行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

イスラマバード回顧

2011-05-06 23:17:49 | Weblog

オサマ・ビン・ラデンがイスラマバードの北70kmのアボタバードに2005年から住み、米軍に発見され殺害されたというニュースは大きな衝撃を世界に与えた。米国ではオサマの死体の写真やイラスト掲載を禁じたオバマ大統領の命令に対する賛否がやかましいが、一方でパキスタン政府や情報部に対する疑惑が俎上に浮かび上がった。オサマ家族が灯台もと暮らしができたのは何らかのパキスタンの協力があったのではないかという疑惑だ。

私は2004年にイスラマバードへ2回ほど出張し、イスラマバード近郊のダムや炭鉱、工場の労働安全衛生関連の技術支援を実施し、アボタバードの近くにも行った。その際、幅広く議会のトップや労使のトップと接触し話を聞き、生産性向上についての講演もその後テロで爆破されたマリオットホテルで行った。

その時の印象から、パキスタンという国の不思議さに魅力を感じた。英国の植民地からの独立はインドと同様で、しっかりした議会と政党があるが、一方で核兵器を持つ軍の力も巨大だ。国の名前にイスラムが付くくらい宗教には厳格で、多くの女性が黒いブルカを被る一方、上流階級のクラブでは華やかな民族衣装の女性が夜遅くまで食事を楽しんでいる。

北朝鮮への核技術の流失が闇の市場で行われ、カーン博士が巨額の利益を上げてもまだ彼は国民の英雄だ。大土地を所有する地主は自分の王国のように振る舞い、法の支配が及ばないこともある。貧困にあえぐ小作人は子供まで働かせる。オサマの隠れ家が大きいとか塀が高く有刺鉄線が張ってあるとか報道されてるが、イスラマバードでは日本大使館をはじめ各国大使館は同じような仕様の防護柵を構築している。

私が炭鉱を訪問した時、護衛の警官が4人も付いた。地方へ行けば山賊が出るので治安上大金持ちは防護柵を造り厳重な警戒をしている。だからオサマの屋敷は目立たず、しかもまさかのイスラマバード近郊なので、長い間見つからなかったのだろう。米軍ヘリが進入することも判らなかったのだからパキスタン政府や軍はオサマ邸宅に気がつかなかったと私は見ている。

イスラムの国だが、イスラマバード近郊にはガンダーラ文明時代に栄えた仏教文化のタキシラ遺跡があり、博物館(写真)には多くの仏像が展示されていて訪れると奈良にいるような静けさを味わえた。この国で多くのテロが起きてるとは信じがたい不思議な気分だった。

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