「私は決して偏食の子どもではなかった。人参もピーマンも好きだったし、肉も魚も嫌いなものはなかった。
ただ、少し変わっていることといえば、蕪(かぶ)の葉のぬか味噌漬けがやたらと好きなことぐらいだった。こまかく刻んであたたかいごはんの上にのせ、しょうゆを少したらして食べるのは、その歯ごたえと舌ざわりとかおりが微妙に調和してなかなかの味なのである。
私の行っていた幼稚園は、全部で4-50人という家庭的な小さなところだったが、その中で私は、何事も率先して走りまわり、チャンバラをし、木に登り、穴を掘り、ガラスを割り、生傷の数もどの子どもにも負けなかった。しかし、そこにも私に張り合う乱暴者のガキ大将が一人いた。彼は、みんなに恐れられていたのだが、私は正義の味方として、ただ一人毅然と彼に立ち向かう男であった。もっとも私にも年下の子分が何人かいたことを思うと、彼から見れば、私は全く許せないガキ大将だったのかもしれない。
朝から遊びまわって腹ペコになった私にとって、お弁当の時間は何よりも楽しい一時だった。食事の前のお祈りの時-この幼稚園はカトリック系だった-私はうす目をあけて、先生がお祈りの終わりを告げる言葉を今か今かと待ち続けていた。そして誰よりも早くカチャッという音をたてて弁当箱をあけるのが楽しみだった。
私のお弁当はいつも色とりどりであり、時にはおかずで図形が描かれていることさえあった。そしていつも、そのおかずのどこかに例の蕪の葉の漬け物が入っていた。母の絵を楽しむことなどほとんどなかった私だが、このお弁当は毎日楽しみだった。
ところがある日、例のガキ大将が私のお弁当をのぞき込み、「なんでェ、女の子のお弁当みたいにちゃらちゃらしてさ」といって笑った。彼の弁当箱の中をのぞくと、それは黒一色だった。しゅうゆをつけたノリが、ごはんの上に一面敷きつめられていたのだ。彼は追い討ちをかけるように、「これが男の食べものだ」と胸を張った。私は反論するどころか、全くそれこそ男の食べものだと感心してしまったのである。
その日、私は母にあしたからのお弁当は蕪の葉以外のものは入れないでくれと主張した。翌日、一面緑のお弁当を期待してあけた弁当箱には、いつもよりいくらか緑のスペースは広かったものの、やはり楽しげにいろいろなおかずが並んでいた。私は再び母に、こういうものでは男として困るのだといい、翌朝のお弁当詰めを監視することにした。
その日、私はお弁当の中身を確認して、意気揚々と小さなバッグを肩からさげて小走りに幼稚園に向かった。バッグの中では弁当箱がカタカタと快い音をたてていた。
いよいよ待ちに待ったお弁当の時間がきた。私はガキ大将をそばへ呼び、おもむろに一面緑の弁当を見せた。彼は何もいわずに黒一色の弁当を食べ始めた。私も緑一色の弁当を食べ始めた。
ところが、一口食べたとたん、蕪の葉以外の味が口の中に広がった。私の弁当は二段重ねの構造になっていたのだ。下にごはんが詰められ、その上に、いつものようにいろいろなおかずが敷かれ、再びごはんの層があり、その上に蕪の葉がのせられていたわけだ。私はいささか不服ではあったが、その味はなかなかのものだった。
こうしたお弁当を何回食べたかはもう忘れてしまったけれど、母のことだから、蕪の下のおかずもいつものように楽しく飾られていたにちがいない。
うちも、決して裕福な家ではなかったが、少しでも栄養をつけさせようという母の気持ちは、今考えてもうれしいものである。そして、あのガキ大将がどんな気持ちで私のお弁当をながめていたかを思うと、少し胸が熱くなる。」