あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

インド紀行 88 メインゲート

2016-01-31 | インド紀行

 

 

入口から 両側を赤砂岩の回廊で囲まれた道を真っ直ぐ進むと 

巨大な楼門(正門=ダルワーザ)が 目の前に現れる。


高さ30mの門は 精工に加工された赤砂岩が

積み上げられて作られている。


入口の両壁には コーランの句章が

取り囲み アーチの上部には


イスラム独特の唐草文様が装飾されている。


門の上には白大理石造りの

チャトリ(小塔)11個が飾られ

反対側にも同じようにある。

 これは タ-ジ・マハ-ルを建設するのに

要した年数 22年を意味し

 22個が並べられているという。

また 四方サイドに建つ塔には


やや大きめのチャトリも見られる。

 

 


インド紀行 87 チケット売り場

2016-01-30 | インド紀行

 

 

 

「タージ・マハル」への入り口は 

東・西・南口の三か所あり 

我々は 西口から入場するのだが

入場を整理するためなのか 

柵の中に入場者の列が連なっている。


我々外国人は 特別扱いで 別の入り口から

ボディチェックを受けて入場したが

事前に ガイドから貴重品以外は

バスに置いていくようにいわれているので

すんなり通過する。

外国人の入場料は 

インド人20ルピーより高く 750ルピーで


また カメラの持ち込みは無料だが

ビデオカメラは有料とか。

このことから 外国人チケットには

入口も別扱いで また ペットボトル1本

シューズカバーが付いてくることで

ガイドから受け取る。

 

 


インド紀行 86 送迎カート

2016-01-29 | インド紀行

 

 

アーグラー城の見学を終え 

南東約2km先にある 世界遺産「タージ・マハル」へ

タージ一帯は 公害防止のためか 

一般車両の進入が 禁止されている。

その送迎には 公害のないラクダ 人力車 等と

電気自動車でないと タージ・マハルに 行けないらしい。

我々は 約1km手前の駐車場から

電気自動車に 乗り換えて向かう。

しかし 乗車とともに 子供の売り子が

車の周りを 取り巻き


発車の障害ななるほどだった。


インド紀行 85 マクドナルド

2016-01-28 | インド紀行

 

 

日本マクドナルドの業績が低迷し閉店そして買収等で 

最近新聞等で話題になっている。

その業績は 日本のみならず

世界的にも苦戦しているようだ。


インドの街中でも「マクドナルド」の店を見る。

インドでは 牛は神聖なもの 豚は食べないのに 

ここのマクドナルドは 

どんなバガーメニューで売っているのか?


疑問に思い ガイドに聞いたら

「ほとんどが野菜中心の 肉はチキンです。」と

納得!


インド紀行 84 サリー

2016-01-27 | インド紀行

 

 

「王妃にあやかりたい」ということで

ここアーグラーへ訪れる女性が多いとか。

アーグリー城内を行くうち 

サリーをまとった女性一行を見る。

この「サリー」の名は 

サンスクリットの「シャーティー」に由来し

「細長い布」を意味する。

5m程の細長い布を ペチコートに挟みながら 腰に巻き

残りを方の上に回すのが一般的な着方だそうだ。

写真を見ても その着方は

様々なスタイルで 体を包みこんでいるようだが


場合によっては 8mも必要とすることもある。

特に ヒンドゥー教徒の女性が着用するが

一説によると 宗教上の理由で布を

裁断するのを忌避した僧侶たちが

裁断することなく着用する為に

サリーを編み出したそうだ。


サリーの着用スタイルは 地域によって

異なっていたが 20世紀初頭に標準化され

国民的民族衣装となった。

最近 日本でも サリーに人気があり

パーティ衣装として着用する

女性が多いという。

 

 

 


インド紀行 83 リス

2016-01-26 | インド紀行

 

 

一般市民との謁見の間(ディワニ・アーム)の

脇の歩道を歩くうち


リスが 庭を走りまわっていた。

そこへ インド人のおじさんが

餌を手に乗せ 呼び寄せていると

その一匹が 寄ってきた。 

すると そのおじさんは 

我々ツアーの女性を 呼び止め

女性の手のひらにも 餌を分けてくれた。

リスは その餌をむしゃぶりついてきたが

餌がなくなると 逃げ去ってしまった。

女性が その場を 去ろうとしたら 

そのインド人の老人は 追いかけてきた?

