あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

モロッコ紀行 163 帰国

2017-06-02 | モロッコ紀行

 

 

カサブランカ空港から イスタンブールで乗換へ

来た空路と同じコースを辿り 

ツアー10日目 19時過ぎ 成田空港に無事に着陸し

帰国することができた。

 

「ゆったりモロッコ感動紀行 10日間」

と謳った ツアーに参加して

一番心配したのが天候だったが

幸いにも恵まれ 参加者17人と


ゆっくりした日程で よき思い出となった。 


また 漠然としたイメージで旅したが

モロッコはアフリカというより


もう欧州の一国とも思えるほどだった。 

 

7つの世界遺産 アトラス山脈 

黄金のサハラ砂漠 大西洋を望み

更にイスラム文化や民族問題の一面にも

触れることができ 

また かつての名作映画を見返すなど 

思い出深き旅となった。

 

このブログ「モロッコ紀行」も 163回にもなったが 

最後まで ご覧いただき ありがとうございました。

 

 

 収集した指ぬき

 

 


モロッコ紀行 162 サルマ王妃

2017-06-01 | モロッコ紀行

 

 


先日 NHKBSプレミアム
「世界プリンス・プリンセス物語」の放送があり

世界に27の国に王室があるが 
その一番手にモロッコの「サルマ王妃」が
取り上げられ 紹介されいていた。

このブログ 第23回王室(16/12/23)でも触れたが
モロッコ国王ムハンマド6世の妃ラーラ・サルマは
1978年 大学教授の娘に生まれた。

カサブランカでコンピューター・エンジニアとして働いていたが
ムハンマド国王に見初められ
 2002年3月に結婚した。

この2人の結婚は「異例ずくめ」で
中産階級出身の妃は初めて 花嫁の写真が公開され
4カ月後の祝賀の宴でもテレビ放映された。

こうして“国を変えた大恋愛“ は 
2004年新家族法の制定になり
「一夫一婦制」へとなっている。

サルマ王妃は 積極的に国王の代理として
各国の王室の結婚式やお祝いごとに

また 外交行事にも出席し 
ベルベット地に鮮やかな花柄の刺繍がほどこされた
伝統衣装カフタンに身を包む王妃は
 注目の的になっている。

わが国にも 2005年の「愛・地球博」に訪れ
モロッコ館のイベントに参加されている。

 


モロッコ紀行 161 ツアーバス

2017-05-31 | モロッコ紀行

 

 今回のツアー 2日目のカスブランカから

9日目再びカサブランカに戻る長旅に

お世話になったツアーバスだ。

8日間 延べ約2263km 一日平均283kmになる。

 途中アトラス山脈越えの悪路や細い道 交通規制を凌ぎ

これをこの運転手さんが一人で全部運転してきている。

添乗員入れて18人の身を守り

安全運転に勤めてくれた運転手さんに

感謝し あらためてお礼を!

 

 

 


モロッコ紀行 160 ブライダルカー

2017-05-29 | モロッコ紀行

 

 

高速道路を行く その途中で
“ブライダルカー”を見る。

車にテープでラッピングするのは
トルコや中国でも見たが。
 

何か問題があるのか 路肩に停車している。
故障か? もしかしてケンカ! 成田離婚?
そなことがないように祈るが。


どこに向かうのだろうか 
ジブタル海峡を渡ってヨーロッパかもしれない。

モロッコ人にとって結婚は 
今においても家と家の結び付けが強く

相手を選ぶには家柄や経済力が重要視されている。
したがって親か家族が決めることが多いそうだ。

また 一夫多妻制(4人まで)が許されているが
第一婦人の許しがないとダメなので
今は 多妻は少なくなっているそうだ。




モロッコ紀行 159 高速道路

2017-05-28 | モロッコ紀行

 

 

ツアー最終 9日目 帰国のため
マラケシュからカサブランカ 
約250km先の空港へ高速道路を行く。

モロッコの高速道路は現在整備され
徐々にその距離を伸ばしている。

その整備には日本の資金や技術が
投入されているそうだ。

2010年 北アフリカを横断する大動脈
「アガディール-カイロ開発回廊」の
一部にあたる「マラケシュ-アガディール間が
また 2012年「地中海道路」が開通している。

