あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

カンボジア紀行(71) 子ども1

2014-07-31 | カンボジア紀行

 

船が出航すると 間もなく 

後ろから物凄いスピードで モーターボートが追いかけてきて


我々の船に並走し 横付けする否や 

かわいい女の子が軽業師のごとく 飛び乗ってきた。

 ビール・ジュースを一杯にした駕籠をぶら下げている。

来る船 来る船に飛び乗り 物売り 

こうして子どものころから 

水上生活する一家の手助けをしている少女でした。

この少女が立ち去ると 

今度は 首の蛇を巻きつけた女の子の舟が並走する

 写真を撮らせて 
金銭にしている。

 


カンボジア紀行(70) 船着き場

2014-07-30 | カンボジア紀行

 

トンレサップ湖のクルーズのため 「チョンクニア」の船着き場へ 

チョンクニアは トンレサップ湖に浮かぶの水上村で

 7つの集落から構成されており
人口は約6900 人。

桟橋越しに プノン・クロム山が見え その麓にはリゾート施設がある。

これらは 韓国資本のリゾート施設のようです。

カンボジアに来て 韓国資本の進出が目につき 日本の進出はいまいちで

シェムリアップ市内では韓国料理の店が多くまた観光客も多く見られた。


しかし 集落の家々とリゾート施設の落差に 違和感を強く感じられた。

 


カンボジア紀行(69) トンレサップ湖

2014-07-29 | カンボジア紀行

 

カンボジア3日目を迎える 天気は雲ひとつない!快晴

 シェムリアップから南約12km シェムリアップ川に沿って 

30分ほどにある 「トンレサップ湖」へ


トンレサップ湖は カンボジアの中央にあって

 その大きさは 海と見違うほどで
 

乾季には琵琶湖の3倍 雨季にはその5倍ほどになり

『伸縮する湖』と言われ

 東南アジア最大の湖だと言う。


なお クメール語で 「トンレ」は “川”  「サップ」は “淡水湖”を意味する。


我々が訪れたときは 丁度雨季から乾季へ

 その水量は減少へと向かう時期であった。


 


カンボジア紀行(68) アプサラ・ダンス

2014-07-28 | カンボジア紀行

 

影絵に続き 舞台では 

子どもたちの子猿と阿修羅の戦いを踊りにした場面に続き 

カンボジアの伝統舞踊 「アプサラ・ダンス」が演じられる。

アプサラ・ダンスは 9世紀に宮廷舞踊として生まれ

アプサラとは 『天使・天女』を意味し 

踊りは神への祈りとして捧げられていた。


アンコール遺跡のレリーフにも数多く登場する踊りで 

踊り子の反り返った手と指の動きが特徴的 

手は蛇の頭 足は蛇の尻尾をと それぞれの手や指の動きには意味があり

 花の芽生えから実が落ちるまでを 生命の一生・儚さに例えて表現されている。


踊り子は 王室古典舞踏学院で養成されていたが

 ポル・ポト政権時代には 宮廷古典舞踊は王政を祭わるものとして

300人を超す先生や踊り子のほとんどが 処刑の対象となってしまった。


また 踊りの記録なども焼き払われてほとんどが消失したそうだ。

しかし 残った指導者の力で 今日までになったという。



カンボジア紀行(67) 影絵

2014-07-27 | カンボジア紀行

 

カンボジアでは 影絵を「スバエク」といい

 昔のアンコール時代には王宮でしか見ることができなかったが

 シェムリアップは この影絵の発祥の地とも言われている。

スバエクとは 人や動物の皮 皮膚を意味する。

きれいになめした牛の皮で作られている人形を

 大きなスクリーンの後ろで セリフや歌を歌いながら


伝統的な音楽に合わせて コミカルに動く。

 
上演された物語は 農村の光景で農夫ボアが奥さんと一緒に

水牛と連れて出かけ一人の農夫ソーと知り合うが

 その農夫ソーが奥さんがあまりに美しいので気に入ってしまう。

そこで水牛を戦わせ

「勝った方が奥さんを自分のものにできる。」

という賭けをしてしまう。


結果は ボアの牛が首の骨が折れて負けてしまうが

 しかし 奥さんを渡したくないボアは ソーと喧嘩になって

 そこへ 警察官が駆けつけ 二人は叱られてしまう。」という筋書きであった。


カンボジア紀行(66) ツアー3日目の夕食

2014-07-26 | カンボジア紀行

 

