あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

蟻地獄

2021-07-31 | 出来事・行事



写真は 我が家の庭の「蟻地獄」です。

「アリジゴク」は

ウスバカゲロウの成虫の前の名

砂地にすり鉢のような 

くぼみを作ってその底に住み


迷い落ちてきたアリ等を

すり鉢の中心部に滑り落として捕らえる。

 

まさに 今の日本のコロナ感染の拡大

毎日 過去最多を更新し

東京は3300人 我が県も222人に

蟻地獄状態です。

また同様に 

東京オリンピックの

日本バトミントンも

負のスパイラル!

 

我が家も 巣ごもり状態にあって 

心境は蟻地獄におちいる寸前です? 




教育者 若林繁太

2021-07-27 | 人物忌


  (朝日新聞 1988/07/30)

7月27日は 昭和後期-平成時代の
教育者・教育評論家
若林繁太(しげた)が亡くなった日

若林繁太は

1925(T14)年1月24日
 満鉄職員の父のもと
 中国撫順市で生まれる。

 明治大学大学院修了
1960(S35)年
 長野県の私立篠ノ井旭高校
 (現長野俊英高校)の
 開校と同時に社会科教師に
1974(S49)年
 同校第3代 校長に 
1978(S53)年
 教育を実践,記録
 「教育は死なず」を著わす。
 第27回読売教育賞受賞
1984(S59)年
 同校 名誉校長
1988(S63)年 
 愛知県私立豊川高校
 (1923年創立)校長
1990(H2)年
 脳溢血で倒れ左半身麻痺に
1991(H3)年
 教育現場の一線から退く
2007(H19)年
 肝細胞がんのため
 長野市篠ノ井の自宅で死去。
 82歳。

著書の「教育は死なず」は
他校の中退した生徒を積極的に受け入れ
「どんな子も捨てない教育」を
旗印に立ち直らせた体験を描き
ベストセラーとなり映画化にもされた。

他に「教育よ,よみがえれ」「教師よ!」など

   
               (Web資料から)


  映画「教育は死なず」(1981年)

 脚本・監督:板谷紀之

 主演 江利チエミは
 本作公開の翌年に45歳で
     逝去し遺作となった。




 


梅土用干し

2021-07-24 | 出来事・行事

 

 

やっとか? 遂にか!

オリンピックは開催されました。

我が県のコロナ感染者数も一向に減らない

むしろ増加の中

引きこもりの毎日です。 

我が家は

この暑い日差しを利用して 

今年も梅の土用干し

1ザル5kg 計10kgを

3日目です。

 

 

 

 

 


フルーツコーン

2021-07-22 | 出来事・行事

 

暑さとともに 
九州から「新鮮フルーツコーン」が届く。

 

「食べ方」が同封されており

・ゆでる:
   沸騰したお湯に入れて3分程度

・電子レンジ:
    薄皮1枚を残して軽く水をつけて
 ラップにくるむ。1本3分程度

・蒸す:
   薄皮を1枚残して蒸し器の中に。5分程度

・生で:
   生でもおいしく召し上がれます。

とあったが 
当方は ゆでるが一番だった。


トウモロコシは 
夏野菜の代表格で
糖質が多く含まれていて
消化吸収が非常に良いので
夏バテで食欲がない時や
胃腸の調子が悪い時などには
栄養補給ができる。

ということで 
家人は すりつぶしてスープにした。

なお トウモロコシのひげは
粒の数と同じだそうだが 

捨ててしまっているひげを
お茶にして飲むと 

利尿作用があり
血圧、血糖値を下げる
効果があるそうだ。

 

 


月下美人

2021-07-19 | 人物忌

 

  

 

昨日 我が家の「月下美人」が
 同時に4輪が咲いた。

大分昔 複数咲いたこともあったが
今回のように同時に4輪は初めてだ。

また 今年6月に一度 1輪ずつ
日を分けて咲いており
環境が良かったのか 2度目の開花。

桜など 一部の植物には
同じ株の挿し木や地下茎で育った株のため

同時に花を咲かせるものがあるが

我が家も鉢分けしたためか
鉢は違っても
体内時計が同時になったようだ。


また 新月や満月の日にしか
咲かないと言われるが

昨夜は半月であった。

月の満ち欠けと連動して
花を咲かせる習性は持っていないようだ。

葉から伸びるS字型のつぼみは
はじめは垂れ下がっているが
開花につれて上に向かって膨らみ
芳香を漂わせる。


その一輪の重さを量ったところ
50gもあった。

 

 

 


梅雨明けとツバメ

2021-07-16 | 出来事・行事

 

7月16日 関東地方は梅雨明けとなり

待ちかねた夏がやってきた。

純白な雲が 
空の青をさらに深いものに演出している。


そんな夏空を見上げると 
電線にツバメが30羽以上止まっていた。

さては東南アジアに向けの旅たち!