この餌 有料だったのだ・・・。

観光客を ターゲットに抜け目ない!

 


インド紀行 82 ディワニ・アーム

2016-01-25 | インド紀行

 

 

シャージャハン帝が造った

一般市民との謁見の間(ディワニ・アーム)

大きな花弁形のアーチが美しい建物だ。

創建当時は木造であったが


次代のジャハーン・ギール皇帝が

大理石造りに改築したとのこと。

中央奥 象眼細工された 皇帝の玉座が

ある場所は どこから見ても

柱に隠れて見えないように 設計されているという。

その柱は 独特な 2本組に なっているイスラム様式。

 

 


インド紀行 81 ディーワーネカース

2016-01-24 | インド紀行

 

囚われの塔につながる

回廊式の建物は「ディーワーネカース」。


族や外国人の来賓用に造られた 


白大理石がまぶしい特別謁見の間がある。

中庭の待合室マッチ・パワン(魚の宮殿)には 

鑑賞魚が遊泳する池や噴水が

あって優雅があったそうだ。


中庭を囲んで赤砂岩と大理石造りの部屋が並び


床や壁には花模様の華やかな象眼細工が施されている。

長い回廊には 扉を閉ざした部屋が並んでいるが

「皇帝の側室たちの部屋」という。

 

 


インド紀行 80 カース・マハル

2016-01-23 | インド紀行

 

シャー・ジャハーン帝の寝殿「カース・マハル殿」

手前の庭園アグーリー・パークの中央には

白大理石の四角い池のあるが

この池で水浴する女官たちを

皇帝は眺めていたという。


カース・マハル殿の両脇には 皇帝のふたりの娘

「ローシャン・アラ」と「ジャハーン・アラ」

 のための館がある。


金色のベンガル風の屋根をもつので

ゴールデン・パビリオンと
よばれる。

これらの館からは ヤムナー河と

対岸の風景が眺められる。

アグーリー・パーク

ローシャン・アラの館 

 


インド紀行 79 囚われの塔

2016-01-22 | インド紀行

 

 

シャー・ジャハーンの寝殿の北側に
「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)がある。


アウラングゼーブが 6代皇帝の座を狙い
兄弟間の後継者争いに 勝つと
父である 第5代シャー・ジャハーンを
タージ・マハルの見える

この「囚われの塔」に幽閉して 
デリーに移ってしまった。

アクバル帝が建てたものには
赤砂岩を基調にしているが
シャージャハーン帝の建物には
 大理石に貴石を散りばめ
屋内噴水などもある 立派な寝殿になっている。

シャー・ジャハーンが幽閉された場所は

正にこの場所で 晩年の7年間 

ここから出ることができず
息を引きとったという。 

幽閉された理由はタジマ・ハール建設に
要した莫大な浪費だった。


愛する妃の “タージ・マハル” を慰めに

2kmの距離が星ほど遠くに感じ 
見ていたのだろう・・・・。

 

 

 


インド紀行 78 シャハンギール宮殿

2016-01-21 | インド紀行

 

 

アクバル門の先には100mほど 

壁に挟まれた戦略上の坂道を登り切った右手には


「シャハンギール宮殿」が庭園の先に建つ。

シャハンギール(在位1605-1627年)とは 第4代皇帝で

第3代皇帝アクバルが息子シャハンギールと

その妃のために建てた宮殿。

シンメトリー(左右対称)のファサード上部の

両端にチャトリ(小塔)を戴き


赤砂岩の壁面に白大理石を象眼し

柱や梁に木彫のようなレリーフを施すなど


イスラムとヒンドゥー建築の融合が見られる。



庭園は「四分庭園」となっており 


そのクロスする道の中央に

石造の
大きなお椀のような容器がある。

これは「ハウズィ・シャハンギール」と言われ


シャハンギールの妃がバラの花びらを浮かべた


”浴槽”として利用されたとも言われている。

 


