あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

エジプト旅行(73) 帰国

2011-04-02 | エジプト紀行

   帰国
 

    成田空港の到着ロビーに掲げられた 歓迎デスプレー)

  

 BS放送で 原発事故の放射能に関する 各国放送局の

 ニュースが流れていたが 全部が日本政府の対応について

 批判的であった。 また 外国人野球選手が 家族に反対されて 

 来日拒否したなどとニュースにもあった。

  今は失われたかに見える”美しき日本”が 再びよみがえり

  この歓迎板が また多くの外国人を迎える日が来ることを祈る!。

 

 

 

  

    13時間半の飛行 無事に成田に着陸した。

    旅行日程 8日間 エジプトを往復約2万Kmだった。

 

  今回のエジプト旅行は 一ヶ月半前に計画し 旅行会社に

 申し込んだものの催行中止。 急きょ別の旅行会社に変え

 下調べもせず ただ添乗員のガイドのままの旅であった。

 かえって 予備知識や先入観等を持たなかったので

 見るもの行くところ 私としては印象深く 新鮮なものとして

 感じられた。 また 帰国後に起こったのエジプト政変

 日本の巨大地震等と 重ね合わせて 旅行記を綴るに際し

 特に”世界を観る視点”が変わったように思える。

  今までの海外旅行と比べ 

      特に印象に残り 意義のあるものとなった!!

 

 

   


エジプト旅行(72) 我が領土

2011-04-01 | エジプト紀行

 

  明けて 旅行日程 最終日 25日 

 飛行機は 見慣れた 我が領土日本上空に

 無事に帰国できる安堵と疲れが入り混じった感覚だった。

 眼下には 茨城県大洗港から銚子岬方面が 穏やかに見える。

 

 しかし 帰国して3ヶ月も経たないうちに 今回の巨大地震と

 大津波に見舞われ この眼下の光景も一変してしまっている。

  自然のなせる業は 容赦なく 一瞬のうちに 

           我々に試練を 突きつけている。

 

    今日 4月1日で 震災から3週間になる。

   死者 16,451人 行方不明者を加えれば 3万人を超え

   避難している方も 17万人余に達している。

 


エジプト旅行(71) ジェット・ストリーム

2011-03-31 | エジプト紀行

  ジェット・ストリーム

 

   エジプト旅行も 現地を離れ帰途へ

   24日午後 カイロ空港から 日本に向け 飛び立つ。 

  次第に高度上げ ナイル川?の向こうに 地(水)平線が

  横たわっている。 こんな光景を見ているうち

  かつて FM放送で深夜に放送されていた

  亡くなった 城 達也さんのナレーレション

    「ジェット・ストリーム」 が聞こえてくるようだった。

 

  「遠い地平線が消えて ふかぶかとした夜の闇に

  心を休める時  はるか雲海の上を 音もなく流れ去る

  気流は たゆみない宇宙の営みを告げています。

  満点の星をいただく はてしない光の海を ゆたかに

  流れゆく風に 心を開けば、きらめく星座の物語も

  聞こえてくる 夜の静寂の なんと饒舌なことでしょうか。

  光と影の境に消えていった はるかな地平線も瞼に

  浮かんでまいります。・・・」

 

 

 

 


エジプト旅行(70) カイロの商店街

2011-03-30 | エジプト紀行

  

   12月24日 昼下がりの カイロ市内の商店街

  さぞかし 東京・下町の繊維街では クリスマスセールで

  買い物客で混雑しているのではと思うが 

  ここカイロ街は クリスマスイブの日ながら エジプト人の

  9割がイスラム教であるため クリスマスの派手な飾りつけもなく 

  また クリスマスソングも流れてもいない。 

  車のクラクションが響いていたぐらで 静かな街であった。

  しかし 泊まったホテルなどでは クリスマスツリーなど

    飾りつけをしての歓迎はあったが。

 

  因みに エジプト人口の1割は コブト教で キリスト教の

   一派であるので 1月7日に クリスマスを祝うそうだ。

  

   


エジプト旅行(69) ハーン・ハリーリ

2011-03-28 | エジプト紀行

  

    

 

 

 

 

 

 

 

 

        

   カイロ中心部 バザールの ハーン・ハリーリへ

  東京の浅草似た町 アラブ諸国で最大級の規模を誇る市場。

  狭い通リに パピルス 革製品 水パイプ 香辛料 香水 

  金細工 宝石 土産品 日用品 スカーフ エジプト綿の

  Tシャツや民族衣装のガラベーヤ タペストリー ベリーダンスの

  衣装など さまざまな店が軒を並べている。

   観光客に対する客引きも すざましいい!

