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「通貨戦争」で「米欧5行に 罰金6800億円」     文科系

2015年05月22日 14時01分19秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 5月6日の拙稿『弱肉強食の「通貨戦争」、その実態』に関わって、耳寄りな話が載っていた。昨日の中日新聞夕刊3面下に小さな記事があって、見出しは「米欧5行に 罰金6800億円」とある。彼らの行動は常に秘密裏に行われて、なかなか表には出てこないから、こんな「御用!」の沙汰でもないかぎり見えてこないので興味深かった。今回のように「談合」まで行っていてさえ、儲けを大きくするためにいつも極秘裏に行動しているからである。

『【ワシントン=斉場保伸】米司法省などは二十日、外国為替市場で談合してレートを意図的に操作し、不正に利益を上げたとして、米欧の大手銀行五行に対し計五十七億ドル(約六千八百億円)の罰金を科すと発表した。
 対象となったのは米JPモルガン・チェース、シティグループ、英バークレーズ、RBS、スイスUBSの五行。このうち四行は、談合して為替操作したことについて有罪を認めることで米当局と合意したと明らかにした』
 なお、RBSは、ロイヤル・バンク・スコットランド。スイスUBSは、スイスのユニバーサル・バンクのこと。

 それにしても、凄い罰金だ。それも、前2社は自国の政府から掠め取るという荒っぽい遣り口である。それだけに極秘裏の行動に徹していたろうに、どんな操作をして、どうしてばれたのだろう。ドル高操作というよりも、値下げ・空売りの操作なのだろうなとか、空売りは特に憎まれるよなーとか、談合に参加していない一社はこういう動きをどこでどうやって嗅ぎ付けたのだろう、などなどと考え込んでいたものだ。ここらは、この問題の長年のウヲッチャーとしては、非常に興味がある。過去において、こういう経験が少なく、防御情報、知識も、適用法律さえない国家などは、イチコロでやられてきたのだろうなとと改めて思った次第だ。過去のこういうことの結果が何度もここに紹介してきたこれなのだとも噛み締めていた。

『実際、リーマン・ショックとほぼ同時期、2008年9月に発表されたIMF(国際通貨基金)の一調査によれば、1970年から2007年までの38年間に、208ヶ国で通貨危機が、124ヶ国で銀行危機が、63ヶ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後1970年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません。第二次大戦後に限れば、金融危機は1970年以降の現象だったのです』(岩波ブックレット「金融危機は再びやってくる」伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授著)

 どこも外貨が欲しい現世界情勢における日米などの大国は、自国大金融が他国からこんなやり方で大金を稼いでくることについてなかなか取り締まりなどしないのだろうとか、小さな被害国がそもそも防御的取り締まりなどできるのか等々、そんなことも考えていたもの。世は確かに、弱肉強食、百鬼夜行である。いずれこういう事実の進展についても、人間的道義に合致した新たな国際規制法が設けられるだろうが、それまでは各国が取り締まるしかないわけだ。小さい国などはまだまだ、一金融の画策に対してさえ、どうしようもなかったのではないだろうか。つまり、IMFも述べているように、こういう搾取が既にされ尽くされたとも言いうるだろう。その国の社会インフラ整備費も含めて、世界現物経済などが疲弊し、世界の有効需要がそれだけ消えていったということだろう。第一次世界大戦までは国際的禁止法がないという意味で「合法」だった戦争とおなじように、今はまだ通貨戦争が一定合法なのである。経済を正しく考える目にも、30年ほど先を想像する力が必要だということだと思う。
 
 

