あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

中欧旅行(31) 上下水道

2012-03-31 | 中欧5カ国紀行

 

   バスはウィーン市街進む 途中 「水道橋」を見る。

  首都ウィーンの上水道は 1830年ウィーンでコレラが大流行を機に
   1873年からアルプス山岳を水源に90km先のウィーンに引水して
    上水道を整備したそうだ。


  その水源の一つ「皇帝の泉」は はじめは皇帝専用であったが
   19世紀に
 皇帝フランツ・ヨゼフ一世が市民に開放し 今日まで
     一度もかれることなく
 毎秒2500ℓの水が湧き 
      水温は一年とおして6~7度が保たれている。

  
  だから水道水は天然水で飲料水に最適であり ウィーン市民
   約160万人の
生活の源になっている。
    しかし 石灰水が強くお腹が弱い人はミネラルウォーターが
     良いのかもしれない。

  また驚くことに 水は水道の高度差で自然に流れ、
  ポンプは一切使用されない
ばかりか 逆に電力も生産しているそうだ。 

  下水道は 前回ふれた 映画「第三の男」の中で
   下水道内でくりひろげられた 追跡劇に
下水道の様子がうかがえ
    当時から下水道も完備されていることが良く分かった。

  今では「第三の男ツアー」があり 汚れてもいい服や靴 そして
   懐中電灯持参で 
下水道も見学の一部になっているとか。

 


中欧旅行(30) 第三の男

2012-03-30 | 中欧5カ国紀行

 

     

 

 

 

 

 

 

 

   ウイーン市内を走るバスの中で ガイドさんが

   『車窓の前方に映画「第三の男」で有名になった
     プラター遊園地の「大観覧車」が

      ほんのチョットですが 見えます。
        今も昔と変わらず動いていますよ! 』

  と説明があった。

  映画「第三の男」は かつて見たことがあったが 帰国し
   DVDを買い求めあらためて鑑賞したが
 
   第二次世界大戦直後のウィーンが
     白黒で映し出され その傷痕がありありと見れる。


  アメリカ人の作家ホリーが ウィーンにいる親友の
   ハリー(オーソン・ウエルズ)を訪ねて来たが ハリーは既に
    死んでいた。 親友の死に疑問をもち 真相を調査していくうち
    「第三の男」の存在を知る・・・。

  全編に渡りアントン・カラスの奏でる民族楽器チターによる
   演奏が流れ 最後に並木道で男が女を待つ長いカットは
    名ラストシーンと言われている。


   *1949年・英国 白黒 キャロル・リード監督

   ジョゼフ・コットン(作家・ホリー) オーソン・ウェルズ(ハリー) 
   アリダ・ヴァリ(アンナ) 出演

    1949年カンヌ映画祭グランプリ受賞作

    *「大観覧車」は 1873年この公園で開かれた
     「万国博覧会」を機に 4年後に建設されて
     130年前から動いているとは驚きですね。
     (高さ65m 15あるキャビンは 4m×2.5m12人乗り)

 


中欧旅行(29) アパート

2012-03-29 | 中欧5カ国紀行

 

  昼食後 バスはウィーンの森へ向かう。

  市内を行く途中 ガイドが行く手に見えるアパートを説明。

  これは勤労者向けの共同住宅で 第一次大戦後に建てられたもので
  狭小であるため 今は3戸ほどをまとめて改修し 貸与されている。
 

  3室ほどのアパートは 家賃は5万円ほどで 日本と同じく敷金
  礼金があり 
礼金は3カ月だが 礼金は100万円単位で
  契約期限はないが 
退去するときは返金されないそうだ。
   (と言うことは 無期限の入居が可能になるのか?) 

  また ウィーン市の北東部 戦争時の「赤いウィーン」の代表的な
  建築物
 「カール・マルクス・ホーフ」と呼ばれる市営住宅もあり 
  これら公営住宅の供給のおかげで 個人的な住宅費が低く抑えられ 
  歴史的な町の景観等にも影響がなく保たれているとのこと。 

     お国により いろいろな住宅事情がありますね!

