あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

モロッコ紀行 137 ハーレム

2017-04-30 | モロッコ紀行

 

 

こちらは 24人の側室の部屋が囲む中庭。

このハーレム 妃の4人は特定されていたが

側室24人は入れ替えが多かったそうだ。



中庭から部屋の様子が見透せ

下の写真は宮殿への入り口だが

高い塀で囲み 入り口は狭くし

側室等の逃亡を防くようになっているようだ。


また一番のお気に入りであった

第3妃の部屋の窓には鉄格子がはめられているとか。


 

 

 


モロッコ紀行 136 妃の部屋

2017-04-29 | モロッコ紀行

 

 

妃たちの部屋はそれぞれ天井が高く 


アトラス杉に木彫された船底天井で空間が広い。

また 気が遠くなるようない時間を費やして

造られている壁や床のモザイクの装飾は

他の部屋とは明らかに違う雰囲気がある。


 


モロッコ紀行 135 バヒヤ宮殿

2017-04-28 | モロッコ紀行

 

  4つの部屋の中庭 タイル張りの噴水があるパティオとなっている。

 

サア-ド朝の墳墓群から徒歩で

5分ほどの所にある「バヒヤ宮殿」へ向かう

バヒヤ宮殿は モロッコの

アルハンブラ宮殿とも言われるほど


1894年から14年かけて

建築された摂政(宰相)の私邸である。


面積は 8haに 広大な庭園に

4人の妃と24人の側室の部屋がある

豪華な建物となっている。


宰相の死後 家具などは略奪されてしまったが

建物は良好な状態で保存されており


タイルの床や天井のデザイン

豪華な噴水のある中庭など

全てにおいて息を飲むほどの美しさ。



イスラム建築の中でも

特に美しい歴史的建造物と言われている。

バヒヤという名前は

一番のお気に入りであった

第3妃の名前に由来している。




モロッコ紀行 134 サア-ド朝の墳墓群

2017-04-27 | モロッコ紀行

 

 「12円柱の間」中央がアル・マンスール王の墓

 

アグノウ門をくぐり突当りに
カスバ寺院が聳えている。

サア-ド朝(1549年~1659年)の墓へは
このモスクの右側の入り口から入場する。

本来はモスクのほうから入る道があったのだが
アラウィー朝ムーレイ・イスマルが
道と墓廟を壁で囲ってしまったので 
1917年空から発見されるまで 
その存在が分からなかったという。

廟には3つの部屋がある。

 第1室 「ミハラーブの間」
    メッカの方向を指す壁の窪み(ミハラーブ)がある。
 
 第2室 「12円柱の間」

    3室の中で最も荘厳な雰囲気がある。
    色鮮やかなモザイクタイル壁面・床
    大理石の12本の柱が印象的だ。

 
 第3室 「3つのミハラーブの間」

    王の子や母をはじめ王族の墓

 

 

 


モロッコ紀行 133 アグノウ門

2017-04-26 | モロッコ紀行

 

 

世界文化遺産に指定されているメディアの

南側にあり 王宮に近い「アグノウ門」前で下車

東西2km 南北3kmの城壁に囲まれた

メディナ(旧市街)を囲む城壁には


いくつもの門があるが 

馬蹄形のアーチの周囲は

赤と緑の砂岩で装飾され


門に彫られたコーランの一節や

繊細な模様には風格があり


この門が最も美しい門であるといわれている。

建造は12世紀 ムワッヒ王朝時代になる。

「アグノウ」とは ベルベル語で「黒い人々」を意味する。

門の上 左右には コウノトリが巣を作っているのが見える。

門の両脇には小さな大砲が備えられている。


 

 


モロッコ紀行 132 マラケシュ

2017-04-25 | モロッコ紀行

 

 マラケシュのシンボル「クトゥビアの塔」

 

ベルベル語で「神の国」を意味するマラケシュは
モロッコのほぼ中央 南にオート・アトラス山脈を挟み
サハラ砂漠に対した
位置にある。

標高450m  66万人が住み 
モロッコ 第4の都市として

フェズに次いで 二番目に古い街でもある。

また 赤土の日干しレンガで造られた家並みが
赤茶色に見えることから

「赤い町」とも呼ばれている。


11世紀後半 最初のイスラム国家
ムラービト王朝の都と定められ

商業・経済・学問の中心として繁栄してきた。


度重なる王朝の栄枯盛衰のドラマを見てきた
メディナと呼ばれる旧市街は

世界遺産に登録されている。

主な見所は「バビア宮殿」
「サード朝の大廟墓群」「アグダル庭園」など

また 公開処刑場でもあった
「ジャマーア・エル・フナ広場」は

ユネスコの無形遺産に登録されている。

 

