たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ちひろのアンデルセン』より_『にんぎょひめ』

2015年03月28日 08時20分51秒 | いわさきちひろさん
「ちひろからのメッセージ

私が、この爛漫の春に若者の悲しみを身にしみて感じだしたのは、やはり自分の息子が浪人をしてからであった。人間はあさはかなもので、身にふりかかってこなければ、なかなかその悲しみはわからない。
若い、苦しみに満ちた人たちよ。若いうちに苦しいことがたくさんあったということは、
同じような苦しみに堪えている人々に、どんなにか胸せまる愛情がもてることだろう。
本当に強いやさしい心の人間になれる条件は、その人が、経験した苦しみの数が多いほどふえていく。
そしてまた、人の心をうつ美しくやさしい心の作品をつくる芸術家にもなっていける。
  1971年、「続・わたしのえほん」草稿より」

 (いわさきちひろ絵本美術館/編『ちひろのアンデルセン』講談社文庫、
   1994年4月25日発行、108頁より)



ちひろさんの本をたくさん持っていますが、長い間ほとんど開くことなく過ぎてきました。ひとつの区切りをつけようと決めたとき、『ちひろのアンデルセン』の背表紙が、おいでおいでと私を呼んでくれました。
こういうことは電子媒体では起こりません。
荷物が多くても、場所をとっても、やはり紙でなければ、というものがあることをあらためて感じています。



「百年もの年代の差をこえて
 わたしの心に
 かわらないうつくしさを
 なげかけてくれる
 アンデルセン-
 むかしふうの文章なのだけれど
 その中にいまの社会につうじる
 同じ庶民の悲しさをうたいあげている
 この作家に
 わたしはずいぶん学ぶことが多い
 アンデルセンの童話のもっている夢が
 たいへんリアルであるということが
 現代のわたしたちの心にも
 つうじるのであろう
   ちひろ・1964年」

  (『ちひろのアンデルセン』巻頭より)


いろいろなことがあってからこうしてちひろさんの言葉に出会い直してみると、
私も少しは大人になって、アンデルセンに共感したちひろさんの思いに近づくことが
できるようになったのかなと思います。
1994年4月25日に第一刷が発行されている文庫サイズの小さなこの本、
妹とのお別れが訪れる前に購入したんだろうと思います。



「十五になったら
 海の上を見ることができる。
 小さな人魚姫は、海の底で
 その日を心待ちにしていました。

 海の上で
 王子に恋をした人魚姫は、
 人間にしてくださいと
 魔女に頼みます。
 
 美しい声とひきかえに
 人間の足をもらった人魚姫は、
 王子の城にいくことができました。

 「あなたは、どこからきたの?
 海でわたしを助けてくれた人に
 そっくりなのだよ。
 その人にもう一度会いたいのだ」
 王子のといかけにも、
 声を失った姫は、ひとことも
 答えることができません。」

  (『ちひろのアンデルセン』1-4頁より)
  

この文庫サイズの本の中には、何篇かアンデルセンの書いた物語とちひろさんの絵が紹介されていますが、いまの私には『にんぎょひめ』からの一節がいちばんせつなく響いてきました。
「アンデルセンは神を信じていた人ですが、神の力ではどうにもならない人の不幸をリアルにえがき出しているところも面白いと思います」とちひろさんは語られたそうです。
  




にんぎょひめ (いわさきちひろの絵本)
クリエーター情報なし
偕成社