インド紀行 77 アクバル門

2016-01-20 | インド紀行

 

アマール・スィン門をくぐった先は

枡形の広場になっていて

もう一つ「アクバル門」がある。


築城者の皇帝アクバルの名を冠している。


入口の左右に 大筒のような 円柱望楼があり


また 下層の窓にはステンドグラスかと思うばかりの


色タイルがちりばめられた 装飾窓に

なっている ユニークな 造りが特徴。


この「アクバル帝」(在位1556~1605)は

ムガール帝国第3代皇帝で


ムガール帝国全盛時代を築いた。


“アクバル”とは「偉大な王」の意味。


そして アクバル帝が ムガール帝国の首都を

デリーから アーグラーに移転し


このアーグラー城を築いた。


その後 5代目皇帝により アーグラー城の

約2km東に「タージマハル」が 建てられている。

 


インド紀行 76 アマール・スィン門

2016-01-19 | インド紀行

 

 

アーグラー城への最初の門 

「アマール・スィン門」

城塞の周囲には 深い濠がめぐらされているので

濠を渡るための橋は 城内から鎖で

引っ張り上げる ”跳ね橋”になっている。

城壁の縦長の穴は 敵襲来に備えた

”矢狭間” も見える。

また 城の背後は ヤムナー川が流れ 

堅固な城構成になっている。

ここらは 日本の城郭にも見受けられるが 

戦略上から同じような仕掛けかと思う。

 


インド紀行 75 アーグラー城

2016-01-18 | インド紀行

                                       


ファテーブル・スイークリーの見学から

 アーグラー城へ


インド北部を流れるヤムナー川の

西岸に建つ このアーグラー城は


16世紀からの 約300年間 隆盛を極めた

ムガル帝国の歴代皇帝が 君臨した居城。


第3代皇帝アクバルが デリーから遷都し 

この地方で 産出する赤砂岩を用いて

造られているため「赤い城」と呼ばれて

 赤い色は 皇帝の強大な権力の象徴でもある。



1565年 アーグラー城の建設に着工した

「アクバル帝」は イスラム王朝でありながら

ヒンドゥー教徒の妃をめとり

他宗教との 融和をはかる。


城内の多くの 建物が純白なのは

タージ・マハルを建てたことでも 知られる

孫の第5代皇帝「シャー・ジャハーン」によるもので

 次々と 白大理石に貴石の象嵌を施した建物を建ていった。

 

更に その息子の第6代皇帝「アウラングゼーブ」は

高さ20m 周囲約2.5kmの城塞を築き

 アーグラー城を完成させた。

 アーグラー城は 1648年 に帝国の首都が

デリーに移されてからは

次第に衰退してしまった。

そして 19世紀にイギリス軍の占領下で

一部の建物が兵舎に使われ


いまも インド軍が管理しているということから

見学できる範囲は 全体の4分の1になっている。


1983年 ユネスコ世界遺産の

文化遺産に登録された。


 


インド紀行 74 アーグラー

2016-01-17 | インド紀行

 

                                                  アーグラー城

 

ここ アーグラー市は 

首都デリーから約180km 南にあって

ガンジス川最大の支流である ヤムナー川沿いに位置し

古代より 交通の要所として発展した。

現在の人口は 160万人 

世界遺産のタージ・マハルなどの観光名所があり

世界中から 多くの観光客が訪れている。



古代叙事詩『マハーバーラタ』において

アグラヴァナ(「前方の森」の意)と表記され

3世紀のプトレマイオスが制作した

世界地図にも その位置が記されている。


1475年頃に ラージャ・バダル・シングによって

基礎となる都市が設立された。


16世紀初頭 最後のデリー・スルターン朝である

ローディー朝が この地に都を築いたが

ローディー朝を倒して 1526年にムガル帝国が建てられ

3代皇帝アクバルの時代に 都として定められた。

19世紀より イギリスの支配下に入り

植民地統治の拠点の一つとなっている。