あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

信州紀行 別所温泉7 塩田平

2018-09-30 | 国内・長野

 

   独鈷山の麓から望む塩田平

 

 

塩田平と呼ばれる地域は
鎌倉時代に幕府の要職にあった北条義政が館を構え
以後3代にわたり一帯を治めた政治の中心地であった。

領内開発に尽力したことから塩田北条氏に
かかわる神社仏閣が数多く点在している。

鎌倉時代には「信州の学海」と呼ばれるほど
学問研究の盛んな土地でもあった。


また「信州の鎌倉」と呼ばれる所以でもある。


さらに江戸時代には上田藩の穀倉地帯として
「塩田三万石」と呼ばれている。

 

 

 

今の塩田平は 信州の鎌倉として
「ウオーキング」のコースにも選ばれている。


*遊歩百選は 読売新聞社が50年記念事業として 
2002年に呼び掛けを行い
市民参加による投票と選考委員会により
選定された風光明媚な歩道などのある地域百選のこと。

 

 


信州紀行 別所温泉6 塩野神社2

2018-09-29 | 国内・長野

 

 

境内 杉並木の参道を進むと 
塩野川を渡る「神橋」がある。

太鼓の一部のような曲線を帯びているため
「太鼓橋」の名が付いている。

 

この塩野川は 独鈷山から湧き出しているが
 この水も信仰対象になっている。


塩田平地方は雨が少ないため独鈷山は水源でもあり
独鈷山の山岳信仰から生まれた神社と言われている。


戦国時代には武田信玄や真田昌幸・信之らが信仰を寄せ
それらの古文書や 六十年に一度の「甲子祭」で
舞われる「前山三頭獅子」等 多くの文化財を伝えている。

 

 

     拝殿の奥は本殿 左奥は流造社殿の勅使殿。

 


神橋を渡る奥に楼門形式の拝殿が建つ。

その建築は 棟札により江戸中期の1743(寛保3)年とある。

この拝殿は 各所に雲や天女・虎・牡丹・竜等の彫刻が施され
この時代の地方作としては彫刻が多く用いられた初期の作品であり
当時の様式を伝えているという。

長野県内では 諏訪大社と本件が確認されるのみで
建築史上貴重な物件で最寄りもある。



 

 

 


信州紀行 別所温泉5 塩野神社

2018-09-28 | 国内・長野

 

 塩野神社参道

 

  

前山寺から西にある「塩野神社」へ


かつて独鈷山の山頂近くの鷲岩という巨岩に祀ってあったが
後に人里近いこの場所に遙拝所としての
御門屋(みかどや)が建てられ

その後 本殿もこの地に移されたといわれている

 

901(延喜元)年に成立した歴史書
『日本三代実録』にも名前が出てくる由緒ある神社。


戦国時代には武田信玄や真田昌幸・信之らが信仰を寄せ
それらの古文書や、60年に一度の「甲子祭」で舞われる
「前山三頭獅子」等 多くの文化財を伝えている。

 

明治6年4月村社に列し 
その後、郷社、県社へと昇格した。

 

 

 

 

 

 


信州紀行 別所温泉4 前山寺三重の塔

2018-09-27 | 国内・長野

 

 

 前山寺 境内の石段と銀杏の木を前景に
国の重要文化財「三重塔」が建つ。


建立年代は不明だが
様式から室町時代初期の建立と推定されている。


造りは和様・禅宗様の折衷様式 
三間三重で高さ19.5m、屋根は杮葺(こけらぶき)である。

また 窓 扉 勾欄(こうらん)はないが
長い胴貫が四方に突き出し調和させていることから、
「未完成の完成の塔」と呼ばれている

内部には四天柱がなく 折上小組格天井とし
中央に須弥壇が置かれている。

相輪は鋳鉄製で 格狭間付露盤(こうざまつきろばん)
伏鉢、請花、九輪、水煙、竜車、宝珠よりなる。

記録によれば 寛喜・正平・天正・安永・嘉永・明治
及び平成に修理が行われ
1936(昭和11)年には 解体修理が行われている。

 

 

 

 


信州紀行 別所温泉3 前山寺

2018-09-26 | 国内・長野

 

 石段上の薬医門

 

生島足島神社から南西へ 
独鈷山(どっこさん・1266m)の麓にある
古刹「前山寺(ぜんさんじ)」へ

因みに「独鈷」とは、密教の祈祷用具(金属製または象牙製)で、
握りの両端に鋭利な突起などの金属製の飾りがある。


812(弘仁30分)年 弘法大師空海が
護摩修行の霊場として開創したといわれている。


当初は法相宗と三論宗を兼ねていましたが、
鎌倉時代の1331年善通寺から長秀上人が訪れ

現在の地に移し規模を拡大させたという。

後に貞享年間(1684年~1687年)に鶏足寺を離れ、
京都・智積院の末となり教学の殿堂であったそうで
40数ヶ寺の末寺をもち、
塩田城の鬼門に位置しており
その祈祷寺として武将の信仰も厚かったそうだ。


 

