リビエラ海岸の5つの村が世界遺産になった。何故これが文化遺産なのかいってみないと判りずらい。都市間戦争の犠牲者が海辺の断崖に逃げて住み着いたぐらいの知識であった。実際は「平地がなく、土地が痩せているチンクエ・テッレで、人々は生きるため、急斜面の固い岩盤を砕いてできた石垣の上に畑を作った。畑の土壌となるのは岩盤を砕いた際に出てきた砂。数百年かけて築かれてきた石垣の総延長は、なんと 6,700 キロメートルに及び、日本列島を往復できる距離である。努力のかいあってこの痩せた土地にも何とか根付いた作物がブドウであった。人々はこのブドウから作るワインで生活してきた」
日本だと石垣苺は有名だが、ここの石垣ワインについて1500年代の古文書は「ここで育つブドウは、あまりたくさんの実をつけない。しかし、そのぶん味が凝縮したコクのあるワインが産まれた。それは古くからジェノバの商人によって、広く輸出されていた」と記されている。こうした人々の永年の努力で街作りがなされ、文化遺産と認められた。
当日は、30度をこえる暑さで、坂道の街を散策するより、海を眺めながら地中海のマグロや鰯のカルパッチョで白ワインを味わうだけだった。