たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ミュージカル『モーツァルト』-2021年4月14日帝国劇場

2021年04月14日 23時33分19秒 | ミュージカル・舞台・映画
2021年4月14日(水)12時30分~

 まさかの録音演奏?と思ったら、オーケストラのみなさん、客席からは見えないオケボックスの低いところにいらっしゃったようです。二幕前音合わせの音色が流れてきて安心しました。カーテンコールでようやく指揮者の姿が。甲斐先生かな。舞台上からはタクトが見えているのでしょうね。こんなにむずかしそうな楽曲の連続、タクトなしでは歌えないんだろうなと思います。カーテンコールのあとには、客席のために「僕こそ音楽ミュージック♪」を演奏してくれて、生演奏のうれしみよ。こんな時代にありがたいことです。耳に心地よく、誰もがどこかで聴いたことのあるモーツァルトの楽曲が随所で演奏される舞台、一幕は私的に心がざわついてしまっていましたが、二幕は現実を忘れて集中しました。

「舞台は生き物」(by真綾希帆ちゃん)「舞台はナマモノ」(by望海風斗さん)

 安定のキャスト陣、ナンネール;和美美桜さん、コンスタンツェの母:阿知波悟美さん、コロレド大司教;山口祐一郎さん、モーツァルトの父;市村正親さん、アンサンブルメンバーは東宝の舞台でおなじみなった方が多くて、3年ぶりの『モーツァルト』は勝手に久しぶりに懐かしい人たちに再会できたような心持ちでした。3年前吉野圭吾さんが『1789バスティーユの恋人たち』とかぶるので誰がやるのってなったシカネーダーは遠山裕介さんで落ち着いた感じでしょうか。劇場支配人のシカネーダー、登場シーンで「客席満杯、ふところいっぱい」「客席の拍手が大好き~♪」、ダンスと歌で客席をもりあげて拍手をいっぱいもらうところですが、平日の昼間に補助席までうまってほぼ満席と思われる帝国劇場の客席風景が当たり前ではないのだと思うと沁みました。宝塚ふくめて演者が客席におりることはできなくなったので、舞台と客席が一緒になれるシーン、ほんとうに貴重です。

 ゆん(古川雄大さん)ヴォルフガング、2012年『エリザベート』のルドルフデビューの時はものすごく線がほそかった、声も細かった。今回は筋トレで体重も増えていると初日前会見の映像にありましたが、だからのかどうか、おだてに弱く世渡り下手で借金だらけのあぶなっかしい面よりも大衆のための音楽をつくるのだという志をつらぬいて生きたという面が強く出ているように感じました。

『フォルティッシッシモ』では彩みちるちゃんがとっても可愛く演じていた、この世にはすでにいないのに、天国の扉の前で審判を待たされるモーツァルトはベートーヴェンに先んじて、芸術家は王侯貴族の庇護がなければ生きていくことができなかった時代に、その才能を見抜き自分のためだけに音楽をつくらせようとするコロレド大司教にあがない続けて、フランスで革命がおこったことを知ると、大衆のための音楽をドイツ語でつくろとするのでした。「魔笛」の完成に命を注いだモーツァルト、音楽の泉が涸れてしまうと「レクイエム」をかく道半ばでその筆はおれ、アマデと共に命は尽きるのでした。神童と呼ばれた幼い日の自分=アマデを超えようともがき続け、最後は共に果て「レクイエム」の依頼人の使いが落としていった報酬はコンスタンツェの母にしゃぶりつくされてしまいました。息絶えたヴォルフガングの姿をみつけ、アマデがずっと離さずもっていた、幼い日に皇帝からいただいた宝石箱を開けたナンネールがみたものは光。
神から与えられた才能から逃れることなんて許さないとばかりに首根っこはがいじめにしてくるアマデとの対決、お前が家族を破滅させたんだ、全部お前が悪い、おれが死ぬときお前も死ぬと毒づきながら、最期はアマデを受け入れ共に果てるラスト、わかっていても涙でした。この世があるかぎり、モーツァルトの楽曲は永遠に奏でられ続けていくであろうという事実こそが真実と思ったのでした。3年前の自分の中にはなかった志ということばが胸をよぎりました。

