たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』より-<いのち>への信頼

2021年07月24日 13時40分55秒 | 本あれこれ
「ロジャーズの根本仮説-宇宙には進化へ向かう傾向が備わっている

 ありのままの自分を受け入れること。自分の心の声に耳を傾けて、より深く”自分自身”になっていくその変化のプロセスを生きていくこと。

 これがロジャーズの基本メッセージなのですが、なぜ彼がそんなことをいうのか、その基本的な仮説をここで押さえておきましょう。

「実現傾向」-<いのち>への信頼

 ロジャーズによれば、花であれ木であれ、海草であれミミズであれ、猿であれ人間であれ、ありとあらゆる生命体は、自らの可能性を実現していくようにできています。「内的な刺激があろうとなかろうと、環境が好ましかろうと好ましくなかろうと、有機体の行動は自らを維持し強化し再生産する方向に向かっています。これが、私たちが<いのち>と呼んでいるプロセスの本質です。」(Rogers,1980)

平たく言えば、この世におけるすべての<いのち>あるものは、本来、自らに与えられた<いのちの働き>を発揮して、よりよくより強く生きるよう定められている、というわけです。例えとしてロジャースは、彼が少年時代に見た、小さな窓しかない地下室の貯蔵庫に入れられていたジャガイモを引きあいに出します。二メートルも地下に置かれているそのジャガイモは、それでも窓からもれてくる薄日に届こうと60センチも90センチも延びていく。ここに彼は生命の本質を見ます。「<いのち>は、たとえそれが開花することがなくても諦めません。おそろしく歪んでしまった人生を生きているクライエントと面接しながら、州立病院に戻ってきた人たちと接しながら、私はよく、あのジャガイモの芽を思い出します。彼らがあまりにひどい状況を生きてきたために、その人生は異常で、歪められ、人間らしくないように思えます。けれどその基本的な志向性は信頼することができるのです。彼らの行動を理解する手てがかりは、もちろん自分に可能なやり方に限られてはいますが、成長と生成に向かってもがいているということです。・・・この潜在的な建設的傾向がバースンセンタード・アプローチの基本なのです」(Rogers,1980)

 このようにロジャースは、人間とジャガイモとを共通のまなざしで捉えます。等しく<いのちへの働き=実現傾向>を分け与えられ、条件さえ整えば、自らの<いのち>をよりよく生きる方向へ向かうよう定められた存在として両者を捉えているのです。」

(諸富祥彦『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』1997年10月10日大一刷発行コスモス・ライブラリー、164-165頁)




来談者中心療法の創始者、カール・ロジャーズ1902-1987)はアメリカで自生まれ育った開拓民。
6人兄弟の5番目で親からの愛情がうすく、真ん中の兄弟の生きぬくさを体験。
秀才だが友達は少なく、空想癖があり一人でぼーっとしていることが多かった。
病弱で女性恐怖症の所が少しあり、お母さんがこわかった。
「ぼんやり教授」とあだ名をつけられる。
兄弟からいじめらえて内にとじこもる。問題児だった。
お父さんが仕事に連れて歩いた。

「巧妙で愛に満ちた支配」の家庭環境。いちばんわかりにくく、反抗しにくい。もっとも苦しい。
ロジャーズ家は原理主義的キリスト教家として有名だった。ガチガチのキリスト教。
神に選ばれた者にふさわしい生き方をしなければらならない、人間はボロ布のような存在であるという自己否定的な考え方の二つが柱。

全ては労働によって癒される。

学会出席のためアメリカから中国へ旅をした(往復半年間)ことがロジャーズの人生を大きく変えた。
いろいろな人と出会って「イエスは神にもっとも近い人間」だったことに気づく。
当時はEメールもなかったので親との連絡は船で時間をかけて運ばれる手紙のみだったことがロジャーズにとって幸いした。親からの自立を果たすことができた。親から反対されていることを全てやった。学生結婚と親の大嫌いな神学校への転向。

児童相談所を開設した時の経験からアプローチが作られていった。いろんなケースと出会ったことで勉強になった。

ロジャーズの人生そのものが自己己実現のプロセスだった。

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2004年に毎週金曜日の夜通ったカウンセリングスクールの資料を久しぶりに読み返しました。
受け入れることができない現実の連続に、いつの間にか、自分の視界がものすごく狭くなってきていることに気づきました。
もう少し気持ちが落ち着ける状況になれば資料や本を読み返して今一度原点に立ち返りたいと思います。
悩み葛藤する中から新たな光がみえてきます。ロジャーズに親との確執がなく、また今のようにメールやLINEがあったら来談者中心療法は生まれなかったのかもしれません。

2018年『ルーヴル美術館展』_「スペイン王妃マリアナ・デ・アスストリアの肖像」

2021年07月24日 01時03分40秒 | 美術館めぐり
2018年『ルーヴル美術館展』-古代エジプトより
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b1d3d36701d11e36d5e8c97994c534ec





《スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア(1634-1696)の肖像》

ディエゴ・ペラスケス(1599-1660)の工房
1652年頃
油彩/カンヴァス
絵画部門

「スペイン王妃マリアナ・デ・アウストリア-

 子供の頃からフェリペ4世の一人息子バルタサール・カルロスと婚約していたが、彼が1646年に早世すると、男子の後継者が必要になったフェリペと、1649年に14歳で結婚した。マリアナの母マリア・アンナはフェリペ4世の妹であるという関係から伯父と姪の近親婚になる。

2人の間に生まれた子で成人したのは、長女マルガリータ・テレサと三男カルロス2世(のちのカルロス2世)の2人である。」(ウィキペディアより)


 結婚で絆を深めるため、近親婚を繰り返したことにより健康な血を残すことができなくなったハプスブルク家の一人(『エリザベート』のシシィとフランツ・ヨーゼフ一世は従兄弟同士でお見合いしていましたね)。『ハプスブルク展』でウィーン美術史美術館より来日した、ベラスケスによって描かれたウィーン美術史美術館所蔵「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ(1651-1673)」のお母さんになります。王女マルガリータを中心にフェリペ四世一家を描いたプラド美術館所蔵「ラス・メニーナス(女官たち)」が一般的によく知られているでしょうか。

今日は一年ぶりの上野_『ハプスブルク展』に無事行ってきました
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b7db765e663597d5e02856323500dfd6



「王女マルガリータ・テレサ(1651-1673)-

 スペイン王フェリペ四世とオーストリア大公女マリア・アンナの第一子として誕生した王女マルガリータ・テレサは、幼くして叔父であり従兄弟にもあたるウィーン・ハプスブルク家のレオポルト一世の花嫁に定められていた(結婚は1666年)。現在、ウィーン美術史美術館に所蔵されているペラスケスの手になる王女の肖像画は、数年おきに成長を記録するかのように描かれ、その都度ウィーンに送られた。」(『ハプスブルク家-美の遺産を旅する』より)



フェリペ四世のお父さん、フェリペ三世は『エルハポン-イスパニアのサムライ』に登場しました。
フェリペ三世のお父さん、フェリペ二世は、『レディベス』に登場したフェリペ皇子になります。

いろいろみていると舞台の登場人物と肖像画の人物がつながっていることを発見できて楽しいですね。
調べ始めるととまらなくなりますがここらへんで・・・。

宙組『エルハポン-イスパニアのサムライ』
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/721fd01fb841df0996b82fb79c2feeb3