 

 

 

 

 


モロッコ紀行 131 クトゥビアの塔

2017-04-24 | モロッコ紀行

 

  

マラケシュ市内に到着
早速 クトゥビアの塔を見学。

東西2km 南北3kmの城壁に囲まれたメディナは
世界文化遺産に指定されており

その西にそびえるクトゥビアは
高さ77mの美しいミナレットで
マラケシュのシンボルとなっている。

サハラの玄関口の見張り番のように建ち
西側イスラム世界で最も美しく
均整の取れた傑作といわれている。

1147年ムアヒッド朝の創始者
アブド・アル・ムーメンによって着工されたが

メッカに向いていないとして 中止になってしまった。

1199年 ラバトのハッサンの塔でも触れた
ヤクーブ・エル・マンスールによって建て直された。


なお 「クトゥビア」とは
アラビア語の「本屋(写本屋)」のこと、

12~13世紀にかけモスク周辺に
写本屋が集まっていたことから名付けられ

キャンバスには羊皮紙が用いられていたそうだ

 

 


モロッコ紀行 130 COP22

2017-04-23 | モロッコ紀行

 

 

地球温暖化対策を話し合う

国連気候変動枠組み条約

第22回締約国会議(COP22)が

ここモロッコ・マラケシュで開催されるという。

半月後の11月7日から18日まで開催で

その準備真っ最中の会場脇を通過した。

2020年以降 197カ国・地域の国が参加する

「パリ協定」が発効して初めての会議になり 

政府関係者や非政府組織(NGO)ら

約2万人が参加するそうだ。

 
今回は実効性がある協定にするための

ルール作りが本題になり

15日からは閣僚級会合とパリ協定の

第1回締約国会議(CMA1)が始まるとのことだった。



当方も帰国し 会議に関心を持っていたが 


期待されていたパリ協定のルール作りは

無事にスタートすることが決まり。


また 2017年の次回COP23は

世界で最も深刻な温暖化の脅威に

さらされている国の一つ フィジーが

ホスト国となることが決まったとニュースされた。

 

(テレビニュースから)

 


モロッコ紀行 129 ゴルフ場

2017-04-22 | モロッコ紀行

 

  

車窓からは マラケシュの町に近づいたことが分かる。

  突然 ゴルフ場の大きな看板が現れる。

当方 モロッコでゴルフとは 結び付かなかったが 

この国では サッカーよりも歴史は古く

充実したコースと施設が完備しているそうだ。

前国王ハッサン2世は 自らゴルフを好むとともに

ゴルフを中心とした観光誘致を目的に積極的に働きかけ

世界各国のVIPを招き プロアマトーナメントなどを開催した。

さらに富裕層だけではなく

一般市民にもゴルフを奨励し

モロッコ国内でのゴルフを盛り立てたことから

ラバト カサブランカ マラケシュ ワルザザートなど

各地の重要都市にはゴルフ場があり


それに付随してホテルやリゾート施設が整う。

今は 世界中のプロやゴルフファンの注目を集めており

 ゴルフを中心としたツアーも組み込まれているそうだ。

 

 

 


モロッコ紀行 128 教育制度

2017-04-21 | モロッコ紀行

 

 

ツアーバスは 
マラケシュに向かってさらに下って行く。

途中の町で 学校帰りの生徒たちを見る。

モロッコの教育制度は
日本と同じ 6-3-3制で
小学校は 義務教育になっている。

大学へ進学する生徒は  高校3年生で
大学入学資格試験(バカロレア)を受験する。


学校は 月曜から土曜まであって
8時~11時 14時~18時。


給食はなく 昼食は 
各自自宅に戻って食べることになり

低学年の子どもは 母親が迎えに向う。


安息日の金曜も学校はあり
午後は15時からと 
昼休みが長く
土曜は午前授業のみになっている。

また 9月入学の2学期制が採用され
1学期は 9月~翌1月
2学期は 2月~6月までとなっている。

教育言語は アラビア語やフランス語で行われている。

義務教育は無料で 
送迎用の車も用意されているようだが
特に農村部の就学率が低く
国全体の就学率を
50%を超えるぐらいに
引き下げているという。

 

 

 


モロッコ紀行 127 交通取締り 

2017-04-20 | モロッコ紀行

 

 

