九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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アメリカの保守主義と右翼 その4 千里眼

2006年09月17日 17時51分59秒 | Weblog
7.アメリカ保守主義の流れ
 
 アメリカの歴史は、つねに2つの思想的潮流の対立を内包しながら展開されてきた。それは「リベラリズム」と「保守的思想」との対立である。しかし、「アメリカの知的伝統の中で保守主義はまったく相手にもされなかった」(ミルトン・フリードマンの自伝)と言われるとおり、「リベラリズム」の陰にかくれて、その理論的体系も持たない保守主義は底流としてアメリカの思想界に存在するに過ぎなかった。
 一般的には、上記のように指摘されるが、これはあくまでも言論界・思想論議の上でのことで、国民意識のなかには、伝統的家族の尊重に見られるような保守的意識は根強く存在していたことは言うまでもない。
「ヨーロッパ的な階級社会ではなく社会的流動性があり、個々人が自由に人生を選択し、豊富な機会が存在し‥‥本来は保守主義が存在する機会のないリベラルな社会」である、とデビッド・ウッドアードは述べている。そんなアメリカにとって、「保守すべきもの」「守るべきもの」とは何なのか。アメリカ保守主義はこの問題から出発せねばならなかった。
 大恐慌のなかでのニューディール政策は連邦政府への権力集中をうながし、第二次大戦は戦争遂行のため連邦政府の権力巨大化をもたらし、戦後は福祉国家を旗印にさらに肥大化を続けた。それを進めたのは東部リベラル知識人を主流とするリベラリストであった。
「大学はリベラル派の学者に占められ、ジャーナリズムもリベラル思想の影響を強く受けていた」と、保守主義者は言う。
 保守主義者は、巨大な連邦政府の出現に危機感を抱き、アメリカが建国の理念から逸脱し始めたと認識した。そのアメリカの現状は、神の存在を否定し、国家が個人を支配し、もはや絶対的な善悪の判断基準のない「道徳的相対主義」の国家に堕したと考えた。国家の個人領域への介入は、やがて個人の自由と選択を規制する「全体主義的傾向」へ発展するのでないかという警戒感を保守主義者は抱いたのだ。
 保守主義者は共通の言葉と理論を持たず、思想運動としても政治運動としても統一的活動をすることができなかった。が、この危機感を受けて、1950年代からアメリカで本格的な保守主義の理論構築の試みが始められた。「アメリカ保守主義の祖」とされるリチャード・ウイーバーを経て、1953年にラッセル・カークの著書「保守主義の心」で初めて、アメリカにおける保守主義思想が体系化された。続いて、保守主義を主張する論文・著作が相次いで出版されるようになった。カークは保守主義思想を体系化するとともに「保守主義の六つの規範」を提唱した。この思索的、哲学的内容は私の理解能力を超えているので、ここで述べることは避けたい。
 しかし、こうして社会的影響力を獲得してきた保守主義者の社会問題・政治問題に対する提言はきわめて単純で理解しやすい。次の投稿で触れる。 
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「9・11」の謎 2  へそ曲がり

2006年09月17日 07時31分47秒 | Weblog
 現場で消えた残骸

 その最大の原因が、墜落現場とされるシャンクスピルの旧炭坑近くに残された大きな穴だ。すでに何種類もの写真が公表されているが、深さが1.8メートルある。UA93のボーイング757-200は、長さ47,3メートル、両翼が38メートル、尾翼を含めて高さが13.65メートルに達するが、航空機の胴体部と両翼が垂直に落ちて地面に跡を残したような形状になっている。だが、次のような指摘が出ているのをどう解釈すればいいのか。
① UA93は43,490リットルの燃料を積めるが、事故発生時にはまだ34,000リットル以上を残していたと推定される。ところが現場付近の木立は燃えた跡があるが、なぜか穴周辺にはそれが見当たらない。
② 通常なら大型機が墜落して出来た穴なら周辺の土が吹き飛ばされるはずだが、事故直後の写真やビデオの映像を検証すると、穴の周りには雑草が生えている。そうするとこの穴が、本当に2001年9月の墜落で生じたものかどうか不明になる。
③ 穴には、巨大な翼や胴体部分の残骸が一切残されていない。後になって、穴からエンジンが1機分パワーショベルで掘り出される場面の写真が政府によって公開されたが、多数の残骸が散乱する航空機事故の現場としては絶対にあり得ない光景だ。
④ UA93は墜落直前、150メートルという低空を自足800キロで航行していたと推測されるが、ボーイング757は垂直に下降したり機体を反転するといった危険な動作は、予め組み込まれたコンピューターによって不可能になるように制御されている。仮に伝えられるような「テロリストと乗客の格闘」によって操縦が困難になっても同様で、穴の形状が示すような垂直落下という状態は考えられない。
 したがってこの穴が、UA93の墜落現場と即断定するのは困難だろう。しかもそこから出てきたというエンジンを含め、機体番号と一致する残骸があったかどうかはこれまでの航空機事故の慣例に反して一切公開されてはいない。極言すれば、「格闘」があったかどうかどころか、UA93が墜落したという事実自体を裏付ける物理的な証拠すらきわめて乏しいのだ。
 アメリカン航空などて22年のパイロット歴を誇るG・スタニッシュ氏は「訓練の一環であらゆる航空機事故の現場写真やビデオ、スライドを見せられてきた」経験から、この場所でまともに製造された757機が激突した証拠が残されていないという報道に接し、「こんなことがあり得るのかと仰天した」と言う。
 なぜならこうした事故現場には「常に広い残骸の散乱場所が残される」からで、そのため、「本当にこの穴が伝えられているような757機らよって生じたものなのか」という疑問を投げかけている。  (つづく)
 
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オシム監督は、敗者からも学ぶと(保守系)

2006年09月17日 02時16分56秒 | Weblog
歴史は、勝者のものだけでしょうか?敗者とて、歴史に登場して語る資格があると思います。敗者が故に、敗者たる理由があります。オシムが言うように敗者であれば、今度こそは勝者になるという道があるはずだと言っていました。
文科系さんのは、ある意味では勝者の歴史を語るばかりです。
貴方とはアメリカニズムなどでは見解が一致するのですが、こと天皇制や日本国を語ると、いらいらされます。それは何故でしょうか?
貴方の日本という国へのトラウマは何故生じたのでしょうか。
それが私には理解できないのです。
私と貴方、そう年齢で、大きい差がないように思います。でも何故こうも異なるのでしょうか。この日本が嫌いですか。貴方も私も戦争へ行った経験もありません。
人を銃で殺したこともありません。日本は、アホのようにこの馬鹿げた憲法を守ってきました。いや守れただけです。
その事の本質的な問題に貴方は思いを致していないと思います。
へそ曲がりさんにいたっては、結構戦後日本の恩恵に預かりながら、自国の戦前の日本をアメリカが裁くように裁いています。
もういい加減にしたらどうかと思うのです。
どうして日本という国は、反省好きなんでしょう。これでは国際政治の社会ではやっていけないのです。反省すればするほど、シナや韓国・ロシアは付け上がってくるのです。それが理解できなのでしょうか。
その危険性にへそ曲がりさんも文科系さんも気がついていないのです。
お互い冷静になりませか?
また週刊金曜日は、左翼の雑誌です。というか共産党を見限った雑誌です。
そんな雑誌を見つけるのは至難の業です。
コメント (16)
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