あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

中欧旅行(168) 帰国

2012-08-28 | 中欧5カ国紀行

 

   無事に 成田空港に到着し 
    ”日本の新たな年”の第一歩を踏むことができた。

    あらためて 今回の旅行を振りかえてみて

   海外へ行く時は 毎回そうなのだが 予備知識を持たず

  案内されるまま 行くようになってしまっている。

   まあ~ そのほうが感動 感激が強く感じられるが。

  今回の旅行も5カ国と欲張った旅ではあったが

  歴史のある都市 またかつて共産圏の国へも

   訪れることができたことはよかった。 

   その結果 このブログへの掲載も168回にも及んだ。

    また 今回でツアーで知り合う人々も増え

    旅の思い出・印象が さらにいつまでも強く残っている。 

       

 

              ウィーンからプラチスラバへ流れるドナウ川上空

  ブログ第1回の出発で ドナウ川に触れたが

     ドナウ川上空から別れの一枚を もって 今回の旅行を終わりとする。

       


中欧旅行(167) 初日

2012-08-27 | 中欧5カ国紀行

 

    飛行は順調に 日本に向けていく

    空は 白々と明るくなり 初めて上空から”元旦”を迎えた。

      残念ながら 雲が多く下界は見えないが

        去年一年 何があったかを思い起こし

          今年も 良き年になるよう祈りつつ

            平成24年の幕開けとなった。 
              

 


中欧旅行(166) ライゼンベルク

2012-08-26 | 中欧5カ国紀行

   
   飛行機は ウィーン空港を旋回しながら上昇していく 

   その途中 眼下に 不思議な形をした街を 見る。

    歴史的な街なのかと? 写真に収め

     帰国して調べたら ウィーンの森 東南方面にある

       ”ライゼンベルク”という街だった。

         しかし 歴史的な街ではなく 

          ウィーンの別荘地またはベットタウンのようだった。

                      ちょっと拍子抜けでした。

 

 


中欧旅行(165) チョコレート

2012-08-25 | 中欧5カ国紀行

 

    ウィーン空港内で 呼び止められ 試供品のチョレートを食べて

     また あらためて お土産として買い求めてしまった。

       しかし 旅行仲間の情報では 店によって 価格が違うということで

         空港内を あっち こっち うろうろとさまようことに・・・

        

 

 

 


中欧旅行(164) ウィーン空港

2012-08-24 | 中欧5カ国紀行

    
      昼過ぎ ウィーン空港に到着

       早速  各人が 機械により搭乗手続きをとることになったが

        日本語をチョイスすると すんなりと終える。

     写真の奥に見える塔は 管制塔 2005年9月落成している。

      頂部が基部に対して45度回転した特徴的な構造で

        高さが109mとヨーロッパで最も高いとのこと。

           
      しかし テナント方式なのか 

         韓国の企業”SAMSUNG”の看板が掲げてあった。

             その昔ならば ”SONY”だったかもしれない・・・

 

 


中欧旅行(163) TESCO

2012-08-23 | 中欧5カ国紀行

     
    

    ウィーンに向かう途中で こんなのどかな所に ”TESCO” を発見

    ”TESCO”は 英国を本拠地とし 世界第3位の巨大スーパーマーケット・チェーン

      日本には2003年に参入し、首都圏を中心に百余の店舗を有しているが

        8年を経過したが 思うような展開が成らず
   
         最近では 日本からの撤退を 始めているようだ。

 


中欧旅行(162) 風力発電

2012-08-22 | 中欧5カ国紀行

   
    帰途 ブタペストからウィーンに向かう途中の景色だが
     
    風力発電が ざっと数えても数十基が乱立している。

     川はあっても 高低差のない平坦な土地 水力発電はできない

      火力発電が主だが  風力発電化になる その現状をみる。

       また オーストリアには世界一安全な原子力発電があるそうだが

         まさに 建設はされたが 国民の反対で一度も稼働していないからと


         


中欧旅行(161) クルージング2

2012-08-21 | 中欧5カ国紀行

                           ライトアップに輝く国会議事堂 

     
    エリザベート橋をくぐる ゲッレールトの丘もライトアップされ そして月も輝く

    上海のような色とりどりに煌めく状況とは 打って代わって

     こちらは 白熱灯一色に統一され 落ち着いている。

      さすがに”ドナウの真珠”といわれるだけのことがある。
   
    しかし
  はしる船 また夜間の撮影は難しい いい勉強になった。

 

 

 