制限速度は120km 
今回ツアーでは何回か高速を走ったが
渋滞的なところはなく スムーズに走れた。

しかし 取り締まりが厳しいようで
みな法定速度厳守で走っている。

料金所は有人で ETCは設備はされていない。

 

 

 


モロッコ紀行 158 フィナーレ

2017-05-26 | モロッコ紀行

 

 

馬術が終わった後 
中央のステージに若い女性ダンサ-が現れ

腰をくねさせながら踊っている。

遠くでよくわからなかったが
“ベリ-ダンス”でしだ。

ここで何故と思うが 昔の王宮ではこのように
余興として行われていたのかもしれない。


いよいよフィナーレだ 
花火が次々に打ち上げられ夜空に咲き

どのような仕掛けわからなかったが
アラビアンナイトの“空飛ぶ絨毯”も見える。


このようにして
モロッコ最後の夜の祭典の幕が下りた。

時間を見れば11時をまわって 
ホテルに着いたのは12時であった。

 

 

 


モロッコ紀行 157 曲芸

2017-05-25 | モロッコ紀行

 

 

 

部族ごとの鳴り物が終わり
いよいよファンタジアショ-が
宮殿前の広場で始まる。

 開始の音楽が鳴り響くと
先ほどテント内を回っていた部族グループか?
場内を行進していく。

 その後 闇を突き刺すような銃声が鳴り
 騎乗の男たちが現れ
疾走する馬上で曲芸が始まる。

このような曲芸 昔どこかで見たような気もするが 
十分な照明がない中で行われているので
少々盛り上がりにも
かけていたようにも思えたのは残念だった。

 

 


モロッコ紀行 156 ドリンクショー

2017-05-22 | モロッコ紀行

 

 

エッサウィラの観光を終え
再びマラケシュに戻る。

夕食後 モロッコ最後の夜 
オプショナル・ドリンクショー
「ファンタジア」の見学で

マラケシュの郊外にある「CHEZ ALI」へ

 

場内に入ると ライトアップされた千一夜物語をイメージした
宮殿のような建物が眼に飛び込んできた。

 

 

その宮殿に対峙した複数のテントがあり
レストラン形式になっている。

その一つ内の席へ

そのうち 民族衣装に身を包んだ
男女が踊りながら笛を吹き
タンバリンや太鼓を叩きつづけ
時には奇声を発してテント内に入ってくる。

それが部族グループごとに行っているのだろう
入れ替わり立ち代わり

何組のグループがリズムよく
唄い踊りながら客席をまわってくる。

テント内でのこの音楽とダンス 
我々異民族には少々抵抗が・・・

客人をこの踊りに誘い出そうとしているのだが
こちらは日本人 尻込み状態です。

欧州系の外人さんはリズムに乗って踊る人もいた。

 

 


モロッコ紀行 155 ムーレイ・エル・ハッサン広場

2017-05-20 | モロッコ紀行

 

 

自由行動後の集合場所になった

「ムーレイ・エル・ハッサン広場」

メディナの西側 港よりあり

最も賑やかな広場で 目印になる。

アフリカとは思えぬ

ヨーロッパの一都市に思える。


奥に 町のシンボル 

オクバ・ベン・ナフィ通りの時計塔が見え

手前には 白の建物にブルーの窓 

カフェテラスには

パステル色のパラソルが並ぶ。

 

 


モロッコ紀行 154 シーフード屋台

2017-05-19 | モロッコ紀行

 

 

海の門と広場の間に 

魚市場があり シーフード屋台が並ぶ。

獲れたての鰯 イカ カニなどが

所狭しと並べれれ ディスプレイされている。

グリルの香が漂うなか

客引きのお兄さんが盛んに呼び込む。

これらを値段交渉し注文すると

即 調理された魚介類が

脇のテーブルで食べられるのだ。

ここの魚は 他の町より 海水温が 低いため

身が引き締まっていて 美味しいという。

ある店には なぜか 

日本製のお皿 九谷焼?が並んでいた。

 

