昨日はハロウィンの日でショッピングセンターやデパートではカボチャのランタンを飾り、売り出しをしている。こうした風景が見られ出したのは最近だと思うが、パーティまでハロウィンにかけて最近ではやっている。先週、ある英会話スクールのパーティに招かれたが先生方が思い思いの仮装をして楽しんでいた。集うのは若者ばかりでちょっと抵抗を感じたが話の中にはいるとほとんどが働きながら夜この英会話学校に来ている若者で、話題は英語をどうしたらものにしようかと真剣そのもの、その1人は居酒屋チェーンの店長さんだった。不景気で店のことを心配しながら勉強している。日本の若者も捨てたものではないといい気分になった飲み会だったが昔のことを思い出させてくれた。
ハロウィンなるものを初めて私が体験したのは1979年米国出張のおりで、お土産にカボチャのランタンチョコを買ってきた記憶がある。当時、日本のカラーテレビが米国市場を席捲し、日米貿易摩擦が発生し、カラーテレビの輸入制限が米国議会で取り上げられた。電機労連が故竪山委員長を先頭にチームを組み米国議会や商務省に、現地生産をするので輸入制限は止めてくれと働きかけた。私はそのチームの末席であったが初めての米国訪問で印象に強く残っている。特にワシントンから南部や西部の続々と建てられた日系各社の工場を訪問し、その若い組合員と交流をしたが新興日本の工場で働ける喜びを率直に表明していた。工場のある自治体は私たちに臨時マーシャルを任命するといったライセンスまで出して歓迎してくれた。当時の米国は物作りを基本に雇用を創出しようという雰囲気がまだまだあった。これらの工場は今ではほとんどメキシコや他の途上国に移り、そこに働いてた人々はどうなったのであろうか?
経済に占める製造業のステイタスは低くなり、金融がのし上がったわけだが今回のバブルがはじけ改めて米国は物作りの大切さをかみしめていることだろう。日本はその教訓を生かさなければならない。
ハロウィンなるものを初めて私が体験したのは1979年米国出張のおりで、お土産にカボチャのランタンチョコを買ってきた記憶がある。当時、日本のカラーテレビが米国市場を席捲し、日米貿易摩擦が発生し、カラーテレビの輸入制限が米国議会で取り上げられた。電機労連が故竪山委員長を先頭にチームを組み米国議会や商務省に、現地生産をするので輸入制限は止めてくれと働きかけた。私はそのチームの末席であったが初めての米国訪問で印象に強く残っている。特にワシントンから南部や西部の続々と建てられた日系各社の工場を訪問し、その若い組合員と交流をしたが新興日本の工場で働ける喜びを率直に表明していた。工場のある自治体は私たちに臨時マーシャルを任命するといったライセンスまで出して歓迎してくれた。当時の米国は物作りを基本に雇用を創出しようという雰囲気がまだまだあった。これらの工場は今ではほとんどメキシコや他の途上国に移り、そこに働いてた人々はどうなったのであろうか?
経済に占める製造業のステイタスは低くなり、金融がのし上がったわけだが今回のバブルがはじけ改めて米国は物作りの大切さをかみしめていることだろう。日本はその教訓を生かさなければならない。