ツアー3日目(シムリアップ2日目)の夕食は

 前回話題の「山本日本語教育センター」の


真向かい国道6号を挟んである 

現地旅行手配専門会社「JHCアンコールツアーセンター」に案内される。


1階が土産物店 2階が「ラッキーレストラン」 別棟にはマッサージハウスがある。

ここで働く全員が 山本日本語教育センターの学生・卒業生で

 日本語を実践的に学ぶとともに 生活費も得ているとのこと。

その2階に 150畳敷きの部屋「さくら」に案内される。

野菜 豚肉 白味魚を煮込んだ カンボジア名物「クメール鍋」を

摂りながらの ディナーショー

カンボジアの伝統舞踊「アプサラダンス」と影絵「スバエク」を鑑賞となる。

カンボジアの2大伝統劇を 同時に観賞できるのは 市内ではここだけだそうだ。

 

 


カンボジア紀行(65) 日本語教育センター

2014-07-25 | カンボジア紀行

 

前回 現地ツアーガイドさんの話題でしたが

その日本語を学んだ施設「山本日本語教育センター」は

 市内 国道6号沿いにあった。

この「山本日本語教育センター」は 長い内戦により

疲弊したカンボジアの復興に役立てるため 


また カンボジアの友好を深めるために地元の理解と協力を得て

 山本宗夫氏が 1996年に設立した。

 

カンボジアで日本語を学びたいと願う

意欲的な若者への教育に力を注いでおり


これまでに500名以上の卒業生を送り出している。


その卒業生の9割が日本語を使った 観光ガイド 

空港・ホテルの職員 遺跡調査の通訳として活躍しているそうだ。



因みに 山本氏は この功績により 公益財団法人・日本財団から

平成25年度社会貢献者表彰を受賞している。

 

 


カンボジア紀行(64) 現地ガイド

2014-07-24 | カンボジア紀行

 

写真は クロマーが似あう 現地ガイドさん

 日本語が 流ちょうであるので どこで 学習したのかと 尋ねると

「自分は まだ 日本には行ったことはありませんが

 ここシムリアップで日本人が 主催する日本語教育センターで

日本語を 1年間学みました。」 とのこと

また 肩腕に付けたアンコールワットの絵があるワッペンとこの上着は

 アンコール遺跡群のガイドの国家資格を表すものとのこと。

 

 

 

 


カンボジア紀行(63) 夕日

2014-07-23 | カンボジア紀行

 

 

今朝 アンコール遺跡の朝日観賞を終えているが

 今度は夕日の鑑賞が予定されている。

崩壊が進んでいるタ・ブローム東塔門を抜け 

すぐ東にあるバンテアイクデイ遺跡の
正面にある「スラ・スラン」へ 

「スラ・スラン」は 「沐浴の池」と言う意味で 王が沐浴するための池である。

 ラージェンドラヴァルマン2世 の開教師 の指導により 10世紀中頃に掘られた。

その後、1200年ごろジャヤーヴァルマン7世時代に

 ナーガーの欄干と獅子が取り付けられた。

けれども 40年ほど前に フランスが40年前の発掘調査によると

幾つかの瓶のお棺が見つかったこことにより 

ここは 共同墓地であることが分かった。
 

この貯水池 スラ・スランは東西700m 南北300mで 水は雨水とのこと。

写真撮影は 案内板の下角あたりであったので もう少し左先には

テラスがあって 両側にあるナーガの欄干の端には

ナーガに翼を広げたガルーダが乗った彫刻があり 

水辺へと降りられる階段は 両側を2頭のライオン(シンハ)によって

守られているそうだが 行きそびれた。 


また 我々の反対側からは 日の出を見るための人気の場所でもあった。

 


カンボジア紀行(62) 修復方法

2014-07-22 | カンボジア紀行

 

参道の一角に 修復工事の概要 アフタービフォーの写真が案内板にあった。 

この「タ・プローム」遺跡は 1860年に発見された当時からも

ガジュマルの浸食が進んで 自然の脅威に晒されており 崩壊の危機にあった。

 アンコール遺跡の保存には 過去の状態に戻す復元と

 歴史や社会 自然環境の現況の保全がある。


ここタ・プロムでは 後者の 浸食された状態はそのままにして 

敢えて 修復せずに 自然との共存・現状維持に努める方法を選択している。
 
浸食されていない部分は 修復を行ってはいるが
 
しかし 確実に崩壊が進んでいるのには変わりはない。
 
それ故 この巨大な榕樹が遺跡の上に覆い被さる光景は

訪れる者に 自然の脅威を見せつけている。


 


