私自身がイジメ被害に遭ったことがあるという話を書きました。
そういうことを踏まえつつ、保護者の皆さんからたまに寄せられるイジメ或いは登校拒否の相談をお受けしています。
その中で、「それでも何でも、とにかく学校へは行かさなければならないでしょうか」という悩ましい旨の内を表す言葉が多く見受けられます。
私が小学校4年生の時、約1学期間トータルで陰湿なイジメを受けました。
クラスのボス的な男子が、彼の持つ暴力的なキャラクターを背景にクラス内の大方の生徒をその影響下に置き、集団で個人(私)を無視し続けるという、小学4年生にしてみれば結構辛い形のイジメでした(辛くないイジメは無いでしょうが)。
そういうことがずっと続くと、本当に学校に行くことが嫌になります。
休み時間も給食中も、そこで過ごす殆どの時間帯がずっと一人きり、他の誰も彼の暴力を恐れて私に近寄ってこないという状態で、これを4年生が一人で受け止めて何も無いような顔をして学校に行かれる方がおかしいでしょう。
でも、私は親、特に母親にそのこと~学校で進行している無視という形のイジメ~を、ただ母に心配をかけまいという理由から、一切口にすることが出来ませんでした。
しかしながら、親たるもの、そんな子供の様子を見て、そのおかしな変化に気付かない筈は無く、ある日母が私に直接聞いてきました。
私はそこで洗いざらい話しました。話してどうなるかなどを考えたわけではなく、とにかく話をすることだけ、それがその時の私に出来ることでした。
すると、母は黙ってその場を収め、そして翌日私を連れて学校に行き、そこで担任の教師に事の一切を話しました。
教師は何といったかというと、まず 「イジメはありません」 でした。
母が静かに、しかし強く「現実にここにイジメがあるという事実を認めなさい。あなたが知らなかったとしたら、まさに『知らなかった』ということであって、イジメが無いということでは決してない」と言いました。
その時の母の毅然とした物の言い方は、子供心に響き、それが今でも強い印象に残っています。
母がそう言うと、教師は今度はこういいました。
「イジメがあるからといって弱音を吐いてどうするんですか。そんなもの、自分の力でどうにかするのが本当でしょう」
母が、今度はもっと強く言いました。
「あなた、自分で何を言っているのか分かっているの? イジメは無かったといい、それを否定されると、今度は『それしきのこと』などと言い放つ。イジメがあるのなら、まずはイジメをする側を正すか、少なくとも事実の確認をしてからその先に進むべきでしょう。それを何ですか、相手の子を呼ぶでもなく、いわば被害者である側に『それしきのこと』などと冷たく言い放つ。あなた、それでも教師ですか。どういう覚悟で他人のこの教育を受け持っているのか、その覚悟を言ってみなさい。ふざけた事を言ったら許しませんよ」
こういう対応が良いかどうかはわかりません。
色んな意見があるでしょう。
しかし、私自身は今でもこの日の母の対応が間違ってはいなかったと思っています。
少なくとも、母は私の言う事を聞いてくれた上で、それを確認し、出来ればそこで最大限の解決の方途を探るべく学校に足を運んでくれました。
そして、そこで目の当たりにした教師の不適切な対応に対して、堂々とこれを指弾して見せました。
だからといって、それからすぐにイジメがなくなったかといえばそうではありません。
しかし、私の母が「いくばくかの強硬姿勢」で学校に来、そしてそこで教師に善処を申し入れたことは、すぐにクラスの中に浸透し、そうする中で実は内申イジメの首謀者に対して反感や嫌悪感を持っていた他の生徒たちの心に変化を起こさせるに至り、その学期が終わる頃にはアンチイジメグループとでもいうべき輪がそこに出来上がり、それに伴って私の環境もそれまでの苛酷なものから随分と良い方向へと変わっていきました。
これを思い出す時、私は「とにかく学校へは行きなさい」というのとは違う対応があってもよいと思うわけです。
※尚、このときのイジメの首謀者はそれから暫くして完全に失脚しました。