昔、大学を出た手の頃、勤め始めた職場の上司に、今後社会人として仕事をするに当たっては、常に情熱を込めることを忘れないようにしなさいという訓示をもらった思い出があります。
その上司自身、私が今思い出しても、本当に自ら情熱を込めて仕事に当たっていたと思えますので、いわば自分がそうしているからこそ他人に対しても言える話なのだと思います。
話は違いますが、プロ野球巨人軍の原監督は、試合に勝つために今自分に出来ることは、たとえ縁起をかつぐようなことでも決して手を抜かずに行うのだそうです。
これは、自分自身が後悔しないためでもあるそうで、あらゆることを踏まえ、これらを行ったうえで勝負に臨み、それでも負けたなら、それはもう人智の及ぶところではなく、素直に受け入れざるを得ないという境地に自分を持っていくための大切なプロセスであるということです。
これらは、いずれも子供たちの勉強という局面にも当てはまることです。
或いは、そういうことを求められている子供たちを取り巻く周囲の大人たち(勿論保護者を筆頭として)に対しても言えることです。
また、学習塾という性質上、学習指導面では当然のことですが、それ以外の面でも、同じことが言えます。
例えば、直接的にはそれを行う子供(生徒)達自身の問題ですが、学校に提出する志望理由書や自己PR書の類であっても、ACSでは、本人たちが書いたものの推敲をアシストして、より完璧なものにするような事も授業に付随して行っています。
一つ一つのことに情熱を込める。
或いは、今やっておけることは全てやっておく。
こういうことが大切なのだと思います。