2008年『フェルメール展』より-「絵画芸術」(1)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f2ad501910ac6a4107c16d85d5cfae57
ヨハネス・フェルメール《絵画芸術》
1666-1668年頃
ウィーン、美術館史美術館、油彩、カンヴァス
120× 100㎝
(公式カタログより)
「われわれの前に座っているのは、切れ目の入った黒い胴着とベレー帽という出で立ちの画家である。後姿でとらえられた彼は、腕木を支えにしつつイーゼル上のキャンヴァスに向かい、仕事をする。モデルは、頭に月桂樹の冠をかぶり、青い衣をつけ、大きな書物とトランペットを持ち、部屋の奥に立つ。この愛らしい魅力的な人物は、わずかに微笑み、フェルメールの他のモデルと同様、下向きの眼差しをやや半開きにする。冠の下からは彼女のブロンドの巻き毛が下がる。すぐ手前の、大きなタペストリーが脇に引き寄せられた左前景には、椅子とその向こう側のテーブルが見える。布が架かったそのテーブルの上には、大きな書物、開かれたノート、紙片、液体の小瓶、白石膏のマスクが載っている。美しい色合いの、質感豊かに描かれたタペストリーは、光源-明らかに左側の壁に背の高い窓がある-を隠す役割を担うとともに、空間の深窓感を大きく高める。フェルメール絵画のほかでも見られるように、椅子はまたルプソワール(引き立て役)としても機能し、あたかも、鑑賞者をアトリエを訪れた好事家代表として招き入れ、座って、肩越しに画家が制作する様を注意深く眺めるよう促しているかのようだ。遠近法の消失点は、フェルメールが消失点を引くのに用いたピンの穴として今も確認できるが、ちょうど女性の右手と背後の壁にかかった地図の黒い軸の先の真下にある。つまり、前景の椅子に腰掛けた者のほぼ視線の高さに位置する。ネーデルランド17州の大きな見事な地図は、1638年にクラース・ヤンスゾーン・フィッセルによって初版が刷られたもので、彼のラテン名「Nicolaum Piscatorum」をフェルメールははっきりと地図の右上端に沿って記入している。床はダイヤモンド形の白と黒の大理石タイルで装飾され、大きく精巧なつくりの真鍮のシャンデリアが天井のはりから下がる。じっくりと練り上げられたこの壮麗なアトリエは、フェルメール自身の狭苦しい上階の仕事場とは縁もゆかりもない。財産目録から判断する限り、彼の仕事場にはイーゼル2台、パレット、カンヴァス、板、象牙の取っ手の付いた腕枕、机、枝編みの椅子、銅製の湯たんぽ、スペイン製の椅子2脚、大型本とその他25冊の書籍、キューピッドを描いた絵画-間違いなくフェルメール自身の何点かの作品に描きこまれた絵画である-など、実用的で質素な家具しかなかった。本作品に描かれているのは、明らかに現実のアトリエでもなければ、現実のアトリエでの製作法でもない。たとえば、画家はまさにモデルの頭部の月桂冠の冠を描きつつあるようだが、モデルは重い物を手に、じっと直立姿勢を保つ必要などさらさらなかったであろう。
チェーザレ・リーバが『イコノロギア』と題された16世紀の有名な寓意画像集で記述しているように、この画家のモデルは歴史の女神クリオに扮装している。クリオは、リーバによれば、書物とトランペットを携える。フェルメール時代の同時代人であるサミュエル・ファン・ホーホストラーテンが書き、多くの読者を得た美術理論書『絵画の高等流入門』(1678年)でも、そのような姿で描写されている。ファン・ヘルデンその他の研究者は、本作品に複雑な寓意を読み取ってきたが、手掛かりは、テーブル上の大きな書物やマスクなどの細部に求められた。それらは、クリオの姉妹たち、すなわちボリュムニアとエウテルベの書物、タレイアのマスクをほのめかすというのである。「歴史」という概念は「hisitoria」という言葉に由来し、15世紀の偉大な画家であり理論家であったレオン・バッティスタ・アルベルティはそれをなお元来の意味、すなわち単に「主題」という意味において理解していたようだ。しかし17世紀には、その言葉は、歴史、聖書、神話あるいは寓意の場面の描写をも意味するようになった。だからこそ、本作品の画家は歴史の女神がいる歴史画[物語画]を描いているのである。文献によると、クリオの月桂冠は名誉、栄光及び永遠の生を意味し、トランペットは名声を告げ知らす。また彼女が抱える大きな書物はツキディデスの書であろうが、歴史を象徴する。フルテンとファン・ヘルデルに従い、多くの研究者がフェルメールの絵画は歴史にインスピレーションを与えられた画家という寓意的図像だと解釈し、その考えを、フェルメールの時代には歴史画[物語画]が絵画の頂点と見なされていたという事実と関連づけた。」
