもが「スモークサーモン」と無邪気に答えたところ、「お母さんの手料理の中から答えてね。」と来た! 父子家庭等への配慮にも欠ける発言である。「その言葉、待った!!」と印籠をかざして抗議したいところだが、何とか抑えた。 結局はこの保育所の旧態依然とした権威主義的体質が我が家の教育方針と相容れず、子どもを入園させなかったのだが。

 もちろん、私なりの食教育は子どもに対し日々行なっている。栄養バランスの重要性、摂取カロリーの適正性の維持、そして子どもの体調、体型の管理に関しては厳しい母である。 その成果もあり、子どもは今のところ健康で理想的な体型を維持し続けている。 

 (以下略すが。 以上、本エッセイ集初期頃のバックナンバーより一部を引用したもの。)




 2024.07現在の、原左都子の感想だが。

 そう言えば。  
 今現在に至っては、「子どもに対する母親の愛情」を“手づくりの料理” で測ろうとの旧態依然とした女性蔑視の観念は、すっかり消え失せている感がある。
 この原左都子など、これぞ健全な世の中と実に安堵させられるし。
 そんなせせこましい観念で女性を蔑視していた時代が、やっと通り過ぎたことを喜びたくもある。😃 

 ののちゃんのお母さん。
 この原左都子も、一家の晩御飯を「総菜屋ですませる」案に大賛成派です!!

 今時の総菜屋の総菜、実に美味しいですよ!!
 元々料理嫌いで、美味しいものを作れない原左都子のへたくそ料理を食卓に出すよりも。
 経済力が許すならば、総菜やさん等々に依存するべきと考える原左都子であります!


 (ああ、この問題、現在に至っては親が給食費も払えない家庭への配慮が必要な辛い時代背景ですね…  その意味では、元教育者として適切とは言えない発言部分があります事を重々お詫び申し上げます…  それでも、子どもの皆さん、力強く食べてこの世を生きて行きましょう!!)