あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

信州紀行 稲荷山宿24 火の見櫓

2017-08-28 | 国内・長野

 

 

 街を巡ってきたが 宿の町 
要所要所に火の見櫓があった。

よく見れば 消防信号には、
火災、山林火災、火災警報発令、
火災警報解除及び演習召集とする信号があり、

それぞれ鳴らし方が 楽譜のように定められている。
先に触れたように ここ稲荷山宿での
大火災の教訓がここにもあった。

 

資料によれば
江戸時代 火災発生時に火の見櫓に取り付けた半鐘を鳴らし
消防団員を召集するとともに近隣住民に危険を知らせた。

元は 寺院で時間を知らせるために
使用されているものをこれに応用したという。

その鳴らし方の 音の数と間隔で
現場までの距離がわかるようになっている。

近くであれば 連打し続ける これを「スリバン」。
鎮火した時は 短く2回鳴らす これを「オジャン」とし
今でも やってきたことが 全てダメになる時に
「オジャンになる」というがここからきているという。

 今では聞くことのない「スリバン」の音は、
当方の幼少のころを

また 美空ひばりが唄う「おまつりマンボ」に
「スリバン」の歌詞があったことを思い出した。

 これにて「稲荷山宿」を閉めさせていただきます。

 「ジャン・ジャン~」

 

 *また しばらく お休みいたします。

 

 

 


信州紀行 稲荷山宿23 道標

2017-08-26 | 国内・長野

 

 

街の南端 三叉路 治田町交差点脇に

北国西街道(善光寺街道)の 
木曽の洗馬宿から十番目の宿場で
その中で最大の宿になる。

 


石柱には「右  西京街道(善光寺街道)、
左 八幡宮(武水別神社)道」とある。

善光寺参りは 
“善光寺に行けば極楽往生ができる"
ということで 賑わったという。

 

 

治田町交差点から道標を見る。

右手へは「善光寺街道」左手は「旧八幡宮道」

 


信州紀行 稲荷山宿22 月待ち行事

2017-08-25 | 国内・長野

 

 

街道から梅沢屋の角を折れ 脇路に入ると
治田神社の大鳥居の手前 
月待ち行事「二十三夜講」の石碑がある。

説明文には

「陰暦の二十三日の夜、講中が集い、
月の出を待って供物を供え、飲食を共にして過ごす。

このほかに月待ちには十三日・十五日・十七日等があり
二十三夜塔(月待塔)はその講中が供養として建てたもの。」
とあった。

 


横屋小路先の「治田神社 一の大鳥居」

この大鳥居から先は 治田神社下宮への参道になる。

鳥居に有栖川宮の社号領。

大正9年の県社昇格記念に建てた石碑の文字は、
東郷平八郎の筆になるという。

 


信州紀行 稲荷山宿20 上八日町

2017-08-23 | 国内・長野

 

 

上八日町の角に梅沢屋がある。


この梅沢屋は、元は 六十三銀行本店だが
元々は 明治14年発足の 稲荷山銀行だった。

明治26年に松代の六十三銀行を合併して、
こちらが本店になった。

その後 上田の「第十九銀行」と合併し 
両方の銀行名を合算(63+19=82)し
現在の「八十二銀行」になる。

 因みに 昔の銀行は「ナンバー銀行」で 
設立順に番号を銀行名にしていた。


 

  

また上八日町に

ジャズ界の草分け的存在のピアニストが営む「風雅」がある。

 何か曲をリクエストすると、マスターが
素敵なピアノの演奏を聴かせてくれるという。


 宿場とジャズ 異色の存在であり
時代の流れも感じる。

かつて この店へ著名なジャズメンが訪れて
その様子がTVで放映されていたことを思い起こした。

 

 


信州紀行 稲荷山宿19 蔵小路

2017-08-22 | 国内・長野

 極楽寺参道脇にある町屋敷東蔵小路

 

