あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポーランド・ワルシャワ 41 国立銀行

2018-05-31 | ポーランド紀行

 

 

  

市内中心部を走る中
 「ポーランド国立銀行本店」を見る。

ポーランド国立銀行はポーランドの中央銀行。
通貨ズウォティの発行を管理している。
ポーランド国立銀行は
欧州中央銀行制度に組み込まれている。

ポーランドの通貨はズウォティ (Złoty)。
日本語ではズロチ、ズオチともいう。

最近ではPLNと表記される。

2017年2月から 500ズウォティ紙幣が
新しく発行された。

表に17世紀の国王ヤン3世ソビエスキの横顔
裏にはポーランドの国章である鷲と
ソビエスキが住んでいた
ヴィラヌフ宮殿が印刷されている。

因みに 1995年にデノミが実施される以前の紙幣には
ショパンやキュリー夫人、コペルニクスの肖像画であった。

 

 

 


ポーランド・ワルシャワ 40 「P W」

2018-05-30 | ポーランド紀行

 

 


 ビルの屋上に「PW」の文字を見える。

これはポーランド語の 
“我々はヴァヴェルのあだ討ちをする” 
(Pomścimy Wawer)の頭文字。

この頭文字「PW」だけが
抵抗のシンボルとして書かれるようになり

PWに当てはめたポーランド語の
「戦うポーランド」とか
「ワルシャワ蜂起」などの
標語に発展していった。

なお「ヴァヴェル」とは
ヴァヴェルの丘の竜としても知られ

ポーランドの伝承では有名な竜の一種。

竜の住み処は ヴィスワ川の岸の上の
ヴァヴェルの丘の梺の洞窟であった。


ヴァヴェルの丘は
当時ポーランドの首都であったクラクフにある。

一部の物語では 都市が造られる前
まだ農民が住む地域だった頃に
竜が棲んでいたとされている。

伝承では「この凶悪な竜が毎日のように
田園地帯の全域を破壊し 踏み固めて回る。

さらに 人々を殺害し 人々の家で略奪をし
人々の家畜を貪り食った。」という。

 

 


ポーランド・ワルシャワ 39 エミリア・プラテル通り

2018-05-29 | ポーランド紀行

 

 中央駅(左)と文化科学宮殿(右)



 茶色線がエミリア・プラテル通り
左下はワルシャワ中央駅



ワルシャワ中央駅と文化科学宮殿との間に
「エミリア・プラテル通り」がある。

現在この界隈は ウィーンを凌ぐ
中東欧最大規模の金融街になっている。

この「エミリア・プラテル通り」は
19世紀前半に活躍したポーランド版
ジャンヌ・ダルクとも言える貴族女性の軍指揮官
エミリア・プラテルの名前がついている。

 エミリア・プラテル(1806-1831年)は
ポーランド・リトアニアの
貴族 革命家 
伯爵夫人でもあった。

1830年に起きたロシアに対する11月蜂起に
彼女(当時24歳)は 参加して
リトアニアを中心にゲリラ軍を率いて
大活躍し 国民的英雄となったが
1年後に病死してしまった。


  詳細は→こちら(ウィキペディア)

    


ポーランド・ワルシャワ 38 文化科学宮殿

2018-05-28 | ポーランド紀行

 

 

 ピウスツキ広場から中央駅近くまで来た。
薄紫色にライトアップされた高層ビルが聳え建つ。

1955年に完成した、
「ポーランド文化科学宮殿」だ。


3000人を収容するコンベンションホール
映画館  劇場などが入っている。


しかし この高層ビルは 現地の人々には不評で
「北京」「スターリンの墓」とも呼ばれている。

37階建て塔の高さは 234m。
展望台へは 専用のエレベーターがあり
展望台から眺めるワルシャワの
風景がすばらしいとのこと。

 


ポーランド・ワルシャワ 37 「恐れることはない !」

2018-05-27 | ポーランド紀行

 

