たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

自分を信じる気持ちを大切に・・・

2015年03月25日 14時37分54秒 | 日記
詳細をいっさい書くことはできませんが、ひとつの区切りを迎えることにしました。
納得には程遠い、あんまりといえばあんまりな終わりですが、
今の社会の仕組みの中ではこれが限界だったようです。
これ以上心身をすり減らしても自分がもっとつらくなるだけなので、
それよりも前を向いていこうと思います。

自死遺族として妹が教えてくれたことを伝えていくという大切な役割。
そこに軸足を移していこうと思います。
今はまだそれぐらいしか見えていません。


2月9日のブログにも書きましたが、ユダヤ人収容所から生き延びたフランクルは、
「それでも人生にイエスと言う」と書いています。


「人間の尊厳と、人生に向かいあう態度という意味では、フランクルが本のタイトルに使った「それでも人生にイエスと言う」という言葉が思い浮かびます。」

姜尚中著『続・悩む力』集英社新書、2012年発行、205-207頁より引用しています。)


これからどうやって生きていくのか答えはまだ見えませんが、自分の感性を信じ続けるしかありません。きっと大丈夫と言い聞かせるしかありません。妹が守ってくれていると信じ続けるしかありません。

過ごしてきた日々を思うとここ数日涙が流れて仕方ありません。
これで本当によかったんだと納得できるのは、数か月先か、数年先のことになるでしょう。
過ぎた時間は戻りませんが、これは自分の人生にとって正解だったのだろうかと自分の中で
問いかけ続けています。
自分に鎧を着せることなくいられる場所に出会うことができるのか、
今はずたずたでわからないですが、お休みしつつ、
でもなんとかしていくしかないです。


『赤毛のアン』が教えてくれている自分を信じる気持ちを大切にしていきたいと思います。

いつかまたプリンス・エドワード島に行くという夢もあきらめません。
まだやり直しの時間はあります。

春のプリンス・エドワード島から、銀の森屋敷の食器棚の写真を選んでみました。
孤児院でアンがガラス戸に映る自分の姿に、ケティモーリスと名付けて話しかける場面は、
映画『赤毛のアン』でも描かれています。

いろいろと書きたいことがありますが、今はここまでです。

組織の中でかけがえのない人間なんていらない、いつかみたテレビドラマの中の
台詞でした。