連れ合いのボランティア活動に同行したシドニー滞在旅行が半月を経過した。彼女もホームステイ先の四十代独身女性も仕事に出る平日日中は、全く一人。気ままなランチを今日はちょっとリッチにしてみた。と言っても、買い物を選べば、実に安くて豪華にできるのだ。メインディシュは三百グラムのTボーンステーキ。日曜日に市中心部に出た時、チャイナタウンのスーパーで買ってきた三百円ちょっとのものだ。ワインは近所のスーパーから「一本千円、二本買うと一本おまけ付き」(「三本二千円」でないのが面白かった)で仕入れたシラーズ種、オーストラリア名物の赤。渋みも甘みも重厚で相当な味なのに安いのが手に入る。野菜は高いからいつも慎重に探すが、三日前に買ったセロリに岩塩を振りかけて添えた。デザートは超特大リンゴほどのマンゴー、甘さも香りも強く「きつい味」とは言えるが、今こちらで一番旬の果物で、これが百円ほどである。
舞台が良い。シドニー市民がみんな知っている北郊外の高級住宅地、コーラロイプラトーの一角、家の前の道から北北東に太平洋、北に湖がそれぞれすぐそこに見える高台で、おちついた3LDKのおしゃれな平屋である。そして、東向きのこのベランダは昨日僕の手で久々らしい大掃除を終えたばかり、真っ白いテーブルに今はゆったりと一人、ワイングラスの脚をつまみながら目の前の東庭を眺めているというシテュエーションである。
百坪ほどの裏庭だが、森なのである。葉の短い柳に似た高木が3本、これはユーカリの仲間らしい。それよりかなり低いが四メートル以上もある「羊歯か、蕨のお化け」が五本。東端にある一番の大木は見当もつかない種類のものだし、「八手のお化け」、「クチナシモドキのお化け」など我が家には見かけない庭木ばかりなのだ。かろうじてコデマリ、アジサイ、ツユクサなどが混じっていて、それらに目をやるとなぜかほっとする。季節は夏の盛りの二月、気温は珍しく三十度と高く、陽射しは突き刺す感じなのだが、日陰のここでは家々の「森」を渡って来る風がからっとしていて、うーん、気持がいい。
テーブルにグラスを置いて背伸びしたとたん、その姿勢のまま目線が捉えられてしまった。ユーカリの幹の向こう側、地上三メートルほどの枝に見たこともない鳥がいる。「梟だ」、三十センにも見えた大きさ、形、体の三分の一以上もある頭などからそう直感した。が直後に「全く違う」と、そいつが僕に振り向いた瞬間に気づいた。クチバシが長すぎる。大きな頭のその幅ほどもあるクチバシから途端に連想したのがカワセミであり、すぐになぜか「ワライカワセミ」という言葉を思い付いた。名前以外は一片の知識さえなかったのに。部屋に跳び電子辞書を持ち出して百科事典をのぞく。
「オーストラリアに分布し、疎林に住んで昆虫、トカゲ、ネズミなどを食べる」とあるではないか。早速スケッチにかかる。家主が帰ってきたらたずねてみるつもりで。悪戦苦闘の末まーそれらしくスケッチできたので、すぐに和英辞典をひく。クッカバッラ、ラーフィングジャッカスなどとあり、その語源は同じ電子辞書によると、「笑う頓馬」とか「ギャーギャー声の変人」らしい。だけどそいつはそんな声は出さず、ばたばたする僕を怖がるでもなく梟のように哲人然としてただ見つめている。
「違うのかな」と、双眼鏡やカメラまで持ち出して、カメラで一枚撮ったあと接近開始。時間をかけてジリジリと寄って行き、とうとう高低差も含めて六メートルほどの地点にあるベンチに僕は座り込んでいた。そこから七倍の双眼鏡で観察するのだから、もう羽毛の先までが見える。それでもそいつは哲人然とした物腰を変えない。時間をかけて撮影し、観察して、それからテーブルにもどって、彼も肴にしつつランチを続けた。ややあって突然。形容しがたいトテツモナイ声を発すると、それを遠くまで響かせ続けながら、そいつは飛び去って行った。
家主に聞いた話では僕の推測は正解、語源も正解。翌日も同じ枝に来たそいつは、きっと「賢い鳥」なのだろう。家主の「自然」志向からはっきりと虫、トカゲが多いと言える庭だったからだ。幸せなステイになったものである。