行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

ODAもハード(箱もの)からソフトへ

2009-11-30 23:27:50 | Weblog
日本経済新聞社の世論調査で、鳩山内閣が68%の高支持率を維持したが、これは2010年度予算の概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」作業が評価された結果といえる。いろいろ批判はあるが税金の使い方が公にされ、議論されたことは画期的なことだ。

途上国の支援を仕事としてきた自分にとって、後半の場面でODAが俎上に載りこれまでの考え方が180度変わり、箱ものハードの援助からソフト援助へ重点を移す議論が出てきたことはまさに我が意を得た思いであった。

インフラ整備の遅れてる途上国に発電所や道路、飛行場を援助することは重要であるが、それだけに特化することは効率性、長期的な効果、日本と相手国との友好を考えると税金の使い方としては適切でない。

自分の見てきた中で例を挙げると北京新空港や高速道路が日本の円借款が使われたことなど中国人のほとんどは知らない。モンゴルのカラコルムに巨大な小麦用の穀物エレベータ施設があるが小麦の植え付けゼロとなり、廃墟と化している。サモアの空港でも職員にこれは日本の援助で作ったと言ってもきょとんとしている。

それに比べ、途上国から2週間でも、若手研修生を受け入れるとその人の家族や職場の同僚も日本のファンとなる。受け入れ留学生はやがてその国の各分野のトップとなり、その国だけでなく日本にとってもかけがえのない人材となる。児童労働対策では教育が最も効果的なので小学校を造って善しとするが、問題は先生の養成であり、教育方法をどう支援するかだ。カンボジャではNGOやODAが小学校の建物を建ててくれるのは有り難いが、肝心の先生がいないと嘆いていた。

ハードの援助は作った当初は日本のおかげと喜んでくれるが、人が代替わりすると忘れられてしまうし、機械ものは故障でもして部品が滞ると廃品となり、配慮が足りないとされる。ソフトの援助は人材投資のようにハードみたいな巨額な費用はかからないが20年、30年も効果があり、裨益が継続する。

何年か前、今岐阜の知事になっている方が外務省の開発局長だったが、アポを取り、ソフトの重要性を説いたのだが、「国会の先生方はかたちが残るものでないとだめ、援助したダムや橋がその国の紙幣に印刷されれば喜んでくれる」と聞く耳を持たなかった。まさに隔世の感だ。
コメント (1)
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