→続く
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ヨハネス・フェルメール《絵画芸術》
1666-1668年頃
ウィーン、美術館史美術館、油彩、カンヴァス
120× 100㎝
(公式カタログより)
「われわれの前に座っているのは、切れ目の入った黒い胴着とベレー帽という出で立ちの画家である。後姿でとらえられた彼は、腕木を支えにしつつイーゼル上のキャンヴァスに向かい、仕事をする。モデルは、頭に月桂樹の冠をかぶり、青い衣をつけ、大きな書物とトランペットを持ち、部屋の奥に立つ。この愛らしい魅力的な人物は、わずかに微笑み、フェルメールの他のモデルと同様、下向きの眼差しをやや半開きにする。冠の下からは彼女のブロンドの巻き毛が下がる。すぐ手前の、大きなタペストリーが脇に引き寄せられた左前景には、椅子とその向こう側のテーブルが見える。布が架かったそのテーブルの上には、大きな書物、開かれたノート、紙片、液体の小瓶、白石膏のマスクが載っている。美しい色合いの、質感豊かに描かれたタペストリーは、光源-明らかに左側の壁に背の高い窓がある-を隠す役割を担うとともに、空間の深窓感を大きく高める。フェルメール絵画のほかでも見られるように、椅子はまたルプソワール(引き立て役)としても機能し、あたかも、鑑賞者をアトリエを訪れた好事家代表として招き入れ、座って、肩越しに画家が制作する様を注意深く眺めるよう促しているかのようだ。遠近法の消失点は、フェルメールが消失点を引くのに用いたピンの穴として今も確認できるが、ちょうど女性の右手と背後の壁にかかった地図の黒い軸の先の真下にある。つまり、前景の椅子に腰掛けた者のほぼ視線の高さに位置する。ネーデルランド17州の大きな見事な地図は、1638年にクラース・ヤンスゾーン・フィッセルによって初版が刷られたもので、彼のラテン名「Nicolaum Piscatorum」をフェルメールははっきりと地図の右上端に沿って記入している。床はダイヤモンド形の白と黒の大理石タイルで装飾され、大きく精巧なつくりの真鍮のシャンデリアが天井のはりから下がる。じっくりと練り上げられたこの壮麗なアトリエは、フェルメール自身の狭苦しい上階の仕事場とは縁もゆかりもない。財産目録から判断する限り、彼の仕事場にはイーゼル2台、パレット、カンヴァス、板、象牙の取っ手の付いた腕枕、机、枝編みの椅子、銅製の湯たんぽ、スペイン製の椅子2脚、大型本とその他25冊の書籍、キューピッドを描いた絵画-間違いなくフェルメール自身の何点かの作品に描きこまれた絵画である-など、実用的で質素な家具しかなかった。本作品に描かれているのは、明らかに現実のアトリエでもなければ、現実のアトリエでの製作法でもない。たとえば、画家はまさにモデルの頭部の月桂冠の冠を描きつつあるようだが、モデルは重い物を手に、じっと直立姿勢を保つ必要などさらさらなかったであろう。
チェーザレ・リーバが『イコノロギア』と題された16世紀の有名な寓意画像集で記述しているように、この画家のモデルは歴史の女神クリオに扮装している。クリオは、リーバによれば、書物とトランペットを携える。フェルメール時代の同時代人であるサミュエル・ファン・ホーホストラーテンが書き、多くの読者を得た美術理論書『絵画の高等流入門』(1678年)でも、そのような姿で描写されている。ファン・ヘルデンその他の研究者は、本作品に複雑な寓意を読み取ってきたが、手掛かりは、テーブル上の大きな書物やマスクなどの細部に求められた。それらは、クリオの姉妹たち、すなわちボリュムニアとエウテルベの書物、タレイアのマスクをほのめかすというのである。「歴史」という概念は「hisitoria」という言葉に由来し、15世紀の偉大な画家であり理論家であったレオン・バッティスタ・アルベルティはそれをなお元来の意味、すなわち単に「主題」という意味において理解していたようだ。しかし17世紀には、その言葉は、歴史、聖書、神話あるいは寓意の場面の描写をも意味するようになった。だからこそ、本作品の画家は歴史の女神がいる歴史画[物語画]を描いているのである。文献によると、クリオの月桂冠は名誉、栄光及び永遠の生を意味し、トランペットは名声を告げ知らす。また彼女が抱える大きな書物はツキディデスの書であろうが、歴史を象徴する。フルテンとファン・ヘルデルに従い、多くの研究者がフェルメールの絵画は歴史にインスピレーションを与えられた画家という寓意的図像だと解釈し、その考えを、フェルメールの時代には歴史画[物語画]が絵画の頂点と見なされていたという事実と関連づけた。」
→続く