福島第1原子力発電所事故は世界史に残る大惨事であり、外国大使館員は一時東京を脱出し、大阪に移ったほど厳しい事態だった。外資系に勤めていた息子も会社より家族を東京から避難させることを提案された。原発は多重防御で守られており、事故は起きないと、ことある毎に主張し福島県は東京のために原発を受け入れ協力してきた。その神話は、大津波で一気に崩れた。一方東北電力女川原発は歴史的な根拠から高所に位置し、津波の被害は無いどころか、地震の避難所になり、地域に貢献した。
この差はどこにあるのか裁判の過程で明らかになった。初公判以来31回に及ぶ公判では、東電側の社員や元社員が法廷で証言。巨大地震を巡る政府機関の長期評価(2002年公表)に基づく試算で、最大15.7メートルの巨大津波が襲来すると報告を受けた武藤氏が一度は防潮堤設置の手続きなどを調べるよう指示しながら、方針転換して対策を見送ったなどと証言していた。
これに対し、当時の責任者武藤元副社長は08年2月の会議で津波の簡易試算結果を記載した資料が配布された点を問われ、「説明を受けていない」と回答。元社員らはこの会議で「長期評価に基づいて津波対策をする方針が了承された」と述べたが、武藤氏は「会議は何かを決める場ではない」とした。神話を生み出す以上、万善の対策が採られてしかるべきところ、あまりにも無責任な経営者で、部下としてはやってられないと言いたくなるだろう。私の知人で東京電力社員は原発とは関係ない部門だったが毎日周囲に「申し訳ない」と頭を下げていた。
国の長期評価で大津波が来るとされた以上、ただちに工事を始めるべきだった。
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