  

 


中欧旅行(28) シュニッツェル

2012-03-28 | 中欧5カ国紀行

  

  今日の昼食は オーストリア料理 
       定番の「ヴィーナー・シュニッツェル

  子牛のカツレツが最高だが 豚肉や鶏肉が多いとのこと 
         今回は 鶏肉にジャガイモが添えてある。 

  衣がかなり薄く 揚げてあるカツレツに レモンをしぼって食べるが
  日本のトンカツとは違い 脂身がないので “あっさり” していた。  

   

  ウィーンのビールは 十数種あるようだが 
   今回は Zipfer(ツィプファー)だ
    これが 飲みやすく 乾いた喉にしみる。

   

 


中欧旅行(27) アルペティーナ広場

2012-03-27 | 中欧5カ国紀行

 

  アルペティーナ広場は 王宮の南東 オペラ座の裏にある。

  尖塔の建物は アウグスティーナ教会 14世紀に創設された
   ゴジック様式の
アウグスティン派の教会。

  17世紀にハプスブルク家の儀式が行われる宮廷教会となり
   マリアテレジアと
フランツ1世 ナポレオンとマリールイーズ
    フランツヨーゼフ1世とエリザベート
の結婚式などが行われている。
  
  地下の心の納骨堂には、ハプスブルク家当主の

   心臓が納められている。

   左手階段のある建物は アルペルト美術館
    
マリアテレジアの妹の夫であるアルベルト公が収集した
     コレクションが展示されている。また 油彩・水彩画など
       現代の作品も数多く展示されている。

   右手の白い彫刻は ファシストによる犠牲者を
     偲んで1998年建立された。

  ここの広場には ウィーン市観光案内所があり 
   日帰りコースのバスの発着や
    オペラ鑑賞等の集合場所としても利用されている。
     そのためか かなり混雑している。
        そういう我々も バス待ちであったが

 


中欧旅行(26) カプツィーナー教会

2012-03-26 | 中欧5カ国紀行

 

 

  ケルントナー通りを進むと 右手奥に カプツィーナー教会が見えた。

  この教会の地下にある納骨堂は 帝室納骨堂 皇帝納骨堂とも呼ばれ
   ハブスブルク家の神聖ローマ帝国の皇帝・皇后や その子孫らが
    埋葬されている。

  その中で フランツ・ヨーゼフとエリザベート皇妃は
    一番の人気で花が溢れている。
 
   またマリア・テレジアの棺は 夫フランツ一世と合同棺で
    ダブルサイズになっているそうだ。

    ガイドのその説明に 
         我々夫婦
は お互いの顔を見あわせる・・・?

   


 


中欧旅行(25) ケルントナー通り

2012-03-25 | 中欧5カ国紀行

 

      ウィーン土産といえばモーツアルトチョコ  有名店「モストリー・モーツアルト」

 

   国立オペラ座からシュテファン寺院に至るケルントナー通り

  ウィーン旧市街の中心街・目抜き通である。 東京なら銀座通りかな。

  「ケルントナー」の名前は オーストリア・ケルンテン地方に向かう
  街道の首都における 
起点だったところから付いた。


  通りの両側には、高級ブティック、カフェ、宝石店など多くの
   店舗が並んで 
ウィーン随一の目抜き通り。
    また地下鉄も(U1線)通っている。

  歩行者天国になっており 大勢の人々が行き交っている。

 

   通りの一角に老舗「ロブマイヤー」がある。
   カットグラスなどを扱うクリスタルの店


中欧旅行(24) フィアカー

2012-03-24 | 中欧5カ国紀行

 

  
  シュテハン大聖堂脇に 「フィアカー」と呼ばれる
                              観光用馬車が待機している。


  この馬車に乗るには ここを含め旧市内5箇所で
  4人乗り 20分コースで40ユーロ 60分で95ユーロ 
       御者がウィーンの名所を英語で説明しながら
                     ゆっくりと案内してくれる。

  市内には 御者は約300人 馬車は180台があるが
  市民に迷惑がかからないよう、市街を走る馬車は
  一度に58台までと決まっているそうだ。

  他の観光地にも観光馬車は多く 町全体になんとも言われぬ
  匂いが漂っているものだが 冬のシーズンでもあるのかもしれないが
  その匂いはここにはなかった。

    さすがウィーン!

