たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

だいじょうぶ、だいじょうぶと言い聞かせて

2015年03月09日 18時15分45秒 | 祈り
一年前の自分にはあり得なかったような困難な局面をいくつもいくつも通りぬけてきました。
ここを超えればきっと大丈夫。その連続で気がついたらここに来ていました。
もう終わっていもいいんじゃないの・・・、普通に考えればそうですがまだ許されません。
本当に困難な道のり、こんなつもりではなかったことの連続。
これで本当によかったのかどうか、一定の結果が出てもたぶんわからないでしょう。
ただ、私の気持ちに区切りをつけていくためにはここまでの道のりが必要だったんだとは思います。

一昨年の秋のレミゼの観劇日記に「明日への希望」と、私書いています。
そういう引き出しが今の私を支えています。
どこかにきっと希望もある、守ってくれている、きっと大丈夫と自分に言い聞かせるしか今はないです。自分ががんばったらこうなる、というものはもうありません。
もう少し辛抱していたら一定の納得できる結果で収束できるのか、そうでないのかわからないまま、まだ辛抱を強いられています。これが本当に正しい流れなのかそうでないのか、自分では判断がつかないですが、ここまで来てしまっているので他に行くことももうできません。

先週当事者として話をさせてもらって数日が過ぎてみると、ずっと長い間人に言えなかった、
言ってはいけないと思い続けてきたことを外に出してしまったことで、客観的なものとなり、自分の中でひとつ抜けた感じがあります。

ふたつの喪失体験を通して見えてきたものはたくさんあります。
一年前からの手帳に書いたものを読み返していると、大切な気づきがたくさんあります。
伝えたいことがたくさんあります。でもここに書くことはできないので、別のかたちで伝えようと思っています。

落ち着かない中ですが、今日はまた20年前のすごく情けない自分に戻ってみようと思います。
本当に情けない感じですが、受け入れようと必死にもがいていた私がいます。
書くことで私、自分の気持ちと向き合い続けました。
また長くなってしまいますがよかったら読んでください。
こうしてさらけ出してしまうにはどうかなと思うこともありますが、妹とのお別れから一年と二か月の頃で、精神医学の知識も全く持っておらず、、母の病気を理解することができずに苦しんでいました。今は日進月歩で技術も進んでいるし、考え方もどんどん変わってきているので、わたしの中での偏見もありません。

エリザベートの思い出、モーツアルトの観劇日記、旅の写真なども載せたいと思いつつ・・・。

「1995年11月3日(金)Fine

疲れているのに、こうして書かないではいられなくて、ペンをとってしまった。
自分の中で、ことばにして組み立てないのではいられないのだ。
まだまだ青いんだなあ、と我ながら思う。
自分の性格のことで悩んでなにになるんだよ。
そう思うのに、また頭の中でぐるぐる回ってる。
やっぱりきついのかなあ、なんて思ってしまう。
もしかしたら、言い訳にしてるだけかもしれないけど、自分の中でまたお勤めしていて起ってるジレンマ、口下手コンプレックス、気軽に話しかけられない、話題をみつけることが苦手だし、人はこんな自分と話していてもつまんないんじゃないかと思ってしまう。
つまんないこと気にしているよね。
わかってんだけど、こわいんだ。
求める気持ちが強すぎるからなおさらこわい。
夢中になり過ぎるところあるし、ほんとは人が好きなのに、新しい人間関係を求める気持ちいっぱいあるのに、こわいんだ。
とろいわたし、ドンくさいって今でも笑われることのあるわたし、大人の年齢なのに、
上から見下ろされることある。ばかにされてるな、なめられてるなって感じることある。
頭の回転がにぶい奴だっていう意識があるから、よけい臆病になる。
こわいんだ、母と似ていることがすごくいやなんだ。
この呪縛から解き放たれたいのに、まだまだ・・・だ。
自分にもおかしくなるような血が流れてのかもしれないし、
悪い所ばっかり、いやな所ばっかり似てるような気がして、どんどんマイナス思考。
ヘンな暗い考え方をするとこ嫌いだし、不潔なとこもいやだし、カーッとなると前後の
見境がなるなるとこもいやだし、頭の中で自分の理屈をぐるぐる回している、見てる方がしんどいよ。そういうとこ、みんなわたし似てる。マイナス面ばっかり・・・。
花を飾ろうともしない。寒くってしかたないよ。
母がつらいと家族みんながつらい。
太陽のように明るくいてほしいのに、前に進もうとしないなんて、許せない。
人に甘えてるだけなんて、わたしはいやだ。
ああはなりたくない。
こんなことを思ってしまうなんてひどい娘かしら、とまたジレンマ。
だけど、母の考え方は嫌いだ。すっとぼけるとこも嫌いだ。
人とつきあうことを、社会を生きるために必要な大切なことを、ちゃんとおしえてほしかった。ほんとに、ほのとに、どう受け止めていいのかわからない。
素直にやさしい気持ちになんかなれない自分をどうしていいかわからない。
また、カウンセリングが必要なようだ。
吐き出して、励ましてもらえればすっきりする。
親からはなれる作業をずっと続けているなんて悲しすぎるね。
勤めるのは疲れる。すっかりのどをやられたり、電車が混んでいたり。
休日は休日としてすごそう。
もう眠い。少しはすっきりしただろうか。
ブツくさブツくさいってばかりいないでサ、プラスになることだけ考えよう。
こんなわたしでいいじゃない。」


春のプリンス・エドワード島の、モンゴメリさんが『赤毛のアン』を書いた家の跡への入り口。グリーン・ゲイブルズから、お化けの森を通りぬけて道路を渡ります。
モンゴメリさんは晩年、旦那さんの病気にずいぶん苦しんだようです。
家族ってむずかしい・・・。