本堂

真言宗智山派の寺で 山号は獨股山又は独鈷山 本尊は大日如来。

本堂は、間口十間、奥行八間の木造萱葺 

唐様屋根の重厚感ある「そり」が何とも言えなく
 刈り込んで仕上げた軒には 

火災から家屋を守る「水」厄よけ文字が見える。

 山裾を利用した山水庭園は 季節のうつろいとともに
花々が咲き「花の寺」とも呼ばれ

毎年 5月に咲く藤は有名。

また 香り高い鬼ぐるみで作ったタレでいただく
「くるみおはぎ」のお接待があり 人気とのこと。
(期間は 春の彼岸頃~11月末日)


本堂内

 

 


信州紀行 別所温泉2 生島足島神社2

2018-09-25 | 国内・長野

 

 

諏訪社脇に二株の、樹齢800年の「夫婦欅」がある。

夫婦円満、子宝安産 延命長寿の神木とされている。

どこの神社もそうだが それらしきするものには
こじつけのように象徴化して祀ることが多い。
 ここも同じようですね。

 

 

 

また境内 諏訪社本殿脇に
切妻造、桟瓦葺の歌舞伎舞台がある。

前面の広い空地が観客席としたようだ。

1868(明治元)年に建設されたといわれている。
また、1874(明治7)年より1884(明治17)年まで
載明学校・下之郷学校として利用され

その後、集会場や直会殿として利用されてきた。

1986(昭和61)の修理工事で
当初のように回舞台や大夫座などを備えた舞台に復元された。

舞台の規模は間口九間(約16m)
奥行六間半(約12m)と非常に大きく
県内の現存する歌舞伎舞台では最大の規模とのこと。

舞台中央に直径約15尺(4.5m)の回舞台がある。

 


信州紀行 別所温泉1 生島足島神社

2018-09-24 | 国内・長野

 

 

 神池の中の本殿の形式 「出雲式池心宮園」

 

この度 長野県上田市にある 別所温泉を訪れることができた。

別所温泉は 上田から西へ 鉄道で30分ほどのところ

その途中 千曲川左岸 河岸段丘にある塩田平が広がる。

 

先ず その中心的位置 
下之郷にある「生島足島(イクシマタルシマ)神社」へ

日本の中央に位置するともいう。

主祭神は 生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と
生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の
二神が祀られる信濃屈指の古社である。

 神社創建時期は不明だが 
平安時代初期には記録がみられる。

中世未期以降には、「下之郷大明神」
「諏方法性大明神」などと呼ばれ
武田氏や歴代上田藩主の保護を受け
1799(寛政11)年に社名を生島足島神社に改めた。

 

 

 社殿

池に囲まれた神島に鎮座する上宮(御本社)の
内殿(県宝)には床板がなく土間だけ
大地そのものが御神体とされている。

武田信玄公の願文をはじめとする戦国武将の起請文など
貴重な文化財も多数ある。



 

 

御神橋

生島大神・足島大神は、日本国土生成の御霊で
その御神体は本殿奥深くの二間四方の大地だそうです。

 

 

 

 


ポーランド 152 帰国

2018-09-20 | ポーランド紀行

 

帰途の搭乗機は 

 成田まで1239マイル あと2時間余となる。

日本地図もこのようにして見ると 

某国にとっては目の前の壁とも思われるだろう・・・・

 

 

 
着陸態勢に入る。 

眼下には「鹿島サッカースタジアム」が見える
 今回サッカーの話題も多く触れることができた。

 

 予定通り成田空港に着陸
全行程を終了し 荷物を受け取り散会となる。 

  今回のツアー 前半は少々天候に恵まれなかったが
 5か国を訪問し それぞれ歴史ある地区を訪れ

その美しさが そんなマイナスも打ち消してくれた。
また船と列車と変化にとんだ行程を楽しめた。 

  

世界遺産は 7か所 
特に第2次世界大戦関連の遺産等に
触れることができたことは

今までの旅行とは違い “負の遺産” 側から見て
考えさせられ 印象深い旅行となった。

 

 * * * * * * * * * * * *

  この紀行も これをもって終了いたします。

   長き間 ご訪問いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


ポーランド 151 教習車

2018-09-19 | ポーランド紀行

 

ワルシャワの近郊で 

「L」のマークを屋根に乗せた車を見る。

これは何かとガイドに尋ねると

ガイドもわからず ガイドが運転手に聞いたところ

運転教習中の車とのことであった。

因みに教習車は「スズキ」でした。

 

 

しばらく行くとその教習所の事務所「AOUTO KURSY」があった。

ポーランドでは いきなり路上でのスタートのため

日本のように所内で練習してから公道へ出ていかない。

そのため教習コースを設けることなく 

自動車教習所は一般店舗のような構えになっている。

  


ポーランド 150 高速道路事故

2018-09-18 | ポーランド紀行

 

 