街道に面して母屋や店が建ち並び
入口等は改装されているが

裏通りは 弘化の大地震後に建てられた蔵が往時のままで
土蔵の町家や蔵の間を細い路地が縫うようにつながる。

 小路には表通りにはない 独特な雰囲気が漂う。

 街には

「湯乃崎小路」「河原小路」「寺小路」「閻魔小路」
「八郎右衛門小路」「馬出し小路」「問屋小路」
「田廻り小路」「西小路」「城小路」
「町屋敷東蔵小路」「広小路」「桑原小路」と
小路が連なる。

 

 

 


信州紀行 稲荷山宿18 城址

2017-08-21 | 国内・長野

 

 

「稲荷山城址の碑」は
 街道から東 銀座通りから劇場通りへ その右手にある。

説明文には

1582(天正10)年 上杉景勝によって
東西155m、南北170mの平城が築城された。

この地は、城中の櫓台の地跡にして銅鑼の形状で
あったことから鉦山(どらやま)と呼ばれている。

 

資料によれば

稲荷山城は その後、1615(元和元)年の
江戸幕府の一国一城令により廃城となった。

(稲荷山は 上田藩の所領となっている)

 

 


信州紀行 稲荷山宿17 鐘楼と巨木

2017-08-19 | 国内・長野

 

 

 特徴的な袴腰の極楽寺の鐘楼  

説明文に

「鐘楼は二間四方の美しい姿を残している。
鐘は、昭和十八年供出昭和三十九年再調する。」

とある。

左脇の大木は、

旧環境庁の「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」に
掲載された。(
樹齢300年以上 1642(寛永19)年頃)
 高さ25m 幹回り5.5mのケヤキ)

 

 

 


信州紀行 稲荷山宿16 極楽寺

2017-08-18 | 国内・長野

 

 山門

 

浄土宗光明山無量院極楽寺

現存する稲荷山最古の木造建築。

 

説明文によれば

「当寺は天正十一年(一五八三年)稲荷山城築城の折、
鬼門除けとして五日町(現中町)に小坂山浄土屋敷より移る。

寛永十四年(一六三七年)の水害により流失、
その後上八日町に移築寛永十九年(一六四二年)再建なる。」

 

 

 


信州紀行 稲荷山宿15 参道

2017-08-17 | 国内・長野

 

 
「極楽寺参道」

 

  

参道門脇に「蛇枕石」が置かれている。

説明文には

「昔、篠山の雨池に大蛇が昼寝のとき 枕にしていた石です。
日やけで困ると、里人は この石に縄をかけて雨乞いをすると、
必ず「おしめり」があったという。

ある干ばつの年 あまり動きすぎたため、
大蛇が いかり大雨となり、
「かに沢」「エ沢」が 大洪水となって、
小坂、元町の家や畑が押し流された。

蛇枕石は ここに流れ着いたのです。
「桑原村説」「信濃の民話」より」

 

 

「極楽路誘い六地蔵尊」

 

 


信州紀行 稲荷山宿14 本八日町

2017-08-16 | 国内・長野

 

 「高村薬局」

資料によれば
「稲荷山に過ぎたるもが三つある。
医者に薬屋、煙草屋」とあった。

 

 「旧カクイチ田中商店」

建物装飾に大正モダンの雰囲気を残す旧金物店

屋上の看板には「カクイチ」のマークが見える。

 その右隣は 「旧田中園茶屋」
今は、おやきや地元の野菜を扱う店とか。
また 昔使っていた「電話室」があるという。

 

   
街を横断する国道403号線 稲荷山交差点付近

 稲荷山交差点 正面は「松屋紙店」

 
稲荷山交差点の東「菅谷医院」がある。

昭和元年の建設され気品ある外壁
看板建築が特徴。
今も 内科、小児科、耳鼻咽喉科として開業中。

 

 




信州紀行 稲荷山宿13 井戸

2017-08-15 | 国内・長野

 

 城小路の井戸

1582(天正10)年、
本能寺の変 織田信長が襲撃された年、
上杉景勝が小笠原貞慶の侵攻に備え築いた
稲荷山城の遺構と伝えられる井戸。 

 現在は 電力盤があり 
電動ポンプで汲み上げているのだろうか?