    

         

   丁度金曜日 祈りの日のため ハーン ハリーリの

   入り口脇にある フセイン広場のバーマ・ホセインでは

   お祈りが行われていた

 

 

 



エジプト旅行(68) 死者の町

2011-03-26 | エジプト紀行

 死者の町

   バスの窓越しから 「死者の町」を望む。

   カイロを一望する丘に 低い家並みが数キロにわたって続く

  一帯に巨大な墓地がありここを「死者の町」と呼ぶ。

  多くのホームレスや貧者がこの墓地に住み着くようになり

  一つの町を形成するようになった。

 

 墓地であるから モスク(イスラムの礼拝堂)、ミナレット(尖塔)

 美しいドームを持つマスギド(礼拝所、小型のモスク)や

 ハーンカー(スーフィーの修道場)が多数見える。

  原発事故で 

  今の日本に 「死の町」 ができないよう望む!

   

 


エジプト旅行(67) エジプトの子供5

2011-03-25 | エジプト紀行

   エジプトの子供(5)
 

   

    オールドカイロ街 

   廃車寸前とも思われる車に 小さな姉妹が 取り残されていた。

   ずうっとここにいるのか たまたま停車中なのかは

   分からないが 周囲にも 親の姿が見当たらない。 

     不安げに 私を見つめる大きな瞳が 

             何かを訴えているようだった。

   この旅行中 エジプトのいろいろな子供たちを見てきたが

   幼児期等の人生 そのときの体験や経験が

          将来に大きく影響すると思う・・・・。 

 

   この度の 地震・津波で 被災した日本の子供たちにも

   親兄弟を亡くしたりして 

     容赦ない 厳しい現実が つきつけられているが 

         負けるな! くじけるな! と祈る。

  

   

 

 

 

 

 


エジプト旅行(66) オールド・カイロ

2011-03-24 | エジプト紀行

 

 

  世界遺産として登録されている カイロの町の起源である

  オールドカイロ地区の路地。

  カイロは、「オールド・カイロ」「イスラム地区」「新市街」に

  分けられる。

  コプト教の古い教会群と7世紀にエジプトに侵入してきた

  イスラム軍の造営地のあった辺りを「オールド・カイロ」と

  呼んでいる。 以後 徐々にイスラム化しながら 市街は

  北に広がり それが現在の「イスラム地区」になっている。

  「イスラム地区」は 南の方のシタデル(城塞)の周囲と

  北の方のハン・ハリーリ市場などがある。

  
  
   紀元後 ローマ帝国の支配下で キリスト教が布教されて

  エジプトでのキリスト教は キリスト教ではあるが

  「コプト教」という一派になっている。

  

    この街の静寂の中に 教会のお祈りの

               音楽だけが流れていた。

  
  
       
 

       ”放射能汚染”が広まってきた 日本の静寂はどこに !

    


エジプト旅行(64) 土産物店

2011-03-22 | エジプト紀行

 

  バスは アレキサンドリアを後にし 再びカイロへ向かう。

 途中トイレ休憩 そこに 「みやげ物店」があった。

 お菓子中心のお土産のようだ。

 あのエジプト騒乱で 観光客が途絶えてたようだが

   現在は もとの状態にもどり 

             土産を買う客も訪れていることだろう。

 

  しかし今では 日本が その 観光客 がこない !

   被災 避難 放射能汚染 等で 

     在日していた外国人も 国外に逃げ出している。

 まして 旅行・イベント等 自粛や省エネルギーで 

 直接関係のない観光地までが その影響を受けている。

   この国難に 国民一人一人が 

         どう対処すれば よいのだろうか?

 

 

 


エジプト旅行(63) エジプトの子供4

2011-03-21 | エジプト紀行

        エジプトの子供(4)
 

 

   地中海を望む海岸に遊ぶ 家族一家に関心が

  一家の孫を囲み 笑顔がほころぶ!

 

  旅行から帰って1ヶ月後にはエジプト政変がおこり

  そして今は 隣国では戦争状態になっている。

 

  加えて わが国では 巨大地震 大津波 原発事故等と

  一寸先は闇とも思える現況 

  被災されたり 家族を亡くしたり 避難された方々に

  このような笑顔が 戻るのは 何時になるのだろうか?

