カスバ街道も終点のワルザザードに近づき
その郊外 タウリルトの町に差し掛かる。
ここタウリルトのカスバは18世紀~20世紀にかけて
フランスの保護領下 モロッコ南部の砂漠地帯で絶大なる力を誇った
グラウイ家の居城。
地域の維持を図るために
フランス軍は 有力部族の地位を保全したが
なかでもグラウィを重用していたという。
今は 見学の施設になっている。
ロータリー 左側に市場 右手はカスバ
カスバ街道も終点のワルザザードに近づき
その郊外 タウリルトの町に差し掛かる。
ここタウリルトのカスバは18世紀~20世紀にかけて
フランスの保護領下 モロッコ南部の砂漠地帯で絶大なる力を誇った
グラウイ家の居城。
地域の維持を図るために
フランス軍は 有力部族の地位を保全したが
なかでもグラウィを重用していたという。
今は 見学の施設になっている。
ロータリー 左側に市場 右手はカスバ
ワルザザードへ向かう途中
ソクラの町から西に3kmにある
「ベンモロ・カスバ」で 写真タイム。
スペインでのレコンキスタ(国土回復運動)により
イベリア半島の地を追われ
モロッコに流れてきたスペイン系のイスラム教徒が
ナツメヤシの実で財をなして 建てたものだとか。
四隅に物見塔があるのが特徴になっている。
街道筋には カスバが点在するが このように
改造されてホテル・レストランとして利用されているものある。
因みに「カスバ」の意味はいろいろあるが
モロッコでは 地方の小さな砦や地方官の邸
または それらのある町全体を意味している。
カスバ街道をバスは順調に進み
右手にオートアトラス山脈が見えてきた。
山脈をラップする雲 髪の毛がよだつような雲
雲形からも気象の変化が厳しいところと 読み取れる。
さらに進む車窓から その変化を楽しむなか
見たこともない雲が面白かった。
舌? 白鳥? 飛行機? いろいろな形にも見える。
しかし 天候が急変するかもしれないこの地
のんびり楽しんでもいられないのではと。
ティネリールから カスバ街道を100kmほど走ったところ
「ダデス谷」と呼ばれる地域にある エル・ケラア・ムグナの町へ
このダデス谷は バラの栽培で有名なところで
特に エル・ケラア・ムグナは 有名なバラの産地のひとつで
ローズウォーターを蒸留する工場があり
毎年5月には バラ祭りも行われている。
街道沿いにある香水店に案内される。
日本人観光客が寄る店のようで 日本語も看板にある。
店内の棚にはびっしりと香水が並ぶが
バラの品種は非常に多く その中でも
香り良いもとされるのは ダマスク・ローズだそうだ。
シリアのダマスカスが 名前の由来で
昔メッカを巡礼したこの地の人が持ち帰って
栽培を始めたのが始まりとのこと。
トドラ渓谷から 再びテリネールに戻り
市内にある「ホテル・カスバ・ラムラニ」にて昼食となる
先のトドラ渓谷の ロッククライミングと同じく
モロッコでのバイクツーリングも人気があるようだ。
ヨーロッパ各地からスペイン経由 ジブラタル海峡を渡って
バイクツーリングを楽しんでいる。
ホテル玄関前にバイクが並び 店内では
その数だけ 革ジャン姿の若者が席をとっていた。
バイクの “スズキ” と バイク用品の “elf” が後援なのか
ホテルの入り口には その旗がはためく。
バイク仲間では elfは“カワサキ”
ホンダは“レプソル”というように
車と装備が一体化したイメージができているようだが。
それを払拭する作戦 新たなイメージつくりか?
