靖国の記事に、昭和14年の歌を紹介して下さった方がありました。
そこでその当時の空気を感じて頂こうと思い、
その年の名古屋新聞のコラムを紹介したいと思います。
「病床十年」と題した記者Mさんのコラムです。
病床生活十年・・・この夏は到底凌がれまいという甥を久々に
慰問した。とがった頬、くぼんだ瞳、枯竹のような腕と足。
あはれ痩々たる体である。『よく痩せたなァ』と言えば『人間は
こんなに痩せても生きられるものだとは思はなかったよ』と
寂しい笑みをもらす。
何時頃だったか訪ねた時、丁度、健康強調週間中で、彼、
感懐を述べて曰く『結核は亡国病だ、これを駆逐せよなどと
言われると、全国幾十万の肺病患者は寝床をひっくり返される
ような衝動を受けることだろう。この非常時に安閑と何時
快癒するか分からぬ病気に臥床を余儀なくされている我々には
余りに過酷な鞭だ』と。
彼の言い分にひがみとのみ片付けられぬものを私は感じたことであった。
思えば長い十年の闘病生活である。勿論その間には一進一退あり、
時には家畜類を飼育して、農村の有畜化に先鞭すると力んだこともあった。
村はずれの小川に家鴨を追っていた彼、七面鳥の卵がどうとかと
滔々と理論を述べた彼、そしてまた宗教に縋って念仏を唱えたり、
『悪しきを払え』と踊ったり、アーメンを歌い神の門を叩いた彼、
そしてよく『死を希いつつ生きねばならぬ矛盾』を訴えた彼だったが、
最近は悟性したものか、『死にたいと希うは畢竟わがままな自己が
欲するままに生きられぬゆえの欲望に他ならぬ。なるもならぬも
偉大なる力のまにまにだ』といったことがあったが、長い間の病臥に
幾多の苦闘、懊悩の果、この境地に至ったものであろう。
酷熱の日、痩せ衰えて体を、掃除も行き届かぬ四畳半の部屋に横たえ
自己の運命と現在あるべき姿を透徹した心境で諦観しつつ静かに
瞑目の時を待っている彼の姿は、『魂が肉体を克服した姿』として
崇高と尊厳さを私に感得させ、またそれは灼熱の大陸に正義の剣を
握る戦線の勇士の、一死報国の念があらゆる苦難を克服しつつある
姿にも一脈相通ずるものあるを思わしめたことであった。