行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

ハロン湾逍遥

2008-11-04 01:28:53 | Weblog
朝、ホテルの窓からハロン湾に展開する奇妙な島々を見た。昨夜は深夜に部屋に入ったので気がつかなかった。朝日で島々は影絵のような芸術作品となっていただ!
10時、観光船に乗り込んで島々の中に入ってゆく、すばらしい自然の造形美としか言葉が浮かばない。船内でヴェトナム料理が出され一時賑やかになったがそれ以外は景色に見入って静かなものだ。ここでガイドに聞いた話だが、13世紀蒙古が攻めてきた時、浅いハロン湾にたくさんの杭を打ち込み蒙古水軍の大型軍船を立ち往生させ、火矢を射て全滅させたと云う。この国は戦いの中で生きてきたことを再認識した。平和を得てから22年、市場経済化を取り入れ確実に発展してきたが貧富の差が大きくなったのではないだろか?4年前に来たときと異なり、ハノイでパリの凱旋門を真似た門を備えた高級マンションを見た時には驚いた。
中国の二の舞にならければよいが
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今日からヴェトナムへ

2008-11-03 00:20:53 | Weblog
1週間の息抜きでハロン湾、アンコールワットなど世界遺産を訪ねる。かつて仕事で出張の時はパソコンを持参してたが、重いので携帯を活用している。やはり入力に限界があるので文章で短くなる。その代わり実況放送風なるかもしれない。不景気のせいか成田空港は長い列ができる荷物検査や出国管理も10分足らずで終了してヴェトナム航空955便に乗り込んでハノイへ、約6時間のフライト
ハノイは30年ぶりの大雨で洪水状態、養殖池があふれ魚を捕る人も、主要道路は通れるので、空港からバッチヤンという陶器の伝統工芸村を訪ねた。絵は若い人が手書きで付けていたが、登り釜は無く4階にガス炉を置き使っていたので風情がなかった。ヴェトナム風のデザインは日本と違うので面白かった。
今宵の泊まりはハロン湾を望むホテル
阿島征夫
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ハロウィンの思い出

2008-11-01 18:19:18 | Weblog
昨日はハロウィンの日でショッピングセンターやデパートではカボチャのランタンを飾り、売り出しをしている。こうした風景が見られ出したのは最近だと思うが、パーティまでハロウィンにかけて最近ではやっている。先週、ある英会話スクールのパーティに招かれたが先生方が思い思いの仮装をして楽しんでいた。集うのは若者ばかりでちょっと抵抗を感じたが話の中にはいるとほとんどが働きながら夜この英会話学校に来ている若者で、話題は英語をどうしたらものにしようかと真剣そのもの、その1人は居酒屋チェーンの店長さんだった。不景気で店のことを心配しながら勉強している。日本の若者も捨てたものではないといい気分になった飲み会だったが昔のことを思い出させてくれた。
ハロウィンなるものを初めて私が体験したのは1979年米国出張のおりで、お土産にカボチャのランタンチョコを買ってきた記憶がある。当時、日本のカラーテレビが米国市場を席捲し、日米貿易摩擦が発生し、カラーテレビの輸入制限が米国議会で取り上げられた。電機労連が故竪山委員長を先頭にチームを組み米国議会や商務省に、現地生産をするので輸入制限は止めてくれと働きかけた。私はそのチームの末席であったが初めての米国訪問で印象に強く残っている。特にワシントンから南部や西部の続々と建てられた日系各社の工場を訪問し、その若い組合員と交流をしたが新興日本の工場で働ける喜びを率直に表明していた。工場のある自治体は私たちに臨時マーシャルを任命するといったライセンスまで出して歓迎してくれた。当時の米国は物作りを基本に雇用を創出しようという雰囲気がまだまだあった。これらの工場は今ではほとんどメキシコや他の途上国に移り、そこに働いてた人々はどうなったのであろうか?
経済に占める製造業のステイタスは低くなり、金融がのし上がったわけだが今回のバブルがはじけ改めて米国は物作りの大切さをかみしめていることだろう。日本はその教訓を生かさなければならない。
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