また“鹿おどし”や「史跡 城之井戸」の碑も見える。

説明文には
「城小路井戸は、かつてこの地域が稲荷山城の城下町であった頃、
城へ通じる道路として利用された小路(城小路)の
脇にあることから こう呼ばれるようになったといわれ。
現在では、この井戸が唯一その小路の存在の
証として残されています。
この井戸は、稲荷山の井戸のでは一番水質が良いとされ、
周辺住民はもとより、楽市楽座に集う人々や
善光寺参りの善男善女の、
のどを潤す憩いの場として
親しまれていたと考えらます。」とある。


 現在は、井戸の前は城小路でなく、国道403号線になっている。

 

 

井戸と言えばもう一つ 本八日町の共同井戸がある。

説明文には、
「本八日町の共同井戸は、稲荷山城など、
かつて町の中となっていた地域に位置し、

今日までこの町のにぎわいをずっと見守り続けてきました。
この井戸は、身近な共同井戸として
周辺住民の生活の基礎を支えるとともに、

人々の交流を深め、地域社会をつくる上での
語らいの場となっていたと考えられます。

水資源の大切さを知る意味でも、
この歴史ある井戸を後世に伝えていきましょう。」

 

 

 

 


信州紀行 稲荷山宿12 高村邸

2017-08-14 | 国内・長野

 

 

「たまち蔵道」が 国道403号線に突き当たる角に

「高村国策氏別邸」がある。

 

 

説明文には

「高村国策氏の長男・高村象平氏は、
慶応義塾の塾長歴任。

国道403号新設の際、道路が南側の塀の部分に
7m程かかり現在の形となる。

昭和20年7月27日 慶応大学の図書館蔵書が
ここに大量に疎開した。」とある。

 

高村象平氏は、
慶応義塾の第10代塾長(1960~65年)として勤めている。

 

 

 


信州紀行 稲荷山宿11 土蔵群

2017-08-12 | 国内・長野

 


土蔵群

稲荷山は幕末、繭や生糸の集散地として栄え
多くの土蔵群と商家を残した。

 

説明板には

「本八日町(下田町)西裏の歴道商都として発展し
表通りより裏通りまで色々な建造物、土蔵の姿が見られる。
往時の繁栄の様子がうかがえる景観です。」とある。


 

 

 

 

 


信州紀行 稲荷山宿10 ふる里漫画館

2017-08-11 | 国内・長野

 

 

 柳町にある「ふる里漫画館」

地元出身の漫画で政治を大衆に近づけた政治漫画の第一人者として
有名な「近藤日出造」の作品を展示されている。


新聞風刺漫画家の草分け的存在であり 
 現在は針すなお、やくみつる氏らが 現在活躍している。

 

 

  資料から近藤日出造氏の自画像

 

こちらも 休館日でした。
今日の稲荷山宿は 街全体が休みのようで
人影もなく 静寂の中じっくりと巡ることができたが・・・。

 

 


信州紀行 稲荷山宿9 本陣

2017-08-10 | 国内・長野

 

 

郵便局脇の路地奥にある
「旧稲荷山宿本陣・松木家」

上杉景勝が築いた旧稲荷山の城跡には
松木家の豪壮な門が建つ。

しかし 手入れが行き届かないのか
 少々傾きかけている。


説明文には、
「代々稲荷山宿本陣を勤めた家で
元々は築城時の本丸エリアと思われる。

上杉家が会津へ移封後代官所となった。
その後松木家所有となり本陣及び問屋も兼ねていた。
元の門は本丸の裏門であったが
弘化四年の善光寺地震の際火災により消失、
冠木門はその後の門。

旧態の門は善光寺道名所図会には、
間ロ九尺の四脚門と記載されている。」とある。