先に ポーランドの高速道路事情に触れたが

帰国して 2018年5月9日  -

ポーランド北部グラボシェボの高速道路で

液体状のチョコレート12トンを運搬していた

タンクローリーが交通障壁に衝突して横転

粘り気のある中身が流れ出で

車線双方をチョコでコーテイングされてしまい

 道路は清掃のため12時間閉鎖される

事態となったとのTVニュースがあった。

 こぼれ出たチョコの除去は油より難しく

加圧した温水を使って徐々に行ったが


一部ではチョコが分厚く固まり

重機ですくい上げなければならなかった。

消防隊員は「固まってしまったチョコレートを取り除くことは

火を消火するより難しかった」と。 

タンクローリーの運転手は腕を骨折し

病院に搬送された。 ほかにけが人はいなかった。


 

  
こちらはお土産に買い求めた 
ポーランド名物のチョコレート
「プタシェ ムレチュコ」

流れ出たチョコレート」は 
これの幾つ分になるだろうか・・・。

 

 

 

 

 

 


ポーランド 149 高速道路

2018-09-17 | ポーランド紀行

 

 

ツアーも最終 帰途 

高速道路をワルシャワに向けて走る。

 

ここのポーランドの高速道路には

高速道路(アウトストラーダ)」と

準高速道路(エクスプレスフカ)」の2種があり

どちらも原則として通行料は無料で、

一部区間のみ有料になっている。


アウトストラーダが国内主要都市間および周辺諸国とを結び

エクスプレスフカがその支線としての役割を担っている。

整備計画は 2012年のUFFA欧州選手権の開催で

大きく進められ重要都市間が結ばれたが

現在も進行中である。

 

 

   ポーランドの高速道路 (web資料から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 148 ラジオ局

2018-09-16 | ポーランド紀行

 

 

修道院内のこちらの建物の入り口に
「ARSENAL(兵器庫)とあったが

その脇の階段上の入り口には
「Radio Jasna Gora(ラジオ ヤスナ・ゴラ)」とある。

ヤスナ・ゴラ修道院の情報に
特化したカトリックのラジオ局だ。

この壁にも パウロ二世の肖像も飾られている。

このように 世界中には
「クリスチャン・ラジオ」「バイブル・ラジオ」と呼ばれ
バチカン放送協をはじめ数え切れないほどの
宗教関係放送局があるそうだ。


この局は 1995年3月25日に開局している。

ラジオ番組は UKF-FM 100.6MHz波とインターネット経由で
毎日聴くことができる。

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 147 第二の悲劇  

2018-09-15 | ポーランド紀行

 

 

聖堂入口脇に
ポーランド空軍機墜落事故の慰霊碑があった。

 

この飛行機事故は 2010年4月10日
 「カチンの森事件70周年追悼式典」に
出席するため現地にむかった
 ポーランドのカチンスキ大統領が乗った航空機が
ロシア西部スモレンスク北空港に向け
着陸進入中に墜落してしまった


この事故で ポーランドのレフ・カチンスキ大統領夫妻をはじめ
同国の政府と軍の要人を含む乗員乗客 96名全員が死亡した。

 

この事故は 「カチンの森」の第二の悲劇となった。
政府要人たち一堂が同じ飛行機を利用したのだろうか?
 他の国では考えられないことだ!

 

「カチンの森事件」については
「クラクフ 85 十字架(7/14)」で触れている。

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 146 騎士のホール   

2018-09-14 | ポーランド紀行

 

 

騎士団の旗が掲げられた騎士のホール(2階)へ

 ポーランド王が黒いマリアを僧院に捧げる場面や
修道院が襲われ修道士が殺される場面を描いた画もある。

 

その後 博物館を見学。
1382年の年号の入った本
ポーランドで最初の印刷された
ポーランド語とラテン語で書かれた本や

バロック音楽の楽器も並び

また有名人や巡礼者から奉納された指輪など貴金属
10年かけて1人で作った2万個の
真珠を使った刺繍なども展示されている。




 

   東京カテドラル教会から寄進されたタペストリ

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 145 カラス   

2018-09-13 | ポーランド紀行

 

 

聖堂内の入り口の上に 
”パンをくわえたカラス”が
木の上に止まっているレリーフがあり

その下には洞窟の前で聖パウロと
聖アントニウスが抱きあっている。


これは カトリック教会に伝わる聖人カレンダー
 9月2日に登場する「カラスのパン」の場面。


228-341年ごろの話で 

 パウロは エジプトのデバイスに生まれた。
ローマ皇帝デキウスの迫害下に
異教徒である姉の夫の密告を逃れるため
荒れ野に身を隠した。


パウロは洞くつの中で祈りと苦行の生活を送り
60年もの間、誰にも会うことがなかった。

その間 彼のもとに毎日
一羽のカラスがパンを運んだという。


113歳になったときに 修道生活の父と呼ばれる
聖アントニウスから見つけ出されたといわれている。

このように ヤスナ・グラ修道院では
“カラス” が崇められている。

 

    正門口の広場にもあるモザイクのカラス

 

カラスといえば 
日本サッカーチームのシンボルマークとして
“ヤタガラス” が採用されており

今回のW杯ロシア大会でも 「勝利に輝く」 
「ボールをゴールに導く」神様として
ご利益があったのでは・・・。