元連合会長の笹森さんのお別れの会が昨日あった。笹森さんとは1984年労働界が念願の民間連合ができた時、政策要求の柱、エネルギー政策を伴に策定して以来のお付き合いであった。その時笹森さんは民間連合の事務局次長として政策担当、私は電機労連(当時)の政策責任者で、民間連合のエネルギー部会長だった。二人ともまだ40代で若かった。
今焦点となっている原発については、反原発運動を推進してきた総評系や新産別系の産業別組合もあるなかで何とかまとめようと苦心をしたあげく、安全性を確認しながらつなぎのエネルギー源として国民の理解を得ながらやって行くといった方向で全体合意を取り付けた記憶がある。
そうした縁で、私はその後、10年ぐらい社会党系のエネルギー政策を考える会の座長みたいなことをやらされ、国内どころか世界の原子力関連施設の調査でかけづり回った。多くの組合員が放射線管理下で働いている現実を考えると、被曝線量の問題が最重要課題で、如何に安全を確保するか大いに議論をした。当時は線量単位がレムで今のシーベルトではなかった。
笹森さんはその後、連合事務局長から会長に上り詰め、理路整然としたわかりやすい話ぶりで聞いていて楽しかった。国際舞台では国際自由労連(ICFTU)の重鎮として、とかく欧米に遠慮しがちな日本人とは違ってアジアの代表として歯に衣着せぬ発言は時には物議をかもし、恐れられた。
そのお別れの会が残念ながら菅内閣に乗っ取られた。祭壇のメイン会場は菅首相をはじめ2名の閣僚を除く全閣僚と衆参議長、小沢、鳩山等民主党の面々、野党の全党首、などが占め、SPのものものしい警戒で、労働組合関係の友人は主要な幹部を除き、私を含めて別室で液晶画面を眺めると言った事態、笹森さんが内閣の特別顧問といってもちょっとおかしいのでは、発起人は皆組合関係者なんだから
笹森さんはあちらからこの事態をどう見ているのだろうか?決して喜んではいないだろう。