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「激流・中国」続編 その2  文科系

2006年09月05日 18時12分12秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
1 退耕還林政策の展望の概要
現在この計画は順調に進んでいるように見える。国としての耕地は減ってきているし、市県段階でも今の耕地の半分以上を林、草地に戻すという長期計画を持った所も多いようだ。最近まで山間部であった所などは当然、そんな計画を持っても不思議はないだろう。それならば、この長期的大計画は進むのだろうか。見通しは良くないと思う。論文の著者も断定はしていないが、そういう結論に限りなく近い。04年には既に、前年度までに比べて、国が大幅に退耕地予算枠を減らしているという事実もあげられている。
この論文であげられた問題点はこのようなものだ。①国家としての、将来的な食糧不安の問題。②退耕農民への補助金を巡る問題。③退耕農民の職業保障の問題。④中国に多い法律違反や、羊頭狗肉・本末転倒と言いうるような、いうならばインチキ行為の問題、などなどである。

2 政策遂行への諸障害の実際
①将来的な食糧不安の問題は極めて深刻と思われる。
今でさえ農産物は輸入超過であり、国民1人当たり耕地も世界平均の2分の1で、食糧・人口問題がこの上なく深刻なアフリカのルワンダ並みなのだ。肥料をいっぱい使って耕地単位当たり収穫もほぼ限界まで来ている。多少の成果が上がっていると言えるのは、大規模化のメリット追求ぐらいであろうか。一人っ子政策の継続問題と絡んで、人口抑制ができるか否かという難問も、これにプラスして加わってくる。
近い将来もし穀物問題が深刻になるならば当然、食肉生産も危機に陥るはずだ。既に現在、牧草地も危機に貧しているのだから。

②補助金の問題では、中央の金が地方政府にほぼそのまま下りていることが数字を上げて示されている。つまり、行政レベルの数字では計画遂行は順風満帆に見える。が、地方政府から退耕農民に補助金が未払いになっている例が多い。これは、中国でよく起こる大問題である。中国で非常に多い役人のピンハネが絡んでいるのは間違いないところであろう。

③職業保障の問題もはっきり言って上手く行っていない。現在でも都市浮遊農民が3500万人などと言われている。
雲南省の例を見てみよう。次の三つが、今後の重点産業になっている。「グリーンエコノミー立省」は、豊富な動植物を活用した医薬、健康食品、花木などに目を付けたものだし、「民族文化大省」は、多くある少数民族文化を活用した、文化、観光である。「国際交流拠点」とは、チベット、四川、ラオス、ミャンマーなどを結ぶ狙いだ。
僕はこれらの成果を確かに雲南旅行で体験した。「民族文化大省」に関しては、拠点である麗江、大理を訪れたのだが、現在特にそう感じている。少数民族総動員の大レビューは連日満員御礼であったようだし、おまけに中央政府要人の仰々しい「視察」にまでも出くわしたものだ。あちこちの「民族村」などは、常に繁盛していた。
しかしながら、日本が同じ政策を遂行した60、70年代と比べて、世界の経済情勢は現在、格段に厳しいはずだ。「農村の整理、農地の統廃合。都市に余剰労働力の受け皿を作る」。これが、そんなに上手く行くとは思えない。
                               (続く)
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特攻隊について  落石

2006年09月05日 10時42分30秒 | Weblog
特攻と決まったら、士気はどうなる?
そんな疑問に答える記事を見つけました。



特攻はなぜ行われたのか?

1944年の後半には、軍の上層部にも勝利の見込みのないことは
はっきりと認識されていた。これ以降も戦闘が行われたのは何故か?
どこかの戦線で局地的な勝利をおさめ、降伏の条件をよくする。
この一点で戦闘は継続されたという。
しかし米軍に太刀打ちできる戦闘能力は残っていなかった。
そこで特攻戦法が採用された。1944年10月に海軍航空隊で
はじめて特攻戦法が採用された。
表向きは現地の発案、パイロットたちの志願によったものとされたが、
実際は、海軍の中央で決めたものであった。

特攻戦法は仕官たちにどう受け止められていたのだろうか?
あるパイロットは戦後に次のように回想している。
「この戦法が全軍に伝わると、わが軍の士気は目に見えて衰えてきた。
神ならぬ身である。生きる道があってこそ兵の士気は上がる。
表向きは元気を装っているが、かげでは泣いている」

航空隊の幹部や兵学校の仕官、古参パイロットは特攻に出ることは少なかった。
学徒動員の予備士官や、予科練出の少年航空兵が多く選ばれた。
ある航空隊では、こうした状況に疑問を持った海軍少佐が
司令の大佐にこう主張した。
「もし行くんであったら、まず私が、隊長、分隊長、兵学校出の仕官をつれて
必ず、敵空母にぶち当たってみせます。最後に司令も来てくれますね。
予備仕官や若いのを絶対に出しちゃいけません」と。
この後、この隊では特攻出撃は行われなくなったという。

「民主と愛国」より。

この本を読んで考えこんでしまいました。
特攻で散っていった一人一人の気持ちは純粋であったでしょう。
しかしその純粋さに涙している私で良いのだろうか?

   山鳩よみればまはりに雪がふる  高屋窓秋




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