2015年5月17日:旅の思い出写真_ノイシュヴァンシュタイン城
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6dca1ae239cd6c0c63855846dd2e1085
「ドイツロマンティック街道とゆったりスイスアルプス・パリ9日間」、
振り返ってみると自分へのご褒美のぜいたくな旅でした。
(家賃払いながらどうやっていけたのか、今となっては自分でも不思議・・・)。
日本を出発してから四日目の2007年10月23日(火)、
ライン河クルーズ→ロマンティック街道・ヴュルツブルク市内見学→ロマンティック街道・ローテンブルク市内の見学→スイスアルプスへとバスで長期離移動している途中でノイシュバンシュタイン城を訪れました。
移動途中からだんだんと雪が舞い始め、どんどんと降りしきる感じになっていって、
お城に着いたころにはすっかり雪に包まれていました。
雪が降ると静寂感もあって、途中の雪景色も、雪に包まれた城も、すごくきれいでした。
この頃はまだデジカメを持っていなかったし、写メの容量も少なかったし写メ自体がまだそれほど浸透していなかったかな、内部は撮影可でしたが一枚も撮りませんでした。現地で購入した絵葉書をアップ。切手を貼るところにはこの城を建てたバイエルン国王ルートヴィヒⅡ世の晩年の肖像画のあるとことがお茶目。
本物のシンデレラ城、グルグルと階段を登っておりて見学、終わって下に降り立った沖には時には目が回ってしまっていた記憶があります。細かいところの装飾までこだわりぬいていて豪華、とにかくすごいものを造ったもんだという印象でした。これは国のお財布はそうとうきびしかったでしょうねと思いましたが、日本語のガイドブックによると王は私財と王室費(国家君主の給料)を使い、さらに借金をし、借金は死後家族により返済されたとのこと。
王は『エリザベート』のシシィの従妹、劇中の「戦争はよその国にまかせておけばいい、幸運なオーストリアは結婚によって絆をふかめるのです」というシシィの義母でフランツ・ヨーゼフ1世の母ゾフィーの台詞にあるように、親族同士の婚姻を繰り返して領土を広げていったハプスブルク家の一員。病的な気質はあったのでしょうね、謎めいたところが多い分、惹きつけられずにはいられない魅力のあるところがシシィと同じ。
「ノイシュバンシュタイン城、調理場」で検索をかけると画像がいっぱい出てきますが、特に印象的だったのが調理場のすごさでした。
日本語ガイドブックより
「リンダホーフヤヘレンキームゼー宮殿の調理場は当時のまるまま残っていないが、ノイシュヴァンシュタインの台所は完全にそのまま保存されている。がっしりとした円天井を化粧しっくいのみかげ石の柱が支えている。温水のでる給水設備、完全自動回転車の野鳥獣肉グリルがあり、当時の厨房としては最新の設備であった。煙道の上昇熱風が羽根車を動かし、回転を歯車で串に伝えた(レオナルド・ダビンチ)の発明による。
真中になる大ストーブの煙は床下より外に導いた。煙突のストーブの熱は、パン焼きオーブン横の壁に埋め込んだプレートウォーマーで食器を暖めた。出口の扉の横にみかげ石の魚槽があり、蛇口は白鳥の頭の形をしている。台所は2年間だけ使用された。台所の外に次の間があり、従業員の休憩室であった。窓横の一角は厨房シェフが事務をとる所で、ガラス壁で仕切ってある。
台所出口にむかって食器洗い場をのぞくことができる。1884年にはすでに地下、つまり1階から温風の中央暖房があった。通気縦杭を通って温風が上階の部屋へと流れる。大量のまきを運ぶために専用の昇降機があった。」
ノイシュヴァンシュタイン城-このカタカナ表記、現地で購入した日本語ガイドブックにそっています。
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6dca1ae239cd6c0c63855846dd2e1085
「ドイツロマンティック街道とゆったりスイスアルプス・パリ9日間」、
振り返ってみると自分へのご褒美のぜいたくな旅でした。
(家賃払いながらどうやっていけたのか、今となっては自分でも不思議・・・)。
日本を出発してから四日目の2007年10月23日(火)、
ライン河クルーズ→ロマンティック街道・ヴュルツブルク市内見学→ロマンティック街道・ローテンブルク市内の見学→スイスアルプスへとバスで長期離移動している途中でノイシュバンシュタイン城を訪れました。
移動途中からだんだんと雪が舞い始め、どんどんと降りしきる感じになっていって、
お城に着いたころにはすっかり雪に包まれていました。
雪が降ると静寂感もあって、途中の雪景色も、雪に包まれた城も、すごくきれいでした。
この頃はまだデジカメを持っていなかったし、写メの容量も少なかったし写メ自体がまだそれほど浸透していなかったかな、内部は撮影可でしたが一枚も撮りませんでした。現地で購入した絵葉書をアップ。切手を貼るところにはこの城を建てたバイエルン国王ルートヴィヒⅡ世の晩年の肖像画のあるとことがお茶目。
本物のシンデレラ城、グルグルと階段を登っておりて見学、終わって下に降り立った沖には時には目が回ってしまっていた記憶があります。細かいところの装飾までこだわりぬいていて豪華、とにかくすごいものを造ったもんだという印象でした。これは国のお財布はそうとうきびしかったでしょうねと思いましたが、日本語のガイドブックによると王は私財と王室費(国家君主の給料)を使い、さらに借金をし、借金は死後家族により返済されたとのこと。
王は『エリザベート』のシシィの従妹、劇中の「戦争はよその国にまかせておけばいい、幸運なオーストリアは結婚によって絆をふかめるのです」というシシィの義母でフランツ・ヨーゼフ1世の母ゾフィーの台詞にあるように、親族同士の婚姻を繰り返して領土を広げていったハプスブルク家の一員。病的な気質はあったのでしょうね、謎めいたところが多い分、惹きつけられずにはいられない魅力のあるところがシシィと同じ。
「ノイシュバンシュタイン城、調理場」で検索をかけると画像がいっぱい出てきますが、特に印象的だったのが調理場のすごさでした。
日本語ガイドブックより
「リンダホーフヤヘレンキームゼー宮殿の調理場は当時のまるまま残っていないが、ノイシュヴァンシュタインの台所は完全にそのまま保存されている。がっしりとした円天井を化粧しっくいのみかげ石の柱が支えている。温水のでる給水設備、完全自動回転車の野鳥獣肉グリルがあり、当時の厨房としては最新の設備であった。煙道の上昇熱風が羽根車を動かし、回転を歯車で串に伝えた(レオナルド・ダビンチ)の発明による。
真中になる大ストーブの煙は床下より外に導いた。煙突のストーブの熱は、パン焼きオーブン横の壁に埋め込んだプレートウォーマーで食器を暖めた。出口の扉の横にみかげ石の魚槽があり、蛇口は白鳥の頭の形をしている。台所は2年間だけ使用された。台所の外に次の間があり、従業員の休憩室であった。窓横の一角は厨房シェフが事務をとる所で、ガラス壁で仕切ってある。
台所出口にむかって食器洗い場をのぞくことができる。1884年にはすでに地下、つまり1階から温風の中央暖房があった。通気縦杭を通って温風が上階の部屋へと流れる。大量のまきを運ぶために専用の昇降機があった。」
ノイシュヴァンシュタイン城-このカタカナ表記、現地で購入した日本語ガイドブックにそっています。