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「我々はなぜ金太郎飴だったのか」その2  文科系

2006年09月22日 09時40分25秒 | 国内政治・経済・社会問題
戦後絶対主義天皇制から解き放たれた日本は、その民主主義的開放感に充ち満ちて、焼け野原から国土建設に邁進しました。官民、労使、老若などなど全てが少し後の「所得倍増計画」などに示されるように、「貧困からの脱出」を目指していました。
そんな中で、総評を中心とする労働組合が中心部隊となって、社会党、共産党などと共に、民主日本を建設するものと期待されていました。70年代には革新自治体が全国に林立し、民主主義的政府樹立間近かというまでに、この雰囲気が高揚していきました。各種の住民団体なども70年代には全盛期を迎えていましたが、当時の生活向上、政治革新の希望はやはり「労働者階級」とその背後にある社会主義思想だったと思います。
しかしながら、80年代に先進国に現れたユーロコミュニズムは注目に値します。ソ連型ではない民主主義的な共産党、その政治が目指され始めました。その批判に呼応するように、90年前後に社会主義世界体制が消滅し、あわせて「社会主義冬の時代」を迎えました。これは本質的に、旧社会主義の民主主義欠如に起因するものだったと言って良いと思います。なお、この反省、総括は現在まで、全く不十分にしかなされていないと考えます。
ユーロコミュニズムの出現にも示されているように、1のような窮乏革命論的活動は大戦後までの形式的民主主義さえ全く不十分な政治に対して有効だったのであって、70~80年代からの先進国にはそれに替わるものが求められていたと言うべきではないでしょうか。労働組合の変革イニシアティーフは先進国どこでも弱体化していましたし、替わって環境保護、フェミニズム、福祉・医療、国際協力などなどの新しい分野に活気が見られました。こういう中で力を維持し、あるいは新たに生まれた運動は2のような特徴を持ったものではなかったでしょうか。先進国では労働組合でさえ賃上げ要求はそんなに大きくならず、労働者としての専門性も高めあい、文化要求も重んじた所が、力を維持してきたと言えるのではないでしょうか。「教師論」、「文レク活動」、「自治研活動」、「要求別子組」などなどです。確かにこれらはどこでも、言葉では強調されていました。しかしながら、生きていくのにも忙し過ぎる現代生活においてますます自由な時間が限られる中で、「窮乏革命論」的な政治主義がこれらの活動の充実を妨げていたという面は拭えなかったと思うのです。また私たちは、政治(主義)と文学の摩擦、政治(主義)と政治学者や哲学者との摩擦などなども数々目にすることがありました。文学や学問への政治的干渉の問題です。これらをめぐっても、根本的・理論的な発想の転換が、80年代のどこかで必要だったのではないでしょうか。
これに関連して、誰が世の中を変えるのかという問題もあります。窮乏革命論の主体は労働者です。ニートは昔流に言えば「ルンペンプロレタリアート」ですね。しかし現在、彼らこそ世の中を変えると言いうるのでしょうか。僕はそうは思いません。困窮が変革を起こすものならば、失業やニートが激増し、年収200万円社会というように格差が深刻になり、また高齢者に厳しすぎるようになった日本で、変革の陣営が力を減じているということが説明できません。
「鉄の団結」で「闘い」、一朝政権を獲得するというような遅れた国の「戦時共産主義」的時代は、先進国にはもう来ないと考えた方がよいのだと思います。イタリアのアントニオ・グラムシの言葉ですが、「長期に渡る陣地戦」の構えで、気長に、社会的・文化的・道徳的な領域で実践的にイニシアティーフを獲得していく、そんなイメージが今後の「闘い」なのだろうと考えています。
(続く)
                                
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閑話休題 音楽のエピソード 2 へそ曲がり

2006年09月22日 07時56分32秒 | Weblog
 入稿を増やしてしまったので、少々疲れました。一服します。音楽のお話でも・・・・。

 プッチーニは有名なオペラ作曲家である。「蝶々夫人」・「ボエーム」・「トゥーランドット」などなど・・・。
 彼の最高傑作は「トスカ」である。この上演をめぐってのエピソード。

 アメリカのとある劇場でこの公演が決まった。ところが主役の女性歌手が大変なわがままであった。何事にもケチをつける。
 中でも、いちばん酷い目にあったのが舞台担当の裏方たちである。彼らは「復讐」を誓った。

 ところで、この物語は、騙されて殺された恋人の姿を見た「トスカ」が悲しみのあまり城壁から身を投げるところで幕が降りるという展開である。
 実際に高いところから飛び降りるのであるから、怪我のないように、下には分厚いマットが敷かれている。
 
 さて、幕が上がった。舞台はスムーズに進行し、いよいよ幕切れとなった。
「トスカ」が飛び降りて幕が降りるはずであった。ところが観客は異様な光景を目にした。飛び降りたはずの「トスカ」が城壁の向こう側にまた出て来るのである。2度も3度も、しかもあられもない格好で・・・。
 いったい何があったのか?
 裏方たちが下に敷いたのはマットではなかった。「トランポリン」だったのである。
 かくして、「悲劇」は一瞬のうちに「喜劇」となってしまった。

「トゥーランドット」といえば、あの中の名曲がトリノ・オリンピックでも使われた。「荒川静香」さんのフィギュアである。
 ところが、この曲は開会式のフィナーレでも使われた。歌ったのは20世紀最高のテノールのひとり「ルチアーノ・パヴァロッティ」である。
 オーケストラの伴奏が始まったとたん、思わず拍手をしてしまった。イタリア人のユーモア感覚にである。
 ところで、あのオリンピックの中継は必ずしもゴールデン・アワーの時間とは限らない。国によっては中継時間が真夜中であったり夜明け前であったりする。
 だからこそ彼は歌ったのである。“誰も寝てはならぬ”、と。
 あの曲を選んだのはいったい誰だったろう?
コメント (2)
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