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随筆紹介 「家族葬」   文科系

2015年05月27日 17時32分25秒 | 文芸作品
 家族葬   H.Tさんの作品

私は、名古屋市東部に四十数年前に作られた集合住宅に住んでいる。靜かで日当たりもよく満足しているが、耐用年数を過ぎ、壁は色褪せて、痛んだ台所や風呂の修理も大変である。それでも、住人の変化も少なく、鍵一つで外出できたりして、”住めば都”と過ごしている。入居した頃は子どもの声もよく聞こえたが、今ではそれぞれに老い、静かに暮らしている。
 団地で不幸があると、葬儀場も今のようになかったから、団地の集会室でみんなして送った。それぞれの棟の入り口横にあるボード板に“○号室○○さんがご逝去されました”という書き出しで、集会室での葬儀日程が書いてあり、みんなして手伝い、送ったものだ。それがいつの頃からか、家族葬という言葉を知るようになってから様子が一変した。ボード版に不幸の知らせを見ることがなくなった。個人情報とか個人責任という言葉も聞くようになり、いろんなことが大きく変わった。
「団地の子ども会の世話をして下さっていたKさん、この頃お顔を……」
「御存じなかったの。……か月前に亡くなられました。ご家族だけで、家族葬で送られたそうです」
こう言われて、驚いた。

 “家族葬”。今は、知らない人も、それを驚く人もいない。昔は、村八分と言って、お付き合いはなくても、火事と葬式だけは村の人たちが助け合ったというのに。集会室もこのために使われる事はなく、病院で亡くなると住み馴れた家にも帰らず葬儀場へ。そこには家族葬の小部屋まであるのだそうだ。
 でも今は人の生き方もそれぞれ、ひとり暮らしの人も多い。私もそのひとりだ。幸い保険制度も充実している私たちの国。ひとりでも、自分なりに生きていくことはできる。
 でも死んだあとは、自分ではどうにもならないこともある。数年前、団地の中でひとり暮らしの老人が亡くなり、家族とも絶縁で、市の福祉課の方と団地の方が……という事を聞いた。

 死は、生まれた時と同じで、自分では何も全く分からないという。それは大きな恵みではないかと思っているけど、身体は氷のように溶けて消滅したりはしないから、困る。
 “あとは野となれ。山となれ”
 “生きているうちが大事。精いっぱい”
 そう口にしたり書いたりしている私も、野にも山にもなれない。静かに消え去りたい。これだけの願いも、どうにもならない。

 県内の医学部六大学で、死後献体という名で利用して貰えることを知った数年前、手続きを済ませた。医学の勉強のために役立てていただくということで、行く先ももう決まっている。月々の会報が送られ、野となれ山となれも一安心している。
コメント (1)
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