あかない日記

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ベトナム紀行(146) 合体?

2014-10-31 | ベトナム紀行

 

遺跡や展示品に シヴァ神のシンボルである

リンガ(男)をヨニ(女)に 組み合わせたものが 多くみられる。

これらは リンガの上から水を注いで ヨニで受け止めると

「聖水」になると 宗教儀式に用いられている。


すでに 見学してきたカンボジア紀行(34)でも触れた。


その遺跡でも多く見られたが 意外と合体したものは少なかった。

なぜ この遺跡に多いのだろうか?

チャンパ王朝では王位を継承すると 新しく寺院を建立するのが

通例となっていたためと 
先に話題にしたが 

どのトップも その継承に神経を使うので この王朝もお世継ぎのため

安産の祈願 子孫繁栄 国家安泰から 

このようなものを 多くなったのだろうか?。

 

 


ベトナム紀行(145) レンガ積み

2014-10-30 | ベトナム紀行

                                        四角い穴は研究のため取り出した跡 白い窪みは銃弾跡が見られる

 

建造物の煉瓦積みには セメントや漆喰などの

接着剤を使った形跡が無く 

また すべて同じ温度で焼かれ 

統一された寸法の煉瓦をすり合わせて造られ 


アーチを用いないで屋根を架ける建築技術は

チャンパ文化の 当時の技術力の高さを物語っている。


赤い煉瓦の赤は 何からできているのかは 未だに謎となっている。

そして 破壊された部分には 雑草が生えてしまうが

 しっかりと組まれているところからは  一つの草も生えないそうだ。

 

 


ベトナム紀行(144) 女神

2014-10-29 | ベトナム紀行

 

残っている建物の外壁には 女神が刻まれているのが見られるが 

しっかりと レリーフが残っているは ここだけであった。

アンコールワット等のカンボジアの女神デバターとは 比べられないが

遺跡の建物の外壁は 材質が砂岩なので

 柔らかく 磨滅しやすいため


今 何とか 原型を留めているにすぎない。

彫刻は クメール様式のものと よく似ているが

 微妙な処でやはり違っており


長身的で チャンパ様式という特有のものになっている。

 


ベトナム紀行(143) グループA

2014-10-28 | ベトナム紀行

 

ベトナム戦争の時にアメリカ軍のB29が爆撃をして

、貴重な遺跡を崩壊させ大きな被害をもたらしたが

 遺跡の展示品の中には1mもある砲弾が2発さりげなく置かれていた。


大昔の歴史とともに こんな嶮しいジャングルのなかに

 ベトコンが潜み戦ったと 現代の歴史も一緒にこの遺跡に残されており

 A、E、F、G、Hのグループは ほとんど破壊された。


遺跡のところどころには 大きな窪みが見られるが

 それは ほとんど爆撃の跡であった。


アメリカは 1975年のベトナム戦争終結後 

ベトナムに対し殺傷能力のある武器の供与を禁止してきたが

 今年10月 その禁止を解除している。

 時代は流れている・・・

 


ベトナム紀行(142) 発掘品

2014-10-27 | ベトナム紀行

 

遺跡群には 祠堂はいくつもあって

 それぞれ 内部へ入ることができる。


グループDの一部の内部は いたるところで 見つかったヒンドゥー教の

三大神のシヴァ神 ガネーシャなどの 石像やレリーフ等が展示されて

 当時チャンパ王国が ここを聖地として 崇めていたことがよく分かる。

今では 仏教大国とされるベトナムであるが 

かつては ヒンドゥー教が栄えていたこと


また チャンパ王国では 現在のベトナム語ではなく

 チャム語の基礎となる言葉を使っていたことも判明している。


しかしながら 数少ない 古文書も解読は進んでおらず

 チャンパ王国の歴史の一部分は 未だに謎に包まれている。

今も 発掘調査されており 密林の奥から

新たな遺跡等が見つかることもあるそうだ。

 

 支援者 ドイツのダイムラーベンツの 名を記したプレートもあった


ベトナム紀行(141) グループBCD

2014-10-26 | ベトナム紀行

                                                                左はC 右はB 奥にDのグループがある。

 