 

「クラクフ郊外通り」から西に
 ピウスツキ広場にある ”十字架” を見る。

 この十字架は 共産主義時代に
ポーランド出身のローマ教皇
ヨハネ
パウロ 2世が里帰りし
ミサを行った記念に建てられた。

教皇が就任(1978年10月16日)した 
8ヶ月後に 初めての故国訪問をしたが

熱狂的歓迎をもって迎えられ
ビウスツキ元帥広場に集まった人々に
「恐れることはない」
と訴えた。

その 4ヶ月後
「独立自主管理労働組合「連帯」」が
率いたストライキなどを経て
政権は 妥協路線を走り始めた。

この教皇の言葉が
1980年代後半以降の東欧の民主化運動において
” 精神的支柱の役割 ”
を果たしたともいわれている。

因みに 教皇は 1981年2月23日から26日まで
日本も訪れている。

 


ポーランド・ワルシャワ 36 無名戦士の墓

2018-05-26 | ポーランド紀行

 

 

前にピウスツキ広場の
十字架について触れたが

「クラクフ郊外通り」を歩くうちに
 この広場を遠くから見ていた。


写真には 十字架もあり また銅像 
その先に国旗の下 無名戦士の墓のアーチも見える。


銅像は ピウスツキ元帥の像で 
ポーランド独立運動の闘士
第一次大戦後 共和国として

独立を回復したポーランドの
初代大統領になった人物であり
ポーランド軍の創設者でもある。
広場の名前にもなっている

「無名戦士の墓」は

独立ポーランドのために命を落とした
無名の英雄たちを追悼する墓地。

1944年 この地にあった
サスキ宮殿は 破壊されたが 
墓のあるアーケードの部分だけは残った。

そのアーケードの下に
埋葬された 象徴的な墓でもある。


(Googleから)

 

 


ポーランド・ワルシャワ 35 コペルニクス像

2018-05-25 | ポーランド紀行

 

 

「聖十字架教会」からも見えた
地動説で有名なコペルニクス
 (1473-1543)の像がある。


コペルニクスより一世紀後の
ガリレオ・ガリレイが地動説を唱え

宗教裁判にかけられたのに対し、
コペルニクスは その説を死の直前まで
公表しなかったため

生前に迫害を受けることはなかった。


天球儀を持ったこの像は
古都クラフク
出身ではあるが
ポーランドの誇りとして

1830年に建てられている。


ナチス・ドイツ時代には
この像も 取り払われていたが
戦後 元の場所に戻された。


また 像を囲む地面には 地動説を模して
水・金・地・火・・・・と惑星が配置されている


背後の建物は 昔の貴族の館であったが
現在は「ポーランド科学アカデミー」となっている。



ポーランド・ワルシャワ 34 乙女の祈り

2018-05-24 | ポーランド紀行

 

 

ピアノを習い弾きたいと思う人にとっての曲というと 
「乙女の祈り」が最初に浮かぶが
この曲 ポーランドで生まれたとは知らなかった。

 そのいきさつをNHKTV番組
「らららクラシック」で知った。



日本では多くの人に愛され親しまれているが
祖国ポーランドでは「乙女の祈り」や
作曲者・バダジェフスカが忘れ去られ
知る人が少ないという。

 バダジェフスカは音楽の教育を受けていなく
音楽専門家から酷評されていた
ことにより忘れされてしまった。


また 彼女は作曲数も少なく32歳で
亡くなっていることもある。

 しかし 日本に住むポーランド人のジャーナリストが調査し
「乙女の祈り」とバダジェフスカの存在を
ポーランドで発表したことにより

少しずつ再び知られるようになり
2011年 彼女を記念したコンサートが開かれ
 翌年には評伝も発表された。


荒れていた彼女の墓には 
最近は花やロウソクが供えられているという。


ショパン一色に染まるポーランドにも
 こんな話題があった。

 

 