 
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随筆紹介 「天候異変」   文科系

2015年05月22日 01時34分23秒 | 文芸作品
 天候異変   H.S さんの作品

 四月初め、長雨が続きいつになく寒い日の夕方。友人、裕美子が自家栽培のみかんを持ってきてくれた。デパートの大きな紙袋二つ分。それも満杯だ。
「わるいけど、助けてくれない」と遠慮がちに言う。
 毎年春先、裕美子から文旦、はるみ、八朔、デコボン等、何種類もの柑橘類のプレゼントを楽しみにして受け取り、種類別の味を満喫している私だ。
 市役所に勤めていた裕美子が、定年退職後、自宅の畑でミカン栽培をするようになった。作るのが楽しくて園芸は趣味だと割り切り、収穫したものは全部、知り合いに配っている。
 八十歳を過ぎた今も脚立にまたがり、高いところに実ったみかんも、平気で摘み取る技は、誰もがやれることではない。
 その元気と明るいのが取り柄だと、自他ともに認めている裕美子が、どうして、私に気兼ねするような発言をするのだろうと、訝った。
 裕美子は、袋から何個かのみかんを取り出し私の手ひらに乗せた。
「みかん、長雨でこんな汚い顔になっちゃった。毎年、味が良いと喜んでもらってくれた
人に、こんな屑みかん持ってくるなんて失礼だと言われ、落ち込んじゃった」と、情けない顔つきをして言葉を繋いだ。
「一年だけの事でしょう。来年は綺麗なミカンが収穫できるわよ。みかん大好きの私は面なんか気にしないわよ。沢山いただけてうれしいわ」と、つい本音が出た欲張りな私。
「事情をわかってくれる人に、少しでも食べていただきたいの。全部廃棄処分ではみかんに申し訳ないもの」と、裕美子が言う。

 収穫直前の天候異変。大雨や長雨の影響で農作物が全滅することはよくある。私も体験している。
〈レタス三十株が大きく育った。明日収穫して近隣に配ろうと私は計画していたのに、夜中に大雨に見舞われ、レタスは溶けて消えてしまっていた。夕方取りこんでおけばこんなことにはならなかった。自分のうかつさを悔やんだ〉
 たった三十株のレタスでも、時間をかけて大きく育ち、実ったものが駄目になる。気持ちのいいものではない。
 天候異変のせいとはいえ、丹精込めて育てたみかんを、廃棄せざるを得なかった裕美子は、ほんとに悔しかったことだろう。
 戴いたみかんは、容姿端麗ではないが、味は去年と同じはず。細かい傷があるはずだから、冷蔵庫で上手に保存すれば長持ちするだろう。
 木に実る果物が、こんなに被害を受けているのだから、露地栽培の葉物野菜はもっとひどいことになっているだろうと、覚悟した。

 温泉に併設され、近隣の農家から持ち込まれる野菜で、鮮度とお値打ち価格が評判の店の陳列台から野菜が消えてしまった。ここに出す野菜が全滅したようだ。
 四月終わりごろから葉物野菜が、毎日のように値上がりし始めた。半端な上がり方ではない。
 五月初めには、レタス一玉三百円。キャベツ一玉四百円。ほうれん草一把四百円。白菜に至っては、四分の一カット二百円。一玉手に入れるのには八百円の支払いになる。
 ここにある野菜は、天候異変の被害から免れた貴重品なのだ。それにしてもめちゃめちゃ高い。思わずため息が出た。

 天候異変は、野菜、果物だけではなかった。
 人の体にも変化は起きていた。友人文子はずっと前に交通事故で右脚大腿骨を骨折していて、二十三年もたった今年、厳しい寒さの日が続いて右足の太腿が疼きだした。すっかり回復して痛みが起きることはなく、痛みも後遺症も残らなかったと喜んでいたのに。
「あんた腰の調子はどうなの、痛まない」と、文子は電話をかけてきた。
 八年前、私は階段から転げ落ち、腰椎を圧迫骨折した。そのことを文子は思い出したのだろう。
「正月から左足の痛みで悩まされているわ。整形外科で治療を受け、ロキソニンテープをべたべた貼って、使い捨てカイロをシャツの前後ろに貼り付け、温泉にも通い詰めてどうにか生きているわよ」と私。
「お互い丈夫なのは口だけか……」受話器から、文子の忍び笑いが聞こえてきた。
 文子と私は、同い年。七十八年も毎日こき使われた体は、天候異変に敏感に反応するようになってきた。
 五月半ばになり、気温は上昇、暖かくなってきているのに、文子も、私も、まだ痛みから解放されていない。
 この分では、寒くなれば、古傷の痛みと共存しながらの生活が続くことを覚悟しなければならないようだ。
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