ミーソン遺跡は A~Hまでのグループの遺跡群に分けられている。

我々は 案内図の矢印とは反対に巡り 最初はグループB・C・Dへ

 ミーソンは2世紀末から17世紀にかけて

ベトナム中部から南部にかけて栄えた


チャンパ王朝の建造物群のひとつで

チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域であった。


チャンパ王朝では王位を継承すると

新しく寺院を建立するのが通例となっていたため 


現在は 僅かにこのB・C・Dグループにしかその面影は残っていない。

 現在残っている建築物の中でB5と呼ばれる塔は

10世紀ころの極めて貴重な建造物であると同時に

 砂岩で出来ているレリーフなどは現存しているチャンパ芸術の中でも

 一番優雅で荘厳な造りであるとされている。

 

 

 

 


ベトナム紀行(140) ショー小屋

2014-10-25 | ベトナム紀行

 

駐車場から10分ほど進むと 最初の遺跡付近に休憩所がある。


左手は休憩できるスペースがあって お菓子など軽い軽食が販売されていて

またバッグや粘土細工の民芸品などお土産も売られていた。

 右手にはショー小屋があり 9時半 10時半 14時半の1日3回の上演で

”チャム族” による30分ほどの「チャム音楽&ダンスショー」が見られる。

我々は 時間もなく通過してしまったので 

後日 YouTubeで見ると ダンスの一部にアプサラがあったが


カンボジアのように スローテンポではなく 

少々露出が多く 動きのあるものであった。




ベトナム紀行(139) ミーソン遺跡

2014-10-24 | ベトナム紀行

                                                                            ミーソン遺跡群への入口

第6日目 最初の見学は 

ホイアンから 南西に 約50㎞ 「ミーソン遺跡」


古代チャンパ王国の聖なる遺跡の1つで

 古都聖山マハーパルヴァタを 望むジャングルの中


バオキン山の周囲にある。


遺跡群の大きさは やや小ぶりであるが

 背後の山に マッチしている。


ミーソンとは 『美しい山』 という意味だそうだ。

 チャンパ王国の滅亡後は 忘れ去られていたが

 フランス統治下の1898年に フランス人により

 
密林の中偶然に発見され 数次にわたり発掘調査 修復 補強などが行われた。

こんなところからも ”ベトナムのアンコールワット” とも言われている。

その一方、フランス統治時代には 盗掘を受け 美術品の多くが失われてしまい

また ベトナム戦争では アメリカ軍の空爆を受けて

 大半の遺跡が 破壊されてしまった。


発見当時は 約70棟もの建築物があったが 

ベトナム戦争が終わった1975年には 約20棟しか残っていなかった。

そして 1999年に 世界遺産の文化遺産に登録され

 1980年から復元作業が開始されている。

 2005年3月には 日本のODAによるミーソン資料館が オープンしている。

 

 



 


ベトナム紀行(138) ホテル

2014-10-23 | ベトナム紀行

 

ホイアンの中心地と 南シナ海クアダイビーチとの中間

 クアダイ通り沿いにある 4つ星ホテル「ホイアン パシフィック ホテル」が

 今夜の宿泊になる。

旧市街へは 歩いて10分ほどだが ホテルの無料シャトルバスもあるそうだ。

客室は 96あって 落ち着いた雰囲気の部屋であった。

レストラン バー フィットネスセンター 屋外プールもあって 

また クアダイビーチにはプライベートビーチもあり

無料のタクシーサービスもあるとパンフレットにある。

 


ベトナム紀行(137) 流し灯篭

2014-10-22 | ベトナム紀行

 

 ホイアンは 世界遺産の歴史保存地区であるので

 子供の保護から売り子になることは 規制されているようだが

 この流し灯篭売りは 規制されていないのか 

夜のバクダン通りには「流し灯篭」を民族衣装を付けて売る子供がいた。

 

売られている「灯篭」は 日本とは少々形が違うが 

外国人観光客には好評で 
一個80円程度で買うことができ

 細長い棒の先にひっかけて 川に浮かべて流す。


ゆっくり流れるドュボン川に 

「灯篭」の灯りが揺れ 神秘さを漂わせている。


ベトナム紀行(136) ランタン作り

2014-10-21 | ベトナム紀行

 