ポーランド・ワルシャワ 33  ショパン空港

2018-05-23 | ポーランド紀行

 

 

ポーランド・ワルシャワには
ショパンの名が至る所に冠してある。

中心部から南西へ約10km 
ポーランド最大の空港も
「ワルシャワ・ショパン空港」と

かつては「オケンチェ空港」が
正式名称であったが
2001年 ショパンの名に命名された。

2015年のショパンコンクール以降から
出発ゲートフロアに
「ショパン・ミユージック・スポット」が設けられ 
自由に弾くことができるようになっている。

CASIO製のピアノが置かれていた。

日本でも「いつもポケットにショパン」
(1980-1981年
連載)のマンガが
読まれていたが 縁がありそうだ。

また この「空港のピアノ」で 
NHK「わが故郷 シチリア島」の
放映を思い起こす。

 イタリア・シチリア島の空港に
1台のピアノを据えて
 
故郷を愛する人々が
思い思いに音を紡いでいく姿を
 定点カメラとおして見つめていく。

弾く曲は「イマジン」「炎のランナー」などで
ショパンの曲はなかった。

追:2017年11月から
ポーランド国営ラジオがショパンに
特化したチャンネル放送を開始した。

ショパンにかかわる情報は多い!

 

 

 


ポーランド・ワルシャワ 32 ショパン国際ピアノコンクール 

2018-05-22 | ポーランド紀行

 

 

ピアノコンサートで
「ショパン国際ピアノコンクール」の模様を

NHKの番組で見たことを思い起こした。


このコンクールが創設されたのは 第一次世界大戦が終結し
ポーランドが独立国となって 9年後の1927年だった。

ポーランドは 過去に近隣諸国に領土を踏みにじられ
 第一次大戦中もロシア、ドイツ、オーストリアがこの地で戦い
200万ものポーランド人が敵味方に引き裂かれて
殺し合うという悲劇を経験していた。


こんな中 ワルシャワ音楽院の教授が
人々の心を癒し 当時フランス音楽と考えられていた
ショパンの音楽をポーランドに取り戻して
愛国心を鼓舞しようと考え
コンクールの創設を思い立った。

それから 5年ごとに ショパンの命日である
10月17日の前後3週間にわたり

ここワルシャワで開催される。

国際音楽コンクールの中では 最古のもので
世界的に最も権威のあるコンクールのひとつと言われ
その優勝者・入賞者は生涯にわたり
第一線で活躍する知名度と評価を世界的に得ることになる。

内容は ピアノ演奏部門のみで
課題曲はショパンの作品のみとされている。

直近では 2015年に第17回が開催された。
日本人の入賞者には 先日亡くなった中村紘子(第7回)さんがいる。
彼女は審査員にもなっている。 

また 中村紘子コンサートに出かけたことも思い起こした。

なお 漫画「ピアノの森」がTVアニメ化され
この4月からNHKで放映が始まり
ショパンコンクール編のこともあるようだ。

 

 


ポーランド・ワルシャワ 31 ショパンピアノコンサート

2018-05-21 | ポーランド紀行



ワルシャワの夜 ツアーに組み込まれている
「貸切ショパンピアノコンサート」へ

演奏会場は サスキ公園の北側にある
「Polskie Wydawnictwo Muzyczne」の一室。

 ショパンの肖像画 
ドイツ・ベヒシュタインのピアノが置かれている。

女性ピアニスト・アンナ・グビットさんにより
約30分の演奏が催され

終了後は 彼女の作品集CDが販売され
記念の写真撮影が行われた。



演奏会場の1階ホール

 

ここで  ショパンの曲「英雄ポロネーズ」
ポロネーズは ポーランドの踊りの曲。

3拍子の祝祭的なリズムで 
当初 農民の歌や踊りが後に宮廷儀式に用いられた。

ポーランドは 過去に外国に占領されてきたが
「どんなに祖国が変わろうともやがて栄光が来る」と信じ
その思いがショパンの「英雄ポロネーズ」に宿り
曲の中での転調は
「外国に占領されどもポーランドの魂は保ち続ける」
と表現されているという。
このことが”ポーランドのショパン”としている。

