あかない日記

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小説家 大佛次郎

2021-04-30 | 人物忌


    (日本経済新聞 2003/12/13)

 4月30日は 
 小説家  大佛次郎 がなくなった日


大佛次郎(おさらぎじろう)は 
 本名 野尻 清彦 

1897年
 横浜市生れる。

 東京帝国大学政治学科卒業後、
 外務省に勤務

1923(T12)年
 関東大震災を機に外務省を辞し、
 文筆に専念する。

1924(T13)年
 「鞍馬天狗」シリーズ(47篇)開始
 前近代的大衆文学を刷新し

 その斬新な作風は急速に支持を得た。
 また「赤穂浪士」を
 東京日日新聞(1927-1928)に連載


歴史と社会に取材した作品を多く発表する。
・開化期の横浜を描いた「霧笛」(1933)
・戦前と戦後の日本人の
  心理を描いた「帰郷」
 (1950 日本芸術院賞受賞)

・パリ・コミューンの史料を
  駆使した「パリ燃ゆ」(1964)


1964(S39)年 
 文化勲章受章

1967(S42)年から死の直前まで
 朝日新聞連載のライフワーク
 「天皇の世紀」を執筆(1555回)
1973年 
   転移性肝臓がんにより死去
 享年75


横浜・港の見える丘公園に
大佛次郎記念館がある。

作家の野尻抱影
(正英・1885-1977)は兄

 


  (Webから)

監督:大曾根辰夫 (1951・S26)
嵐寛寿郎 美空ひばり 月形龍之介

嵐寛寿郎(アラカン)が演じる
神出鬼没・正義の剣士  “鞍馬天狗”が
角兵衛獅子の杉作を助ける・・・

 

 

 


西洋農学者 津田 仙

2021-04-24 | 人物忌


 (千代田区大手町)

 

4月24日は 明治初期の西洋農学者
 津田 仙 が亡くなった日


津田 仙は

日本の農学者 キリスト者 
学農社創立者
青山学院大学の創立に関わる。

 新島 襄(1843-1890) 
 中村正直(1832-1891)とともに
“キリスト教界の三傑”とも

次女に
津田塾大学創立者
津田梅子(1864-1929)がいる。


1837(天保8)
 下総国(千葉県)佐倉藩士
    小島善右衛門良親の四男に生まれる。
   幼名 千弥

1851(嘉永4)年
 元服して桜井家の養子となる。

1857(安政4)年
 江戸に出て蘭学、英学を学ぶ。

1861(文久1)年
 幕臣津田家の初子と結婚して
    婿養子となり
    外国奉行通弁に採用される。

1867(慶応3)年
 勘定吟味役 小野友五郎の随員として
    福沢諭吉(1835-1901)らとともに渡米
    西洋農法に感銘を受けて帰国
1869(M2)年
 築地ホテル館に勤務

1871(M4)年
 北海道開拓使嘱託となり

 開拓次官の黒田清隆(1840-1900)が
    政府が派遣する岩倉使節団に
    女子留学生を随行させることを
   企画すると、
娘の梅子を応募させる。
1873(M6)年
 ウイーン万国博覧会に出席

1874(M7)年
 「農業三事」を著し
  花粉媒助などによる
  米麦の増産法を提唱
1875(M8)年
 ウイーン万博から持ち帰った
    ニセアカシアの種子は

 大手町に植えられて
   東京初の街路樹となった。
1876(M9)年
 農産物の栽培・販売・輸入
   農産についての  書籍・雑誌の
   出版などを事業とする。
 「学農社」を設立
 その一環として 農学校も併設した。

 
  学農社発行の「農業雑誌」で
 アメリカ産トウモロコシの種の
   通信販売を始め
  これが   日本で
   最初の通信販売といわれている。
1880(M13)年
 「北海道開拓雑誌」を発刊
   西洋農法の普及に努めた。

  このころキリスト教に入信
 
  青山学院の前身になる
  学校組織の創設にも関与

1897(M30)年
 以降は事業を次男に譲り引退し
 禁酒・禁煙運動などの
   社会活動を行った。

1908(M41)年  
  東海道本線の車内で脳溢血にて死去

 享年72

 

 


青山学院大学(渋谷区渋谷4)

 

 

 

 


測量家 伊能忠敬

2021-04-13 | 人物忌

   伊能忠敬銅像  富岡八幡宮門前(江東区富岡1丁目)

