行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

回顧、ベルリンの壁

2009-11-10 22:48:00 | Weblog
ベルリンの壁が崩壊して20年経つ、ブランデンブルグ門で盛大な式典が行われた。当時の首脳も参加していたが、最も考え深いのはゴルバチョフだろう。かつて、レーガン大統領はゴルバチョフ書記長が壁を崩したとさえ言ってその判断を称えた。私は壁崩壊の2年前だったか?ベルリンを訪れ、チャリーポイントと呼ばれる検問所を通って東ベルリンに入り1日だけ観光したが、機関銃を持った兵士の検閲は怖かった記憶がある。ペルガモン美術館を見たかったので東ベルリンに入ったのだが強制的に戦没者顕彰公園にも連れて行かれた。

壁崩壊後、再訪し、ブランデンブルグ門を徒歩でくぐり、東ベルリンに入った時は感激したものだった。西側ベルリンフィルハーモニー劇場の壁をはさんだ反対側は、ポツダム広場でくさはらであったが、壁崩壊後再開発され、ベルリンの中心地となりガラス張りの巨大なソニーセンターが建ち若者の街となった。

ベルリンが変わった以上に冷戦終結で世界は大きく変わった。壁崩壊は人々に自由を与えたが資本主義経済は必ずしも人々に幸福をもたらさなかった。皮肉なことに資本主義経済の基本である市場経済はロシアと中国に発展をもたらしたが貧富の格差と環境破壊をもたらした。昨年は金融市場経済のメッカ、米国ウオール街から発生した世界金融危機は全世界に大きなダメージを与えた。

壁崩壊20周年に参加したクリントン国務長官は「我々の歴史はベルリンの壁崩壊で終わってはいない。人々と自由との間には多くの壁が残っている。これにどう立ち向かうかだ」と言っている。
日本で言えば、冷戦崩壊の恩恵を受けてないのが基地の街、特に沖縄だろう。沖縄は20年間、何の変化もない、日米間で平和の配当を検討して貰いたい。
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