 


ポーランド・ワルシャワ 30 戦場のピアニスト

2018-05-20 | ポーランド紀行

 

 

 ショパンの曲と大戦で灰燼と帰した
ワルシャワ市街の様子で 思い起こすのは
映画「戦場のピアニスト」(2002年公開)。


原作は ユダヤ系ポーランド人のピアニスト
シュピルマンの回顧録「ある都市の死」

第二次世界大戦下ナチスドイツ軍に
占領されたワルシャワで
迫害され踏みにじられながらも
生き延びた実在のピアニストの記録。


映画の冒頭で 主人公がラジオ局で
演奏するショパンの「夜想曲20番」。

また クライマックスシーン
ドイツ軍人に命じられて 演奏するものも
ショパンの「バラード第一番ト短調」だった。

祖国を愛する ショパンの曲が
破壊され瓦礫と化した街に鎮魂歌のように
流れ心に浸み込んでくる。

*映画「戦場のピアニスト」の一場面

予告編(YouTube)⇒ https://youtu.be/RnG7GnaIXH4

当ブログ 「27 聖十字架教会」(2018/05/17)と同じアングル 

 


 

 


ポーランド・ワルシャワ 29 ショパンのベンチ

2018-05-19 | ポーランド紀行

 

 

ショパン生誕200年にあたる2010年

ワルシャワには「ショパンのベンチ」が造られ

市内 15か所に設置されている。

これはショパンにゆかりのある場所の前に設置されていて

ボタンを押すとショパンの名曲が流れる仕掛けになっている。

15か所 それぞれ違う曲が用意されている。

因みに 聖十字架教会前は

ソナタ 変ロ短調 作品35 より “葬送行進曲”

また チャプスキ宮殿(現ワルシャワ美術アカデミー)前は

 ワルツ 変二長調 作品64の1

 

 

 


ポーランド・ワルシャワ 28 ショパンの墓

2018-05-18 | ポーランド紀行

 

   左の柱に ショパンのレリーフが見える



「聖十字架教会」は
外装の工事中であったが
内部に入場できた。

この教会は
ショパンの心臓が埋葬されていることで有名な教会。


1849年10月17日
パリで亡くなったフレデリックショパンは

死後自身の心臓をワルシャワへ戻して欲しい
との遺言があり 姉のルドヴィカが
葬儀の前に取り出したコニャック漬けの心臓を
ワルシャワへ持ち帰った。

第二次世界大戦で教会は半壊し
ショパンの心臓も持ち出されたが

戦後に再建され1945年10月17日の命日に戻された。

現在ショパンの心臓は
本堂左手の石柱の下に納められている。

ショパンはワルシャワ郊外生まれのワルシャワ育ち
市内には生家 サロン 博物館などがある。


 

 

 

 


ポーランド・ワルシャワ 27 聖十字架教会

2018-05-17 | ポーランド紀行

 

 

入口に十字架を背負っている
イエス・キリストの像のある「聖十字架教会」。


教会は17世紀の終わりに
ユゼフ・べロッティの設計で建てられたが

2つの塔を持つファザードは
ユゼフ・フォンタナとヤクブ・フォンタナによって造られた。


下の階には墓があり
上の階にはたくさんのポーランドの著名人の
墓碑銘や追悼文が飾られている。

19世紀初頭には
ワルシャワ最大のカトリック教会で

またこの教会では 
ショパンの姉妹イザベラとエミリアの洗礼式が行われ

後には ショパンの心臓が納められたなど
ショパンの一家の歴史的出来事が
いくつもある教会としても有名。


また毎年 ショパンの命日10月17日には
ショパン追悼のための
コンサートが
行われている。