    奥の建物の裏には「モーツアルトハウス・ウィーン」がある。


中欧旅行(23) シュテファン大聖堂

2012-03-23 | 中欧5カ国紀行

 

              左は北塔 中央奥は南塔 モザイクの屋根

   
     トラムを降りて リンク内のシュテファン広場に向かう。

      ここも内部には入らず 外観のみであった。 

  シェーンブル宮殿からも遠望できるほど その威容に圧倒される。
  カメラのアングルにもおさまらず 見上げる首も痛くなるほど。


  シュテファン大聖堂は 12世紀の半ばロマネスク様式の
  小さな教会でしかなかったが 
14世紀ハプスブルク家の
  ルドルフ4世によってゴシック様式の大教会に建て替えられた。

  身廊の長さ107m 高さ39m 内部の祭壇は彫刻家ピルグラムに
  よる傑作。

     
   反対側の屋根は モザイク画でハプスブルグ家の紋章である
   双頭の鷲も描かれている。


   2001年 ウィーン市の中心部はリング(昔の城郭の中)内を
   中心に 「ウィーンの歴史地区」として世界遺産に登録され 
   その中の登録建築物である。

   モーツァルトは、ここシュテファン大聖堂で
   1782年8月コンスタンツェと結婚式を挙げるが

   35歳に亡くなって1791年12月には葬儀が行われている。
   また その数日後には モーツァルト自身の作曲した
   「レクイエム」により ここで追悼ミサも行われている。

    南塔:
     高さ137m(世界三番目) 監視塔(72m)まで343段の階段がある。
     
1359年に65年の歳月をかけて完成した。

     ウィーンの何処からでもみられるシンボルであるのは
     シュテファン寺院の塔より 
高いものは建設を許されないと言う。

   北塔:
     高さ60mで未完状態。 屋根が邪魔をして王宮など中心街の
     方角が見えないが ウィーンの森やドナウ川は見渡せる。

     塔に吊るされたプムメリン(大きな鐘)は 1683年トルコ軍が
     撤退した時 置き去りにした 
大砲180台を溶かして造った物と
     言われる。

      
     地下のカタコンベ(納骨堂)には ペストの死者約2000体と
     ハプスブルク家の人々の心臓(心臓はアウグスティ-ナー教会に
     安置)以外の内臓が保管されているとのこと。



  内部には入れなかったが
   せめて記念にと
    シェーンブル宮殿とシュテファン大聖堂の
      絵柄が入った
マグカップを買い求める

    
        


中欧旅行(22) 市庁舎

2012-03-22 | 中欧5カ国紀行

 

               トラム車窓から見る市庁舎

   えっ! これが市庁舎? 教会とも見れるが。

  1872年~1883年にかけて建てられた98mの中央塔を中心に
  尖塔が
美しいネオ・ゴジックの建物。

  
設計者は ドイツ人建築家フルードリヒ・フォン・シュミットで 
  この工事に先立ち 
ケルン大聖堂工事の現場監督を務めている。 

  中央塔には 高さ3.4m 重さ1.8トンの銅製兵士像
  「市庁舎の男」が 
手には6mの旗を持ち最上部に飾られている。

    当然 ウィーン歴史地区の建物として「世界遺産」に登録されている。 

  庁舎前の広場は 夏はコンサート 冬は クリスマス市 
  その後はスケート場 
にもなっていろいろなイベントが
  開かれるとのこと。

    クリスマスが終わった直後だが テントの屋根は見える。


中欧旅行(21) ベートーベン

2012-03-21 | 中欧5カ国紀行

                                                                   (トラムの車窓から)

   
   左手に見える建物が メルカーバスタイの
     パスカラッティハウス(ベートーヴェン記念館)

  パスカラッティハウスは 1791年から1798年にかけて建てられ
  ベートーヴェンの時代の家主の名前から名付けられている。
  パスカラッティ男爵の持ち家で ベートーヴェンは 1804年から