「神がつかわした奇跡の人
 世界果てる日まで 奇跡は終わらない
 神の子 モーツァルト」

「自分の影から 逃れられるのだろうか?
 自分の定めを 拒めるのだろうか?
 殻を破り 生まれ変われるのか?
 自分の影から 自由になりたい」
 
















日比谷シャンテの2018年舞台写真パネル展示、憲ちゃん(加藤憲史郎君)アマデを見つけました。







 残念ながら時間切れとなってきました。また休日に長々と書くかもしれません。

 東京に行く時は大雨になりがちなこの頃、こんな時期に台風だし、また気温さがってきているし、無事に生き延びているだけでもすごいことなんですよね、ほんとうは。それでは許されませんがまた明日以降悩むことにしましょう。今日は『モーツァルト』の楽曲が流れるままに・・・。

『エリザベート』とならんでリーヴァイさんに神様がおりてきた舞台。心が満たされました。









『エリザベートガラコンサート』花組バージョン-ライブ配信(3)

2021年04月14日 08時05分43秒 | 宝塚
『エリザベートガラコンサート』花組バージョン-ライブ配信(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b8754c8ded2d81c694ab2eb31dfcfb82

「夜のボート♪

フランツ
 ささやかな幸せ掴みたい

エリザベート
 皇帝陛下が

フランツ
 人生のゴールは寄り添いたい

エリザベート
 二つのゴールよ

フランツ
 一度 私の眼で 見てくれたなら
 君の誤解もとけるだろう

二人
 夜の湖を行く
 二隻のボートの様な私たち
 近付くけれども すれ違うだけで
 それぞれのゴール目指す

エリザベート
 ボート つけようとしても
 夜霧にまかれ 相手見失う

フランツ
 分かって欲しい
 君が必要だよ
 信じて欲しい
 君を愛している

エリザベート
 それぞれの港 捜しすれ違う

二人
 二隻のボートのように」

 何十回も聴いているはずの「夜のボート」が新鮮でした。蘭ちゃんシシィとPちゃんフランツのデュエットで今一度歌詞をかみしめました。蘭ちゃんシシィ、孤独なルドルフが母を求めてきたときすでに生きることに疲れてこばみ、ルドルフの死で孤独を受け入れたような、どこか死が近くにいることを感じ取って安らいでいるようにも見える静かな表情がライブ配信だからこそ、よくわかりました。ものすごくうまいわけではないのに、ささやかくように歌う声が美しくて沁みました。

 ライブ配信があった10日の夜公演ではみりおちゃんトートが昇天のシーンでまさかの転倒から、蘭ちゃんシシィが全く動じることなく男前にスッと手を差し出し、笑顔でみりおちゃんトートの腰にガシッと手を回して昇天していったとか。みりおちゃんをひきたてつつガッツリと支えるヒロイン力のすごさとみりらんの信頼関係よ。いろいろなご意見みかけますが、晩年の蘭ちゃんシシィの、静かに孤独をたたえる表情、素敵でした。かつて美術館でみたことがあるのシシィの60代のデスマスクは生きることに疲れて80代のようでした。そんな実際のシシィに近いと蘭ちゃんシシィが言われことに納得。

 みりおちゃんトート、カーテンコールで「健康に気をつけて生きていってください」の前に、「昨日受けたので今日もいいます」と。忘れないうちに備忘録でした。

 東宝エリザ、スルーしてしまった蘭ちゃんシシィにライブ配信で会えてよかったです。しかもみりらん、ライブ配信、ありがたいことです。月組から花組へと組替えしたみりらん。宇月颯さんの他に貴澄隼人さん、玲美くれあさんら芝居の月組出身のOGさん何人も、がっつり芝居のコンサートだったの納得かな。