中欧旅行(160) ドナウ川クルージング

2012-08-20 | 中欧5カ国紀行

           イルミネーションに飾られた ”くさり橋”  向こうに見える橋はエイザベート橋

                      乗船したクルーズ船

   夕食後 ”ドナウの真珠”と称される
    幻想的なドナウ川の夜景をクルーズする。

  ペスト地区(王宮の対岸)のくさり橋とエリザベート橋の間の
     船着き場からクルーズ船に乗船。
 

   上流はマルギットシゲットまで
     下流は自由橋の先までの約1時間の乗船だった。

   ライトアップされた くさり橋の景観は
      ヨーロッパ随一といわれる程の美しさを誇っている。
        世界遺産「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城」の
           登録建築物でもある。

 

 


中欧旅行(159) 旅行最後の夕食

2012-08-19 | 中欧5カ国紀行

  
   ブタペスト郊外から戻り
   今回の旅行も 大詰めとなる。

   ブダペスト最後の夕食は
    ブダペスト西駅に近い ワインセラーのレストランにへ
     館内はワインが所狭しと飾られている。

  我々の食事は地下に案内され
   昔の地下壕を利用したものと思われるが

   最後の晩餐とは思えない内容
    普段食と変わらない肉料理で 少々拍子抜けであった。

  この後 ナイトクルージングが控えているので
   心はすでにそちらに行ってしまった。

 

 


中欧旅行(158) 十字架

2012-08-18 | 中欧5カ国紀行

 

 

  再び中央広場に戻った。 ここに建つ十字架は
   18世紀に建てられ ”商人の十字架”と呼ばれている。

  ここにも 少々怖いお話がある。

  言い伝えでは 十字架の下にはセルビア人の男性が
    逆さまに埋めらていると。

  ”セルビア人の死体は前に進む” と信じていたので
    死体が地上に出ないように
 逆さまに埋めたそうだ。

   お国が変われば いろいろな言い伝えがあるものだ。

 


中欧旅行(157) ドナウベント

2012-08-17 | 中欧5カ国紀行

 

   センテンドレ「丘の上の教会」から見るドナウ川 対岸はセンテンドレ島

 
  ブタペストから北西に約60kmの地点
   ハンガリーとスロバキアの間を東に流れる ドナウ川は
     完全にハンガリー領に入ってから 南に向きを変えて
       ゆったりとブダペストへと流れ下る。

  この辺りは ドナウベント(ドナウの曲がり角)と呼ばれ 
    豊かな歴史文化遺産や建築物が 今でも数多く残している。

  ドナウベント一帯は エステルゴム ヴィシェグラード センテンドレの町が
   観光地となっているが この町が中心になっている。

 


中欧旅行(156) 丘の上教会

2012-08-16 | 中欧5カ国紀行

 

 
   センテンドレのなかで一番高いところにある教会が
     プレーバーニア教会であり
       通称「丘の上のカトリック教会」と呼ばれる。


   セルビア正教教会ばかりしかないような
     センテンドレの街の中では
       唯一残っているカトリック教会である。

     しかし 夕暮れ近く 丘の上とはいえ うす暗くなり
    教会脇には 痛ましいイエス様のお姿を見て
     少々寒気を感じ 早々に丘を下る。

   

 


中欧旅行(155) 小路

2012-08-15 | 中欧5カ国紀行

 
                             セントドレの路地

  
  街の住居は 1階または2階建で 
   家の壁は鮮やかな色が使われている。
    屋根瓦の色は茶色系である。

  お土産店が建ち並ぶ通りを歩き
    軽井沢の町を思わせたが

  本通りから横丁に入ると石畳の路地は
 
  人一人ぐらいが通れる幅で
    入り組んでいてまるで迷路のようだ。

    また石畳の路地を歩いていて
    ”フェルメールの小路”ではないが
     
 遠い昔の こんな狭い路地で
        遊んでいたことを思い出した。

 

 。


中欧旅行(154) センテンドレ2

2012-08-14 | 中欧5カ国紀行

 

 

  5本の道が集まる町の中心地の中央広場に建つ
   セルビア正教のブラゴヴェシュテンスカ教会
   
  この町のメイン・イメージにもなっている。

  1754年に建築家アンドラーシュ・マイエルホファーによって
    セルビア正教会として建てられた。
  
  ハンガリー人は主にカトリックだが
   15世紀にオスマン・トルコの攻勢から逃げてきた
    セルビア人が この地に定住し

     セルビア人はオーソドックス(正教)派であることから

       この町の教会はオーソドックス教会が多く
        セルビア系の文化・宗教が色濃い町になっている。