学校至上主義という意味ではありませんが、子供たちが通う先が学校であること、日中の主たる生活の場がそこであって、テストを受けたり、その他諸々の点について成績評価をされ、そして上の学校に繋がっていくという場が学校である限り、私たちは子供たちがまずそこで健康的に過ごしていかれることを考えなければいけません。
しかし、それにも関わらず、人間関係の問題でどうにもそこでの生活が上手く行かない、或いはもっとはっきりいえば、そこでの生活が辛いというような場合もあります。
それを学習塾という、いわば民間教育機関を上手く活用することで改善または解決できることがあります。
今、ACSに通っているある小学校5年生の女の子は、どうも担任の先生との間の波長が会わず、非常に苦労しています。担任の先生はまだ若く、今年初めて担任を持った独身の女性ですが、何事にも一生懸命である反面、自分の方針を貫くことに頑なであって、それが生徒との接し方にも現れてしまうのだそうです。
それが嵩じると、生徒たちの一つ一つの言動をあげつらうかのような態度になってしまうので(少なくとも、当の子供たちはそう感じているらしい)、今では子供たちのほうが「先生に叱られまい」「先生を怒らせまい」という意識が先立って萎縮してしまっているといいます。
勿論、先生の方はそれなりの理論と信念があって毎日の指導に当たっているのでしょうが、現実問題として一人の生徒の心の中に大きなしこりが出来てしまっているという事実は残ります。
そういう彼女(子供)とその保護者ですので、学習塾(ACSアカデミー)に求められるものは、単に学習指導だけではなく、大人との接し方といった面も含めたものであるようです。
つまり、大人がみんな同じ性格ではなく、であれば子供たちとの接し方も多様であって、過度に神経質にならなくても話もできれば勉強だっておしえてくれる、或いは勉強以外のことだって話を聞いてくれるのだということを10歳の子供に教えたいと、そういうことなのです。
こういうことは、実は決して珍しいことではなく、これまでにも同じようなニーズを持っておいでになられた方は結構いました。
大抵は特定の講師を気に入ってくれて、いわば「学校外の担任」的な位置付けにしてくれていました。
個別指導学習塾は、そのネームから、単に個別に勉強を教えてくれるだけのところのように感じさせるかもしれませんが、実はそうではなく、むしろ子供達の心全体に占める個別対応の重みの部分のほうがはるかに重要であるのだと私は思います。