週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#0271 -’19. 本日(12月23日)は韻松亭でランチ

2019年12月23日 18時40分25秒 | 訪問した食事処、お茶処

東博で開催されている特別公開 高御座と御帳台を見学するために上野のお山に行ってきた。

高御座等を見学して外に出てくるとお昼を少し過ぎていました。

今回予定していた食事処は韻松亭東天紅の海燕亭のどちらかでした。

近いのは、上野のお山にある韻松亭ですが、待たされることです。

海燕亭は不忍池の畔のビルですから、少し歩かねばなりませんが、直ぐに入れます。

以前に海燕亭にお邪魔したときのスレッドはこちらです。

韻松亭は何度も入りそびれている私です。

家内は何度も入っているが、自分も何度も前を通っているものの、いつも混んでいて待ち時間が長くパスしている。

今回は、月曜日で殆どの上野のお山の美術館・博物館などは休館日ですから、入るのには狙い目です。

と言う事で20分以内待ち時間なら入るとの事で名前を言って待ちました。

その時間程度で入ることができました。

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4  上野と共に育まれた韻松亭の歴史

明治8年創業の韻松亭の歴史は、上野公園の歴史でもあります。明治政府は、欧米諸国の例にならって都市公園建設を計画し、まず徳川家の菩提寺・寛永寺に白羽の矢を立てました。それまでの寛永寺は、全山に広がる大寺院でしたが、この公園化によって奥のごく一部に縮小されて、鐘楼だけが飛び地となって今の韻松亭の隣に隣接する形になりました。
政府はこうしてできた公園を訪れる市民の為に飲食施設も必要と考え、民間人を選んでいくつか造らせました。その一つが韻松亭であったのです。「鐘は上野か浅草か」と唱えられた鐘が「松に響く」さまを愛でた、当時の博物館館長、町田久成が名付け親です。  韻松亭のHPからの引用です。

5  頂いた小さなパンフレットからの引用です。

創業明治八年、「鐘は上野か浅草か」と詠われる寛永寺の鐘楼に隣接することから、当時の博物館館長・町田久成が「松に韻(ひび)く」さまを愛で、韻松亭と名付けました。その百四十年の歴史の中には横山大観がオーナーだったこともあります。修行を積んだ板前の料理に舌鼓を打ち、美酒を悦しみながら、古に思いをはせる。そんなひとときを韻松亭でお過ごしくださいませ。

6  椅子席に案内されました。

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9   昼間からお酒を飲むほどの飲兵衛と思われるかもしれませんが、昼間の一杯が美味しいのです。

10  我が家が注文したのは下から二番目の花籠膳<雪>です。花籠、よせ豆富 生湯波 生麩田楽 蟹真丈 海老酒煮 近江赤蒟蒻 里芋 南瓜 茄子 他、茶碗蒸し、食事は豆ごはん。止め椀の赤だしです。彩りも美しか日本料理の神髄です。

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14   こちらは、お替りで頂いた豆ごはんと赤だしのお味噌汁です。

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