カンボジア紀行(61) デバター

2014-07-21 | カンボジア紀行

 

 

   

ここにも いくつかのデバター(女神)がいた。

 巨大なガジマルに浸食され廃墟化した寺院の中に

ひっそりと 美しいデバター(女神)が 
刻まれている。

こちらのものは 他の遺跡のものと少々違い 気品とか躍動とかはないが

親しみのある微笑みを浮かべている姿は 庶民的で より身近にさえ感じる。


自然の猛威に晒されている中 

目をつむり瞑想的で 長年闘い耐えている姿は


正に デバター(女神)であり 神秘さが現れている。

 

 


カンボジア紀行(60) 大蛇的な巨木

2014-07-20 | カンボジア紀行

 

東門の壁に 正に”大蛇”が這いつくように見える

樹齢300~400年の巨木がある。

ガジュマルの根は 石の間を喰いこみ 

地の水を求めて突き進み 既に 塀の一角は崩れて

安全のためか補強材の手当てがなされている。


密林の中にあって このような巨木と苔むし 崩れゆく寺院跡は

まさに 神秘的な雰囲気ただよわせていた。 

しかし このように巨木に圧倒されていると 

本来の寺院遺跡には関心が行かず


浸食するガジュマルに目に行き 本末転倒状態になっている。

 

 


カンボジア紀行(59) 有名な巨木

2014-07-19 | カンボジア紀行

 

中央祠堂の南西側の回廊に 

この遺跡内で “最も有名な巨大木”(写真)がある。

見れば見るほど 巨大さと 今も押しつぶしそうな

何本かの根の勢いに圧倒される。


回廊の上にスカートのように広げた根は 

正に巨大な海の “タコ”
がへばりつくように見え
 
その上に 高さ30mを超す巨木には 気持ち悪ささえ覚える。

あらためて 自然の猛威に脅かされる。

 


カンボジア紀行(58) タ・プローム

2014-07-18 | カンボジア紀行

西門全面

 

  アンコールトムの勝利の門を抜け シムリアップ川を渡って

クランク状の道を 東に 300m進み


土産物屋が立ち並ぶ前で下車。
 

そこは 「タ・ブローム」 の西塔門の入口前だった。


「タ・プローム」は 「梵天の古老」を意味し
 
クメール帝国の王都(城都)アンコール・トムを建設した

スーリヤヴァルマン7世(在位1181~1220年頃)が 

1186年 母の菩提を弔うために建立した寺院。

後に ヒンドゥー教の寺院に改宗された。

そのため 仏教色の強い彫刻の多くが削り取られている。


東西1km 南北600mという広大な敷地内に 

 高僧18人 2740人の僧侶  2202人の使用人 615人の踊り子を含め

約12000人が住んでいたと碑文により伝えられ
 
その当時は 一つの都市のような寺院だったという。


しかし この寺院がアンコール遺跡の中でも人気があるのは 

熱帯雨林の巨木・スポアンガジュマル)の脅威に

晒されている遺跡を見られることにある。


  


カンボジア紀行(57) プラサット・スゥル・プラット

2014-07-17 | カンボジア紀行

横一列に12の塔が並ぶ

 

象のテラスに面して 王宮前広場の東側横一列に

 「プラサット・スゥル・プラット」が見える。
 

これは「綱渡りの塔」という名で呼ばれており

 王宮前広場に集まった観客のために塔の前に綱を張って

綱渡りを見せたということや 王に誓いを立てる場所だとの

諸説があるが 真偽は不明。


いずれにしても ここでサーカス的な催し物が繰り広げられたことは

 アンコールワット的な意味合いより アンコールトムは庶民的で親しみやすい。


12の塔は ラテライト(土の一種)を主要材料として造られており

 王に捧げられた宝物などを収納する儀式に用いられたと見られる。


ここも 日本のJSA(日本国政府アンコール遺跡救済チーム)によって

考古学・建築学的な調査・修復が行われている。