 

 


モロッコ紀行 153 子供たち

2017-05-18 | モロッコ紀行

 

  

スカラの砲台から子供たちが

盛んに競うように海へ飛び込んでいる。

小学生高学年のようだが 

今日は土曜日 学校も午前中で終わり

元気に遊んでいるようだ。

天気は 良くても 

大西洋の冷たい海流が

港にも流れ込んでいるようで

子どもたちの唇は紫色だった。

こんな光景を見て 

我が少年時代を思い出し 

またこちらも元気をもらった。

 

 

 

 


モロッコ紀行 152 漁港

2017-05-17 | モロッコ紀行

 

 

スカラの見張り台から 漁港を望む。

その向こうには「海の門」が見える。

この門 すべて石でできており

正面に刻まれた文字は

この門が 回教紀元の1184年 

つまり西暦1769年に建てられたことを記している。

鮮やかな青空の下 

漁港には 数えきれないほどの

漁船が 繋がれているが

すべてブルー色に塗られている。


また造船所には 鉄製ではなく全て木造で

手作りのようだが 

修理・造船中の船が並んでいる。


船首の下では 煙が上がっている。

磯の香りのなか 風に乗って 

獲れたての鰯を焼く臭いが伝わってくる。

 

因みに 昼食は イワシのグリルで

一皿に 6匹もてんこ盛り

やっとのことで 2匹を食べるのが

精いっぱいでした。

 

 

 


モロッコ紀行 151 スカラ

2017-05-16 | モロッコ紀行

 

 

スカラとは 海に突き出た城塞のことで
大砲を備えた見張り台である。

エッサウィラのスカラは 

先に話題にした北堡塁と
海の門の外側漁港の近くにと
2箇所にある。

北堡塁には上がれなかったので 
自由行動の時間に もう一つの
スカラへ行ってみた。


こちらは海の門から
入場料を払って 展望台へ上がると

正面に塔があり 登ることができる。

見張り台には 何門もの大砲が
海に向かって据え付けられており

1769年にアラウィー朝のスルタンによって
建造されたそうだが

要塞そのものは 16世紀にエッサウィラを
支配していたポルトガル人が築いている。


昔は 見張り窓だった丸い穴も 
今は 観光客の写真のスポットとして
踏み台や撮影台も備えてある。

丸窓からは メディナまでよく見え 絵になる。

 

 


モロッコ紀行 150 寄木細工

2017-05-15 | モロッコ紀行

 

日本でいえば 箱根の寄木細工があるが 

ここ北堡塁から城壁に沿って続く

スカラ通りからカスバの西側の通り沿いにも


寄木細工の店が並ぶ。

 

エッサウィラは ローマ時代から伝わる伝統工芸として 

品質の良い寄木細工が特産になっている。

楽器 手箱 鏡の縁 取っ手 テーブル

椅子 タンス 食器棚など

家具などが繊細なモロッコ芸術の遺産ともいえる

典型的な幾何学模様で装飾されている。


材質は ヒバの一種である材木がレモンの木

真珠層 黒檀 銀の糸などで細工されていき

これらの組み合わせにより他に例を見ない

様々な細工が生まれているという。

 


モロッコ紀行 149 北稜堡

2017-05-14 | モロッコ紀行

 

  

メディナの奥 北側にあり

海に突き出でどっしりと建つ「
北稜堡」へ。

スロープを上がると展望台になっているのだが 

当日は工事中で 登ることができなかった。

 

「稜堡」とは

中世ヨーロッパで発展した城塞の防御施設で

城壁や要塞の
外に向かって

突き出した角の部分をいう。

その発展は 火器の発明が発端になって

大砲による攻撃の死角をなくすために考案された。

堡塁全体は星形で 

日本では 五稜郭などに取り入れられている。

 

 城壁の左端に北堡塁が見える