「マックスの本が今わたしの日の前に置いてある――『ニムルッドとその遺物』。彼の心底からの願
いが達成されて、わたしもこんなにうれしいことはない。ニムルッドはその百年の夢をさまされたの
だった。レイヤードが発掘を始め、わたしの夫がそれを完了させたのである。
彼はさらにもっとこのニムルッドの秘密を発見している――町の境界の外にシャルマネサルの大砦
をみつけたこと、墳丘の反対側に別の官殿を発見したこと。アッシリアの軍国首都カラーの話が明ら
かにされた。歴史的にニムルッドはその姿をありのままに知られるようになったが、その上に、職人
……というよりわたしはむしろ芸術家といいたい……の手によって制作された極めて美しい物が、世
界の博物館にもたらされたことである。精巧に、この上もなく美しく細工された象牙で、何とも美し
い物であった。
わたしは仕事の役目としてこれらの多くの物をきれいに掃除した。どんなプロでもだが、わたしは
自分の好きな道具を持っていた――オレンジの木の棒、非常に細い編針……あるシーズンには歯医者の
使う針、これは借りたか貰ったかしたものだった……それに化粧用クリーム、これはもろくなってい
る象牙を傷つけずに割れ目から泥をそっとうまく取り出すのに、何よりも役に立つことをわたしが発
見したものである。実はそんなわけでクリームがえらくたくさん必要で、二週間もすると、わたしの
あわれ年とった顔につけるものが何もなくなるという始末だった。
ほんとにすばらしいスリルだった――辛抱強く、細かな注意が必要だった、手を触れることも微妙だった。そして中でも最も興奮した日……わたしの生涯でも最高に興奮した日の一つであった……アッシリア時代の井戸渫いの作業をしていた人夫が、家へ駆けこんできて叫んだ。「井戸の中で女の人を見つけました!井戸の中に女がいました!」そして人夫たちはズック布に載せた大きな泥の塊を持ち込んできた。
わたしは喜んで大型の洗面器の中でそっと泥を洗い落した。少しずつ頭が出てきた。泥土の中に千五百年もの間保存されていたのだ。これまでに発見されたものの中で一番に大きな象牙細工の頭部であった。――柔らかな、薄茶色で、髪は黒、微かに色の残っている唇……古代城砦都市の少女らしい謎のような微笑をたたえていた。井戸の貴婦人――モナ・リザなどとイラク国古代文化庁の長官は彼女のことを呼ばうと強く主張していた……彼女は現在、バグダッドの新しい博物館にその所を得ているが、発見され最も興奮をおぼえたものの一つである。
まだほかにも多くの象牙細工があった、中にはあの頭部よりも見事とはいえないまでも、もっと美しいものさえあった。子牛に乳を飲ませている牝牛が首を後ろへ振り向けている象牙の額、窓から外を眺めている象牙の婦人、悪女ジゼベル(古代イスラエル国王アハブの妃)に違いない。二枚のすばらしい象矛額があった――牝ライオンに殺されている黒人、金色の腰布をつけ、髪に金のかんざしをつけて横たわり、夢中で首をのけぞらせているところへ牝ライオンがのしかかっている。その背後には庭の群葉がある――ルリ石、紅玉石、金が花と葉を形作っている。このような象牙額が二枚もみつかったとは、まことに幸運なことだった。一つは大英博物館にもう一つはバグダッドにある。
人間がその手で作り上げたすばらしい物を見る時、人は人類に属していることを誇りに感じる。人間は創造者であった……世界を作り、その中にある物すべてを作り、それをよとした造物主、神の神聖さのほんの少しばかりを、人は分け与えられているのに違いない。だが、神はもっと作るべきものを残しておいた。人の手によって作られるものを神は残しておかれたのだ。神が人間に作るべものを残しておかれたのは、人間は神の形に似せて作られたものなので、その神にならうように、そして人間がどんなものを作るか、それがよいものであるかどうかをみるためである。
想像の誇りは特殊なものである。大工でさえ、わたしたちの探検隊宿舎に一つにとんでもない形の木製のタオル掛けを作ったことがあった。彼は創造精神を持っていた。注文に反して、どうしてこんなばかでかい足をくっつけたのかときかれると、彼は非難めいた調子でいった、「あんなふうに作ったのは、ああすればとても美しいからです!」わたしたちにとってはとんでもない形であっても、彼にとっては美しいのである。それで彼は創造の精神から作ったのだ、それが美しいから。」
(『アガサ・クリスティー自伝(下)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷、307-309頁より)
『アガサ・クリスティー自伝』(下)_「第八部二度目の春」より
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ee60da212913604430cf95d36b3d84a2