たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

考える

2017年03月18日 17時13分33秒 | 日記
 土曜日、考えるエネルギーはそれほどないのですが、久しぶりに若松英輔さんのツィッタ―をのぞいてみて、あらためて考えてしまっています。

 何度も同じことを書いているような気がしますが、前々職のカイシャは数字、数字でした。法律で禁止されていたはずの一般職の常用代替として派遣を使い、都合が悪くなると使い捨て同然の契約終了、わたしの7年にもわたるオーバーワーク、最後はわたしも都合がわるくなって使い捨て同然の扱い。すべて数字のためでした。数字をださないと(=売り上げををあげないと)、経費を削減していることを数字で示さないと執行役員たちは株主総会で叩かれるときいたことがあります。だから自分の身を守ることに必死でした。そのためのリスクを、わたしも含めてハケンが背負わされました。特にわたしの二人分労働は突出していたはずです。それでもってわたしをにぎりつぶすために弁護士にウン百万か支払ったのは問題にならなかったのか不思議でなりませんが、とにかくすべては数字のためでした。数字、数字、とにかく数字。これで誰が幸せなんだろう、なんのためにカイシャはあるんだろうっていつも思いました。数字のためにわたし、心身をすり減らしていました。カイシャで働く人に戻ることはもうできないと思います。あり得ないと思います。就活ってなんでしょうね。今の就労場所で、4月1日付で欠員が出た業務に一人採用するために面接を実施したとき、面接が終わると役職者たちが会議室にこもって、応募してきた人たちに点数つけているところだっていう会話をしていたことがあります。なんだかぞっとしました。わたしもそうやって人と比較されながら点数つけられていたってことか。応募して面接にいくっていうことはそういうことですね。自分にはそういうのもう無理だなあ。こんなきれいごと言っていたら自分にごはんを食べさせることはできませんね。どうしましょうか。

 若松さんのツィッターからたどりついたこんなサイトにも興味をもっています。

古本屋で読むと書くのワークショップ。3.11以来、紙をたくさん抱えていることのリスクは大きいと感じているのでできるだけ紙を減らそうとがんばっているところですが、紙にはデジタルにはない味わいがあって、紙で読むことと書くこともやっぱり大切にしたいです。契約終了したら訪ねてみたいなあ。
 
 http://niwabunko.com/about/


 もう少し断捨離が進んで落ち着いてきたら、若松さんの本をゆっくり味わいたいです。





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若松英輔‏ @yomutokaku

その他
どう生きるかは、生きながら考えるしかない。生きるとは何かを身をもって知らなければ、どのようにして「どう」生きるかを考えられるだろう。書くことも同じだ。「どう」書くかを考えてから書くのではなく、まず欠点だらけの言葉を紡ぎ出し、書くとは何かを知る方がいい。どう書くかはその先の問題だ。



若松英輔‏ @yomutokaku  3月14日
どんな成功が約束されていても、数の世界に「いのち」を明け渡してはならない。そこでは人間の価値をいつも誰かが比較する。だが生涯を費やして見出すべきは、誰にも比較できない、ただ一つの「私の幸福」ではないのか。成功という幻想のために、どうして「いのち」を犠牲にしなくてはならないのか。


若松英輔‏ @yomutokaku 3月14日

月間残業100時間の是非が論議される背景には、労働力の問題はあっても「いのち」を考える視座はない。労働力にはいつも代替がある。しかし私たちは誰もが何ものにも代替され得ないただ一つの「いのち」を生きている。こんな当たり前ことが無視された「成長」を手にしてどこへ向かおうというのか。










死者との対話
若松 英輔
トランスビュー