たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-「19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者」(2)

2021年11月05日 00時53分43秒 | ミュージカル・舞台・映画
ブロードウェイミュージカル『ニュージーズ』-「19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/569b31e5b2654d9a66d1543353fe4644

(公演プログラムより)

「『ニュージーズ』-19世紀の世紀末の混沌とした時代と少年労働者 君塚淳一(筑波大学アメリカ文化)

-1890年代という時代-

 都市周辺にはスラム街もできたし、ニューヨークは移民した書くエスニシティ(民族集団)によりブロックが分かれ、多民族がひしめく街になっていく。例えばこの時期、ロウアー・イースト・サイドには東欧から押し寄せたユダヤ人が、リトル・イタリーには特に南イタリアから来たイタリア人が、チャイナタウンには中国人と、それぞれの言語や文化そして宗教があった。その一方、当時の高級住宅地にあたるハーレムには(のちにはゴーストタウン化してアフリカ系の街となる)、オペラハウスもあり、高給取りの職種の人たちが住み始めていた。都市の発展と産業、そして貧富の差、移民、多民族が織り交ざる混沌こそ19世紀の世紀末なのである。

-自由の女神の建立とピュリツァー-

 忘れてはいけないのがアメリカの象徴「自由の女神」とピュリツァーとの関わりだ。アメリカ独立100年を祝いフランスから贈られたこの像は、1884年に到着後、台座が資金不足で間に合わず、ようやく1886年に完成した。1890年代後半には、移民船に乗って長い航海で疲れ果てた新移民たちが、まずリバティ島に立つこの自由の女神を見つけ、アメリカに着いたことを実感し、リバティ島横の移民局があるエリス島に上陸、検査を受けてパスできれば入国という、移民にとって忘れられない光景となった。

 この自由の女神の”台座建立資金援助の寄付”が、ジョセフ・ピュリツァーがオーナーである「ニューヨーク・ワールド」紙を通じて国民に呼びかけられた。このことは、ピュリツァーの多くの伝記で偉業として語られる。ユダヤ系ハンガリー人として生まれたピュリツァーは、南北戦争の兵士募集を見てアメリカへ渡り、従軍後、セントルイスで新聞社のレポーターから始め、語学も執筆スキルも努力で身につける。妻が南北戦争時の南部連合の大統領ジェファーソン・ディヴィスの親類だったため援助はあったものの、新聞社のオーナーにまでなった苦労人である。ただ、結婚を反対されるからと、ユダヤ人であることを相手家族には隠していたという、したたかな面もあった。『ニュージーズ』には悪役として登場する彼が、自由の女神の台座の資金集めのみならず、世界的に有名な「ピュリツァー賞」で一般的には知られている。またニュージーズたちのストライキの頃は、視力がかなり落ち、体の不調も深刻であったことも伝記では明らかにされている。」

                                →続く

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