資料によれば これほど厳しい取り締まりは 
スピード違反だけではなく 他に理由があった。


政府は観光に力を入れており 
観光客を安全安心して
無事に旅行してもらうためからという。

観光バスは 会社組織で運行管理者を置き
規則を順守しているからなのか

捕まっているのは ほとんどが自家用車で
観光バスが捕まっているのは見なかった。


個人や少人数ツアーの場合は
個人的な旅行業者を利用となり
 普通車の利用となるが


その場合 旅行業登録証を携帯しているか
 加えて 乗客の病気やケガなど

不足に事態に備えて 常備薬を備えているか 
また その薬等の有効期限を調べるため
取り締まりをやっているという。

違反すれば 登録免許取り消し 
高額な罰金を科せられるのだそうだ。


こんなことからも
ベルベル人仲間の助け合い? があった。


モロッコ紀行 126 スピード違反

2017-04-19 | モロッコ紀行

 

 

前回 ベルベル人の地位について触れたが
そのことを我々も知る場面があった。

ツアーの幹線道路のカスバ街道やそれに接続する道筋では
さかんにスピード違反の取り締まりが行われていて
その現場をいくつか目撃することができた。

近年のモロッコは 観光に力が入って
重要な観光資源になっている。

その観光ルートは フェズとマラケシュを結ぶカスバ街道筋と
その周辺がツアーの目玉になっている。


その観光地は アトラス山脈やサハラ砂漠などで 
どの場所も ベルベル人の土地になるのだが

ベルベル人は ベルベル語を話す人間しか信用しないため
この地で観光するにはベルベル人に頼らざるを得ない。

このことから モロッコの観光業は
ベルベル人が担うことになったという。

 我々のバスもすれ違う車から 何度かパッシングを受け
取り締まりをやっているとの合図を受け
手前でスピードを落とすことがしばしばあった。

取り締まる側は 公務員つまりアラブ系から守る

観光業仲間ベルベル系の助け合いの現れだった。


 

 

 


モロッコ紀行 125 ベルベル人

2017-04-18 | モロッコ紀行

  (フェズ市内で)

前回 ベルベル人が話題になった。

モロッコの民族構成は
大きくアラブ系とベルベル系に分かれる。


前にもふれたが

モロッコは 8世紀にイスラム(ウマイヤ朝)に
征服されて以来
現在まで
アラウィー朝の後裔であるムハンマド6世を

元首とする立憲君主制であることから
アラブ系人が この国を支配し 
重要都市部で暮らしている。

一方のベルベル人は この地の原住民だが
「ベルベル」という呼称は 
7世紀に東方から侵入してきたアラブ人が

意味の分からぬ言葉をしゃべる異人を
野蛮人あつかいして呼んだ名称だ。


7世紀以降 ベルベル人はアラブ人に追われて
アトラス山脈や その南の砂漠地帯で
カスバを構成して 暮らすようになった。

このことから ベルベル人は
モロッコでは 6割を占めるが

社会的には “被支配” の
立場にあるという。

 

 


モロッコ紀行 124 ジェラバとねずみ男

2017-04-17 | モロッコ紀行

   

 

ベルベル人というと
モロッコに伝わる民族衣装「ジェラバ」がある。

本来は ベルベル人の男性用向け衣装だが 
イスラム教からみると 
モロッコ女性の肌の露出を抑えた伝統衣装として
近年 高いファッション性を持った服装として
一般女性にも人気がでている。

また 映画『スター・ウォーズ』で
ジェダイ が着ていた衣装もジェラバとも思えるが
近年のコスプレにも人気があるようだ。

ジュラバは フード付きのコートで
夏は日差しを避け  冬は寒さから身を守ってくれる。
フードをかぶると その後姿は 
水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる
「ねずみ男」を連想させると 添乗員と話していたが
 当方は パジャマを連想した。

 先のメルガー砂漠のラクダ引きの連中は
皆このジェラバを着用していたが

砂漠の寒暖の差 また日中の日差しを
避けるためにも 有効であるようだ。

また 町中でも見かけたが 
モスクでも着用が許されているという

 

 


モロッコ紀行 123 アフガンオイル 2

2017-04-16 | モロッコ紀行

 

 

アルガンオイルは 美容用品だけでなく

健康や美容の維持として食用にも適し

2001年「スローフード大賞」を受賞して

今 脚光を浴びている。

 女性客で混む美容用品棚の脇に

アルガンオイルの試食コーナーがあり

 こちらは 男性に人気があったようだ。


蜂蜜 食用のアルガンオイル 

アルガンオイルと蜂蜜とアーモンドの混ぜたもので

パンも用意されている。

早速 端からパンにつけて食べてみたが

どれも サラッとして美味しかった。

食用としては 

直接1日あたり大さじ1杯を目安に摂る。
ドリンクに混ぜて飲む。
サラダドレッシング また ジャムとして使用する。

などと いろいろな方法で摂取でき 

オリーブオイルの倍以上のビタミンEが 

加えて 豊富な栄養成分が

たっぷりと含まれているそうだ。