  

         

             

 

 

 

 

 


エジプト旅行(62) カーイトゥベーイの要塞

2011-03-20 | エジプト紀行

    

    朝一番 「カーイトゥベーイの要塞」を 外から見学

  この要塞は もともと古代世界の7不思議の一つといわれた

  ファロスの灯台跡に 15世紀に建てられた。

   3層構造の堅固な造りになっており 

          現在は 海軍博物館になっている。

 

  *ファロスの灯台とは アレキサンダロス大王の案に基づき

   プトレマイオス2世により 紀元前3世紀に建立。

   高さ120mで 56km先からも光が見えたとも。

   しかし14世紀の大地震で崩壊した。 

   また 繁栄を謳歌したクレオパトラ7世の居城も4世紀頃

   大地震で海底に没し当時の情報は殆んど出てこない。

   1997年に 海底からスフインクス 巨大石柱 石像の頭部

   石畳等が発見され クレオパトラの暮らした都が発見された。

    
   ここでも 大地震が発生し 歴史を変えている。 

    今回の 日本の巨大地震は

          どのようなことになるのだろうか?

    

       

 

     上の写真の反対方向 右は穏やかな地中海が

    見えるが この海岸に続く リビアでは 

    米・英・仏国が 最高指導者カダフィあての声明を発表し

    「(即時停戦を要求し、従わない場合の武力行使を容認した)

    国連安全保障理事会決議1973を順守しなければ、

    国際社会は軍事手段によって決議を強制履行させる」と

    最後通牒を突き付けている。また アメリカとイギリスの

    艦船や潜水艦からリビアに向けて巡航ミサイル

    「トマホーク」110発以上を発射した。

     今の地中海は 戦場と化して いる。

 

 

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エジプト旅行(61) アレキサンドリアの朝

2011-03-19 | エジプト紀行

  

  旅行7日目 エジプト最後の朝を迎える。

  今朝も6時半の出発のため 5時の起床

  朝食を済ませてやっと夜明けに

  

 

   

     地中海の見える五ッ星ホテルが旅行の売りだ!

   しかし 夜の到着 そして早朝の出発では

   その売りが浮かばれない。

   でも 少しでも味わいたいと ビーチに出てみた。

   暗い海の潮騒と 閉じられたビーチパラソルだけ

   エジプトにふさわしい太陽が欲しかった!

   

    

 

 

 


エジプト旅行(60) モンタザ宮殿

2011-03-18 | エジプト紀行

  

 

     アレキサンドリアの中心部から18km東にある モンタザ宮殿は

   格式ある庭園と美しいビーチに囲まれ 370エーカーの広大な敷地に

  建っており  トルコ風とフィレンツェ様式がミックスした 王家の夏の

  宮殿として1892年にヘディーブ・アッパーズ2世が建てた。

  「エル・サラムレク」と呼ばれ 迎賓館としても使われ その後改築し

  現在は 客室20部屋のみの贅沢なホテル「アル・サラムレック」に

  なっている。

  ロビーには たくさん王家の写真が飾られ 美しいアンティークの

  イスや机が備え付けられている。 

  ボーイたちも王室時代のコスチュームで接待し 王侯貴族の気分を

  味わえるとのこと。

 

  その緑に囲まれた広大な庭に建つ「ヘルナン・パレスタイン」が

  今夜の我々の宿泊先です。 

 

      


エジプト旅行(59) スタンレー・ブリッジ

2011-03-11 | エジプト紀行

 

   アレキサンドリアは アレキサンダー大王が紀元前332年に

 建設した古い都市。 大王の死後、その将軍の一人であった

 プトレマイオスが王となり プトレマイオス朝の繁栄があり。

 クレオパトラ(7世)がローマ軍に破れて滅亡するまで275年間

 プトレマイオス王朝の首都として栄えてきた。
 

 カイロに首都を譲ったが、今でも海底からは当時の遺跡・石像等が

 数多く発見されて 当時を偲ばせ 地中海に面して

 「地中海の真珠」と呼ばれ、ヨーロッパの都市に負けないほどに

 夏の避暑地として賑わっている。

  その海岸沿いに架かる 「スタンレイー・ブリッジ」 交通渋滞緩和と

 観光施設として 写真では二塔しか見えないが 四塔あり宮殿

 のように建設された。

 夕日とマッチすると きれなところとして有名なのだが

 下車もできず 車窓からの撮影となり 残念!