7.アメリカ保守主義の流れ
アメリカの歴史は、つねに2つの思想的潮流の対立を内包しながら展開されてきた。それは「リベラリズム」と「保守的思想」との対立である。しかし、「アメリカの知的伝統の中で保守主義はまったく相手にもされなかった」(ミルトン・フリードマンの自伝)と言われるとおり、「リベラリズム」の陰にかくれて、その理論的体系も持たない保守主義は底流としてアメリカの思想界に存在するに過ぎなかった。
一般的には、上記のように指摘されるが、これはあくまでも言論界・思想論議の上でのことで、国民意識のなかには、伝統的家族の尊重に見られるような保守的意識は根強く存在していたことは言うまでもない。
「ヨーロッパ的な階級社会ではなく社会的流動性があり、個々人が自由に人生を選択し、豊富な機会が存在し‥‥本来は保守主義が存在する機会のないリベラルな社会」である、とデビッド・ウッドアードは述べている。そんなアメリカにとって、「保守すべきもの」「守るべきもの」とは何なのか。アメリカ保守主義はこの問題から出発せねばならなかった。
大恐慌のなかでのニューディール政策は連邦政府への権力集中をうながし、第二次大戦は戦争遂行のため連邦政府の権力巨大化をもたらし、戦後は福祉国家を旗印にさらに肥大化を続けた。それを進めたのは東部リベラル知識人を主流とするリベラリストであった。
「大学はリベラル派の学者に占められ、ジャーナリズムもリベラル思想の影響を強く受けていた」と、保守主義者は言う。
保守主義者は、巨大な連邦政府の出現に危機感を抱き、アメリカが建国の理念から逸脱し始めたと認識した。そのアメリカの現状は、神の存在を否定し、国家が個人を支配し、もはや絶対的な善悪の判断基準のない「道徳的相対主義」の国家に堕したと考えた。国家の個人領域への介入は、やがて個人の自由と選択を規制する「全体主義的傾向」へ発展するのでないかという警戒感を保守主義者は抱いたのだ。
保守主義者は共通の言葉と理論を持たず、思想運動としても政治運動としても統一的活動をすることができなかった。が、この危機感を受けて、1950年代からアメリカで本格的な保守主義の理論構築の試みが始められた。「アメリカ保守主義の祖」とされるリチャード・ウイーバーを経て、1953年にラッセル・カークの著書「保守主義の心」で初めて、アメリカにおける保守主義思想が体系化された。続いて、保守主義を主張する論文・著作が相次いで出版されるようになった。カークは保守主義思想を体系化するとともに「保守主義の六つの規範」を提唱した。この思索的、哲学的内容は私の理解能力を超えているので、ここで述べることは避けたい。
しかし、こうして社会的影響力を獲得してきた保守主義者の社会問題・政治問題に対する提言はきわめて単純で理解しやすい。次の投稿で触れる。
アメリカの歴史は、つねに2つの思想的潮流の対立を内包しながら展開されてきた。それは「リベラリズム」と「保守的思想」との対立である。しかし、「アメリカの知的伝統の中で保守主義はまったく相手にもされなかった」(ミルトン・フリードマンの自伝)と言われるとおり、「リベラリズム」の陰にかくれて、その理論的体系も持たない保守主義は底流としてアメリカの思想界に存在するに過ぎなかった。
一般的には、上記のように指摘されるが、これはあくまでも言論界・思想論議の上でのことで、国民意識のなかには、伝統的家族の尊重に見られるような保守的意識は根強く存在していたことは言うまでもない。
「ヨーロッパ的な階級社会ではなく社会的流動性があり、個々人が自由に人生を選択し、豊富な機会が存在し‥‥本来は保守主義が存在する機会のないリベラルな社会」である、とデビッド・ウッドアードは述べている。そんなアメリカにとって、「保守すべきもの」「守るべきもの」とは何なのか。アメリカ保守主義はこの問題から出発せねばならなかった。
大恐慌のなかでのニューディール政策は連邦政府への権力集中をうながし、第二次大戦は戦争遂行のため連邦政府の権力巨大化をもたらし、戦後は福祉国家を旗印にさらに肥大化を続けた。それを進めたのは東部リベラル知識人を主流とするリベラリストであった。
「大学はリベラル派の学者に占められ、ジャーナリズムもリベラル思想の影響を強く受けていた」と、保守主義者は言う。
保守主義者は、巨大な連邦政府の出現に危機感を抱き、アメリカが建国の理念から逸脱し始めたと認識した。そのアメリカの現状は、神の存在を否定し、国家が個人を支配し、もはや絶対的な善悪の判断基準のない「道徳的相対主義」の国家に堕したと考えた。国家の個人領域への介入は、やがて個人の自由と選択を規制する「全体主義的傾向」へ発展するのでないかという警戒感を保守主義者は抱いたのだ。
保守主義者は共通の言葉と理論を持たず、思想運動としても政治運動としても統一的活動をすることができなかった。が、この危機感を受けて、1950年代からアメリカで本格的な保守主義の理論構築の試みが始められた。「アメリカ保守主義の祖」とされるリチャード・ウイーバーを経て、1953年にラッセル・カークの著書「保守主義の心」で初めて、アメリカにおける保守主義思想が体系化された。続いて、保守主義を主張する論文・著作が相次いで出版されるようになった。カークは保守主義思想を体系化するとともに「保守主義の六つの規範」を提唱した。この思索的、哲学的内容は私の理解能力を超えているので、ここで述べることは避けたい。
しかし、こうして社会的影響力を獲得してきた保守主義者の社会問題・政治問題に対する提言はきわめて単純で理解しやすい。次の投稿で触れる。