  交響曲第4,5,7番など 多くの作品を作曲している。

  現在は 記念館として一般に公開されて ベートーヴェンが
  使っていたピアノ 時計等 愛用の品が陳列されている。 
 

  手前に見える 記念碑は 「リーベンベルク記念碑
  
これは 有名な市長ヨハン・アンドレアス・フォン・リーベンベルクの像。

  1683年トルコ人軍による襲撃の間ウィーン攻防を組織し
  最古の部分であるメルク要塞にて際立った活躍したことを記念して
  建てられた。

    それにしても トラム車内から一瞬の見学ばかり
    
            手も足もでない状況 ・・・ 
  


中欧旅行(20) 国会議事堂

2012-03-20 | 中欧5カ国紀行

 

                       トラム車窓からの 国会議事堂

   1883年、アテネで教鞭をとっていたデンマーク人の
  テオフィル・フォン・ハンセンによって民主主義発祥の地ギリシァに
  ちなんで 
古代ギリシァ神殿風の建物になっている。

  8本の大列柱が並ぶ入り口にはギリシァ・ローマの学者と政治家の
  彫像があり 
「パラス・アテナの泉」と呼ばれる正面の噴水には
  英知の女神アテナの
彫像が立つ。

   日本の国会は殺風景だが やはり今回訪れた国の議事堂は
  歴史が刻まれ風格が感じられた。

 


中欧旅行(19) トラム

2012-03-19 | 中欧5カ国紀行

  

   ウィーン市内に網の目のように約28系統の路線がある
  「シュトラーセンバーン」とよばれている

  トラム(路面電車)に 乗車体験とういことで 王宮庭園前から
  リンク通り右回りで乗車した。


  赤と白の電車は ウィーンのシンボル的存在で ウィーン市旗と
  同じ配色になっている。

  また車内のイスは一定の列だけではなく いろいろな向きに
  アレンジされている。
 

  ハプスブルク帝国の首都として栄えたウィーンは 歴史的には
  城塞都市であったので。

  旧市街(現在の1区)は 周りを城壁で囲まれていた。

  1800年代の半ばに フランツ・ヨーゼフ皇帝は 城壁を撤去しため
  現在のウィーンの都市(23区)として発展した。 この城壁の跡が
  「リンク通り」となっている。
 

  トラムに限らず ウィーン市の公共交通機関は全て改札がなく

  トラムは車内 駅ではホームへの出張り口に“刻印機”があって
  切符に駅の略号と入場時刻が印刷される。

  一定時間内であれば 一方向どこまで行こうが また市内の
  公共交通機関に何度乗換えてもいいのだが。
  しかし 改札が無い代わりに厳しい検札が行われ どんな理由が
  あろうが
無賃乗車」には “56ユーロー”の高額な罰金を
  取られるそうだ。

 


中欧旅行(18) 美術史博物館

2012-03-18 | 中欧5カ国紀行

 

            リンク通りから美術史博物館(裏)を見る。

   美術史博物館は 1881年に完成した新古典主義的建物で
  ハブスブルク家が長年にわたって集めた名画を所蔵する
  ヨーロッパ屈指のコレクションを誇る。

  特にルーペンスやブリューゲルの作品数は世界随一で
  宮廷画家ペラスケス作マルガリータの3枚の肖像画もある。 

  しかし 今回のツアーには 美術館に入る予定はゼロ状態 
     特にブリューゲルの「ハベルの塔」は
        見たかった一つだったが 残念!
 

  美術史博物館と まったく同じ外観の 自然史博物館とに挟まれた
  マリア・テレジア広場の中央には 女帝マリア・テレジア像が
  王宮を望んで建てられている。

 


中欧旅行(17) ブルク門

2012-03-17 | 中欧5カ国紀行

 

         王宮側から リンク方面を見る

   王宮への正門はミヒャエル門だが このブルク門は裏門的にリンクと
  ヘルデン広場・新王宮への門として建っている。

  この門は1824年 ライプツィチヒの戦いでフランス軍を破った記念に
  建てられた門で 後の第一次世界大戦の戦没者 第二次世界大戦中
  オーストリア抵抗運動のために亡くなった人々の記念碑ともなり
  歴史的な門でもある。

  新王宮にあった美しい作りの門としても観光客の人気も高い。 

  また 柱の間に五つの門があるが 皇帝専用とされていた
  真中の門は
1960年代になって開放されたとのこと。