調べると ツバメは子育てが終わると 

川沿いのヨシ原等に集まり寝ぐらをとり
集団で行動し

旅たちは8月中旬から10月になるとか

 

ちなみに 日本で見られツバメは5種類

ツバメ イワツバメ コシアカツバメ
 ショウドウツバメ リウキョウツバメ

世界では約80種類にもなるそうだ。

 

 


黒田清輝

2021-07-15 | 人物忌


(平河町二丁目)

 

7月15日は 
洋画家 黒田清輝が亡くなった日

 

その住居跡が千代田区平河町2丁目の

都道府県会館前にある。

説明文には

 

「黒田清輝ここに住む」

重要文化財の「湖畔」や
「智・感・情」などの作品を
描いた明治・大正期の洋画家。
この年、これらの絵画をパリ博に出品し
銀賞を受賞した。

黒田 清輝は日本の洋画家 政治家
名の清輝「きよてる」、画名は「せいき」。

明治中期初めて日本に印象派系絵画を移入し
かつ美術教育兼行政家として活躍した。

1866(慶応2)年
 鹿児島市に生まれる。 幼名新太郎。
 伯父清綱の養嗣子に
1872(M5)年 上京
1884年 
 法律研究のためフランスに留学
 アカデミー・コラロッシの
 ラファエル・コラン教室に入り
 画学をも修業するが
 やがて
 井上哲次郎(1856-1944)にさとされ
 法律学校を退いて画家の道へ。

1893年春
 ソシエテ・ナシオナル・デ・ボザールに
「朝妝(ちょうしょう)」を出品し 夏帰国する。

1894年
 久米桂一郎(1866-1934)と
 天真道場を設けて後進の指導に
 あたるほか 日清戦争に従軍

1896年 
 東京美術学校に新設された
 西洋画科の主任となり
 本格的なフランス式の美術教育を
 開始するとともに
 同志たち白馬会を創立し
 洋画研究所をも設立。

 日本に初めて明るい印象派系の
 絵画を移入し  洋画界の
 近代化を大いに推進した。

1900~01年(M33~34)
 ふたたび渡仏し
 パリ万国博覧会に出品した
 「智・感・情」は銀賞を受けた。

 内外の博覧会審査官、文展審査員を務めた。
1910年 
 洋画家として最初の帝室技芸員
1913(T2)年
 創設の国民美術協会会頭
1917年 
 養父の死去に伴って子爵を継ぐ
1920年
 貴族院議員に当選
 概して晩年は美術行政の
 分野で大いに活躍した。

1922年
 森鴎外(1862-1922)の後を
 受けて第2代帝国美術院院長に就任

 フランス政府から
 レジオン・ドヌール勲章ほかを受けた。

1924(T13)年7月15日没

代表作
「読書」   (1892)
「舞妓」(1893・重要文化財)
「湖畔」(1897・重要文化財)
などがある。

 


 (Web資料から)

なお  作品「湖畔」 のモデルは芸者で
当時23歳の金子種子。
のちに清輝の妻となり照子と改名した。
描かれた場所は 箱根芦ノ湖。

 


哲学者 串田孫一

2021-07-08 | 人物忌


7月8日は
 哲学者 串田孫一が亡くなった日。


串田孫一の旧居跡が
 千代田区三番町にある。


説明文には

哲学者・串田孫一(1915~2005)は
人生、山、植物などのテーマで
エッセイなどを残した。

昭和13年(1938)から数年間ここに住んだ。

 

串田は

1915(T4)年
 東京市芝区生まれる。

 駿河台や永田町や一番町に育つ。
1935(S10)年
 東京高等学校(旧制)文科丙類卒業

1938(S13)年 
 東京帝国大学文学部哲学科卒

 中学時代から登山を始めた。
1938)S13)年
 処女短編集「白椿」を刊行、
 戦前は上智大学で教鞭をとる。

1946(S21)年
 「永遠の沈黙 パスカル小論」を上梓
 「歴程」同人となる。

 旧制東京高等学校で教鞭をとる。
1955(S30)年 
 最初の山の本「若き日の山」を上梓

1958(S33)年 
 尾崎喜八(1892-1974)らと
 山の文芸誌」アルプ」を創刊
   1983(S58)年に終刊するまで
   責任編集者を務めた。

   また矢内原伊作(1918-1989)や
   宇佐見英治(1918-2002)らが

   創刊した文芸誌「同時代」にも
   同人として参加。 
  東京外国語大学教授(~1965・S40年)
1965(S40)年~1994(H6))年
 FMラジオ番組「音楽の絵本」で
 パーソナリティを務めた。

 初見靖一の筆名をもつ。
1980(S55)年
 紫綬褒章受章
2005(H17)年 
 老衰のため東京都小金井市の
 自宅にて死去 89歳


著作は 山岳文学、画集、小説、
人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたる。


・詩集「羊飼の時計」(1953)

・山にまつわる思想、思索などを
 平易な文章で綴った
 随想集「山のパンセ」
 (1957)などが主著。


*「パンセ」は
フランスの哲学者パスカルの遺稿集。
「瞑想録」ともいう1670年刊。
人間性のもつ矛盾を鋭く指摘し
その唯一の解決を
キリスト教のうちに求めた作品。

特に“人間は考える葦である”の言葉が有名