果たして・・・
屏風のように切立った岩場をよく見ると
ロッククライマーたちが盛んに挑戦している。
ここは ロッククライマーたちの
練習場所として人気があるようで
ヨーロッパ各国から挑戦に来ていると
ガイドが説明してくれた。
岩壁と岩壁にロープで結び
サーカスのごとく渡っているのも見えた。
それにしても 命知らずで 勇気のある事
到底 真似はできません。
ティネリールでカスバ街道からそれて
15kmほど北にある「トドラ渓谷」へ
垂直に切り立った高さ200mほどの岩壁が
両側から屏風のように立ちはだかる景勝地で
岩壁の間は20〜30mほどの幅
この谷間から湧き出る水は渓流となって流れ下っていく。
この景色をみて 台湾旅行で
花蓮郊外にある太魯閣渓谷を思い出した。
バスは カスバ街道を西へ進む
途中 ティネリールの町に差し掛かり
見晴らしの良い地点で眺望タイム
前日見たズイズ渓谷よりは規模は小さいが
ここはトドラ川沿いのオアシスに位置し
これから向かう「トドラ渓谷」の入り口にもなっているが
歴史的にはフランス軍の駐屯地として建設された町である。
人口は約36千人 その多くはベルベル人だという。
カスバ街道を進む中 ツアーバスが停車
台形の盛り土があるところに案内される。
よく見ると 盛り土が
街道に沿って一直線上に並んでいる。
ところどころにヤグラも見える。
説明では これは 「カナート」といわれ
1世紀頃にペルシアから伝わった灌漑技術で
等間隔に竪穴を連続的に掘り進め
これらの穴の底を横に掘って
繋げていくことで 地下に水路を築いている
という。
縦穴は「モグラの穴」ともいわれ
上から覗いてみる 深さは5mほど。
山麓の地下水を水源とし
蒸発を防ぐために地下に水路を設け
延々と水を引いている。
長いものでは 200km以上も続いているとも。
砂漠の日の出鑑賞から戻り
エルフードのホテルを再出発
ツアー6日目 約400km先のワルザザートへ向かう。
その主要街道は 大アトラスの南を東西に走る
国道10号線 通称「カスバ街道」だ。
カスバとは 城壁で囲まれた要塞で
王や司令官などが住んでいる城郭のことで
この街道沿いには
赤い粘土を日干しした土レンガで
造られた大小のカスバが多く残っている。
また カスバと同じような「クサル」があるが
こちらは 城壁に囲まれ要塞化された村をいう。
日本でカスバと言えば 歌謡曲「カスバの女」の
「ここは地の果て アルジェリア
どうせカスバの夜に咲く・・・」
の歌詞を思い起こす。
日の出の鑑賞を終え 車が待つ脇
砂漠のオーベルジュで朝食となる。
「オーベルジュ」とは
主に郊外や地方にある
宿泊設備を備えたレストランである。
我々はパンを中心にバイキング方式での朝食。
レストランの前は
テント方式の宿泊施設になっている。
ツアーによっては この施設利用もあるようで
簡易シャワー 水洗トイレも 完備しているとか。
また 砂漠の中で満天の星を
仰ぐなって 感動ものと思う。
朝食を終え 再び4WDで
エルフードのホテルに戻る。
陽が上がり 砂丘の砂は 砂とは思えない
美しい色に陰影を付けて輝く。
滑らかさは人肌のごとく
丘陵の曲線は何とも言えない。
この砂のきめの細かさを活かして
ラクダ使いが 砂の上に
別グループの新婚さんのために
砂絵を描いていた。
左はエジプト 右はモロッコ
どうしても この砂が欲しくなり 持ち帰った。
モロッコの砂は 茶色で きめが細やか
握っても 指の間から漏れていく。
まさに 石川啄木の「一握の砂」を思い出します。
“いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと 握れば指の間より落つ”
ラクダ使いが 盛んに手招きしてくれている。
行ってみると ”クソ”は転がしていなかったが
スカラベ(クソころがし)がいた。
スカラベの名は 昔読んだ
「どくとるマンボウ昆虫記」(北杜夫著)だったが
この砂漠では ラクダのクソを餌にしているのかな?。
ツアーの事前の説明では
「砂丘での日の出鑑賞は 気温 5度前後と
かなり冷え込む中で
日の出を待つので 暖かい服装をしてください。
風があると コンタクトレンズをメガネに
精密機器のカメラ類は
透明のビニール袋に入れるなど
してください。」とあった。
幸い 風もなく 気温も 19度と
好条件の中 日の出の鑑賞ができた。
砂漠の中に 井戸を発見!
乾いた喉 思わず唾を吞み込んでしまった。
誰が使うのかと思ったら
車の駐車場脇にホテル・レストランがあったが。
また サン・テグジュペリの「星の王子さま」の中で出てくる
”砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ”
の一説を思い起こした・・・。
暗闇の中 日の出を見るにふさわしいと
思われる所にガイドに案内され
砂丘にシートを敷いて腰を下ろし
やがて上がりくる陽を待つ。
次第に辺りが明るくなりはじめ
闇の中に砂丘の稜線が見え
砂漠の全体が把握できる。
その先はアルジェリアになる。
次第に 自分たちの位置もわかり始める。
7時20分 陽光が我々照らし始め
砂丘の稜線の曲がり
柔らかさが 気持ちを揺るがす。