 

4月13日は 
江戸時代の測量家 
 伊能忠敬が亡くなった日 

 

伊能忠敬は 
江戸時代の商人、
天文学者・地理学者・測量家。   

通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)。
字は子斉、号は東河。

1745(延享2)年
 上総国(千葉県)で生まれ、

 酒造家の伊能家のミチと結婚し
 商人として生活する。

1794年に隠居をして
 暦学の本を取り寄せ勉強をしたり

 天体観測を行ったりしていたが
 関西方面に旅をしたことをきっかけに
 測量に興味を持つ。

50歳の時
 19歳年下の天文学者・高橋至時に
 弟子入りし 
暦学・天体観測
 ・測量などの知識と技術を学ぶ。 

1800(寛政12)年から
 1816(文化13)年まで
 17年をかけて日本全国を測量して
「大日本沿海輿地全図」を完成させ
国土の正確な姿を明らかにした。

1818(文化15)年 死去 享年73

 

碑の説明文には

「 近代日本地図の祖師である
伊能忠敬先生は、 

事業に成功したあと50歳のとき江戸に出て、
当宮近くの黒江町(現在は門前仲町1丁目)   
隠宅を構えていました。
 約200年前の寛政12年閏4月19日
(陽暦では1800年6月11日)の
早朝に当宮に参拝して
蝦夷地(北海道)測量の旅に出かけました。
 忠敬先生はこのときを含めて
全部で10回の測量を企画しましたが、
遠国に出かけた第8回までは、
出発の都度必ず、
内弟子と従者を
率いて富岡八幡宮に参詣して、
無事を祈念したのち、千住、品川宿など
測量開始地点に向かって歩き出しました。
当宮は伊能測量にとって
たいへん御縁の深い場所であります。
 伊能測量開始200年にあたり、
「伊能ウォーク」、地図・測量、
土地家屋調査士、
伊能忠敬研究会
などの関係者が中心となって、

広く一般から浄財を公募して
建立されました。

 平成13年10月 
  伊能忠敬銅像建立実行委員会 」

 

  
  象限儀と御用旗(国土地理院ロビー)

  国土地理院 展示パネル

 

55歳から全国を
北へ南へと歩き回って
正確な日本地図をつくる。

その距離は 地球1周に近い
35,000kmに及ぶという。

 


小説家 田宮虎彦

2021-04-09 | 人物忌


 (朝日新聞 1995/11/02)

 

4月9日は 
小説家  田宮 虎彦 が亡くなった日

田宮虎彦は

1911(M45)年  東京に生まれる。

船員だった父の転勤のため
姫路・神戸・高知間で移転を
繰返しながら少年時代を過ごす。

東京帝国大学文学部国文学科在学中から
同人誌「日暦」に参加し
小説「無花果」などを発表した。

1936(S11)年
 「人民文庫」創刊とともに参加するが

 治安維持法により度重なる
 発禁処分を受けた人民文庫は廃刊

   その後 女学校教師などを
 しながら小説修業を続ける。

1947(S22)年
 「世界文化」に発表した「霧の中」で
  注目され 小説家生活に入る。
    「物語の中」「落城」「末期の水」
 「菊の寿命」等を発表。

    太平洋戦争時代に取材した
 自伝的作品「菊坂」「絵本」「足慴岬」等
    精力的に作品を発表
1951(S26)年
 「絵本」で毎日出版文化賞を受賞

1956(S31)年
 妻を胃癌でなくす。

 妻・千代の妹は
    英文学者 小田島雄志(1930-)の妻

1957(S32)年
 亡き妻との書簡集をまとめた
 「愛のかたみ」がベストセラーになる。

1988(S63)年1月
 脳梗塞で倒れ、右半身不随に
同年4月9日
 北青山のマンション11階
   ベランダから投身自殺


脳梗塞が再発し手がしびれて
思い通りに執筆できなくなったため
命を絶つとの遺書。

享年77。

 

「足摺岬」は
 1949(S24)年に発表した小説。

    絶望した帝大生が断崖絶壁の足摺岬に
    向かう途中
宿屋に転がり込み
    宿屋の主人や娘
同宿の温かい人情に
   触れるうちに立ち直っていく。

 

映画「足摺岬」は 
1954年 近代映画協会から

監    督 吉村公三郎
出演者 木村 功 津島恵子

音楽は 伊福部 昭 が担当している。