 

 

前回は ランタン祭りの話題でしたので そのランタンについての話題を。


「ランタン」は 日本の提灯とは違い 紙ではなく 布をはっているため

ほの暗く柔らかい光になる。


持ち運びにも便利と ホイアンの土産として人気のあるランタンは

 ワンタッチで 細長く折りたためることだが

 傘をヒントに この仕組みが発明されたようだ。


ここでのランタンの骨組みは 針金と竹で骨組みを作っている。

 テコを使って針金を裁断 そして曲げて 

盛んに ランタン祭り用のランタンなのか 作っている。

 

観光客向けに ランタン作りを 体験させてくれるところもあるようだ。

店側が サイズに合わせて布きれを切ってくれていので

 骨組に接着剤を塗ってのばし


貼り合わせていくだけだが これが単純のようで結構難しいらしい。

やってみたかったが ツアーにそんなスケジュールもなかった。

 

 


ベトナム紀行(135) ランタン祭り

2014-10-20 | ベトナム紀行

 

ホイアンの町を歩くと 必ず目につくのがランタンだが

このランタンを灯して町を照らす「ランタン祭り」

 毎月 旧暦14日に開催されている。

日が暮れる頃には 歴史保存地区は 歩行者天国となり

 バイクや車の通行は 禁止される中
 
次々と 電燈などの灯が消され 

吊るされたランタンのぼんやりとした小さな光のみとなる。 

丁度 我々は訪れている前後の

10月18日 11月16日が その祭日であった。

しかし 軒先や通り沿いにランタンが揺れ 

縁日を思い出させるような 雰囲気に浸ることができた。

 


ベトナム紀行(134) ホイアン市場

2014-10-19 | ベトナム紀行

 

夕食の帰り道 歴史保存地区 バクダン通りの途中に 

2階建てのホイアン市場があった。 

時間も時間で すでに店じまいになっている。

2012年8月 長期間にわたった 改築工事を終え 再開している。 

ホーチミンのベンタイン市場のような 大規模ではないが

 グエンズイヒウエ通りまでの 一区画を占める 大きな市場であり

 ホイアンの人々の 大切な台所となっている。


路上まで店が並び 活気に満ちて こちら南側の川沿いは 魚市場で 

早朝は 船からの水揚げ作業で賑っているそうだ。


市場内は 食品から調味料  生活用品まで揃っているが

 むしろ 歴史保存地区で食べるよりも ここで食事を摂るほうが

値段が安いということであるようだ。

 

 


ベトナム紀行(133) ホワイト・ローズ

2014-10-18 | ベトナム紀行

 

前回で話題にしたメニューに 

ホイアン三大名物料理のひとつ「ホワイト・ローズ」があった。

米粉で作った薄めの皮にエビの身を包んで蒸した料理。

まるで白いバラのような半透明の皮が開いている形から

このような名前が付けられている。


見た目と味は 中国 台湾などで よく見られる エビ餃子に近い。

ヌックマムやトウガラシなどで作られた特性のタレをかけて

 様々な味を楽しむ事ができる。


この「ホワイト・ローズ」は 製造卸元「ホワイト・ローズ」が

 ホイアンにおける ホワイト・ローズを一手に引き受けて

 日に2000~3000個を製造しているので 

街中のどの店で食べても 味はほとんど変わらないそうだ。

因みに 過去に何人もの人が真似して作ったが

 本家の作り方には秘伝があって 

本家の味に近づけることができなかったとか。

 


ベトナム紀行(132) 夕食

2014-10-17 | ベトナム紀行

 

すっかり周りは暗くなり 夕食時になって 

バクダン通りの東 カムナン橋の先ドゥボン川沿いにある


 ホイアン料理の有名店「ダオティエン」へ案内される。


1930年時代のフレンチコロニアル様式の

古い民家を改造した雰囲気のある造りで


美しいランタンが 店内にしっとりとした雰囲気にしている。 

我々は 川面からの心地よい風そよぐ テラスに席をとる。

 メニューには ホイアンの伝統料理を中心に

モダンにアレンジされた


ホイアン風揚げ春巻き 揚げワンタン ホワイトローズが

次々と食卓に並べられた。