あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

東欧旅行(230) 東欧旅行を終えて

2013-07-21 | 東欧5カ国紀行

 

                      成田空港の到着通路

  来るときはウィーン 帰りはベオグラードと モスクワ経由で成田に帰国する。

  今回は 前半は アドリア海 後半は内陸部と大きく分かれるように
 この対比での旅であった。
 また 「水」と「人」との係わりが 歴史的・現実的に見れた旅行でもあった。

 西洋との繋がりが 地理的に遠くになるほど その経済の度合いが
 薄まっていくことも感じられる。
 

 巡った国は 旧ユーゴスラビア6カ国の内 マケドニアを除く
 スロベニア クロアチア ボスニア・ヘルツゴビナ セルビア モンテネグロと
 5つの国と 観光スポットを見て周る 駆け足旅行だったが

 旧ユーゴスラビアは 当時 
 「7つの国境 6つの共和国 5つの民族 4つの言語 3つの宗教
   2つの文字 1つの国」 とまで言われて
 80年のチトーの死により その まとまりは崩れ またベルリンの壁も崩壊し
 90年代の内部紛争を経て そして 現在は EUへの加盟問題
 経済格差などの諸問題で 話題に事欠かない。
 

 観光客からは 一見 平和そうに見えるが 自然と民族がもたらす
 海と陸 山と河 陽の明るさと暗さ 観光と歴史 等と
 長い歴史の中で 培われた風土が 今なお くすぶり続けている。

 内側は 目に見えない 境界 壁等が存在していることなど

   ”目に見えないものを 見てきた”

     ことが
 今回の旅行の おおきな収穫であったのかな。 

 


東欧旅行(229) 車ナンバー

2013-07-20 | 東欧5カ国紀行

   

 

  前回 運転手の話題をしたが
  
引き続き その関連で 車の話題を

  一つの国家でありながら、
  国内は未だ目に見えない民族境界線が存在している。

  ボスニア紛争前は 民族間を越えて 交流も 結婚も 行き来も 自由であったが
  
車のナンバーは EU諸国は都市名まで識別できるプレートを使用しているが

  旧ユーゴの都市 いや国全体の 国別の標識はあっても
  アルハベットの都市名はない。

  都市名から RS(セルビア共和国)側か
  FD(ボスニア・ヘルツゴビナ連邦)側かを

  判断できないようにしている。

  こんな車のナンバーまでが 
  民族に関わる いろいろなことを知ることができる。




東欧旅行(228) ツアー運転手

2013-07-19 | 東欧5カ国紀行

  

        小さなカーナビもある運転席              保冷庫から取り出す


   これまで ツアー9日間で 走行距離 約2200km 運転してきている。
 
  今回は オーストリア・ウイーンからセルビアのベオグラードまで
  全日程
 彼のハンドルの世話になった。

  バスも彼も クロアチアだ。

  クロアチア人は “気取り屋さん” と前に紹介したが
  この運転手さんは “気配りの人”で クーラーボックに入れた
  水やらワインをそっと検問所の係官に渡していたが
  厳しき検問所と思われるところだけではないようだ。
 

  帰国して 旧ユーゴの民族的な歴史が分かり
  そうせざろう得ない民族問題等が今になって理解し納得できる。

  特に警察官をはじめ 制服を着る人に対しては
   今も なお根強く尾を引いている現状があるのかも知れない。

 


東欧旅行(227) ベオグラード空港

2013-07-18 | 東欧5カ国紀行

 、

  いよいよ帰国となる。

  ベオグラード市街から西に12kmほどの
 国際空港のベオグラード・ニコラ・テスラ空港へ

 空港名は セルビア人電気技師のニコラ・テラスから命名している。

 まだまだ 観光客は少なく どの空港よりも混雑さがない。

 諸手続きも なんなく済み 待ち時間をもてあますほどだった。

 空港の売店に 日本のガイドブックも売られていた

 これらを手に この国の人々が 

  観光等に日本を訪ねてくれればと思うが

 

      
      


東欧旅行(226) ラゲッジチェッカー

2013-07-17 | 東欧5カ国紀行

             

 

  旅行最終日となり 帰国に当たって ガイドから 荷物の重量について 

  「トランクの重量は 24kg以内にしてください!」 と注意があった。

  ツアー仲間は さあ~大変 土産でいっぱいの自分の荷物が 
  いか程の重量になっているか分からない。


  当方が ”ラゲッジチェッカー”を持ち合わせていて
  貸してあげたら大変な喜びようで 
仲間同士のトランクの重量を
  平均化し 重量調整をしていた。
 

  こいう物もあると便利ですね! 

  しかし 搭乗手続きで 実際のところ オーバーしていた
  仲間もいたようだが
  連れ合いと二人で
  足して48kg以内であればOKのようだったが

 

 


東欧旅行(225) オブジェ

2013-07-16 | 東欧5カ国紀行

 

 

 日本は 例年よりも早く 梅雨明けになり 猛暑が続く。

 宿泊先の近くの通り端に 写真のようなオブジェを見る。

 夏の暑さには 子供達に喜ばれそうですね。

 因みに ベオグラードは温厚な大陸性気候で 平均気温は11.7度だが
 30度を越える日は30日ほどあるそうだ。 

 前回 偶像崇拝について話題にしたが

 思えば いままで いろいろな都市に行ったが
 公園や街角には犬や猫の姿がかならずいたものだ。

 しかし 
ここ市内では全然見かけなかった。 
 犬猫の放し飼い等も禁止されてでもいるのかな。

 


東欧旅行(224) マネキン

2013-07-15 | 東欧5カ国紀行

 

            右のマネキンは上半身だが 顔がついていなければよいとも 

 

   ベオグラードで宿泊したホテルの周辺を散歩する中で
  商店にマネキンが飾られていた。

  セルビアでは 三つの宗教があるが その一つ イスラム教では
  偶像崇拝がタブーとなっている。
 

  人形はおろか絵にも厳しく マネキンなどの人の形をしたものは禁止という。

  そのためか下半身のマネキンということのようだ。

  別に マネキンを崇拝するわけでもないのに 我々には少々理解できない。

  先日ニュースでは エジプトでもマネキンは禁止とされ
  デモの一つの理由になっているとも。



東欧旅行(223) VIP

2013-07-14 | 東欧5カ国紀行

 

                 サイレンを流しながら先導するパトカーに続く

  前回 サッカーワルドカップ予選で 警備のことを話題にしたが

  そのことで 我々ツアー一行は 地元警察からVIP並みの警護を受けた。 

  聖サヴァ大聖堂の見学を終え 宿泊先に向かおうとしたのだが 
  この周辺を警備にあたっていた警察官が このバスが
  外国人である日本人が乗り 
しかも試合の行なわれる
  スタジアム周辺を通過するとのことで

  本部と連絡をとり パトカーを手配してくれたのだ。 

  サイレンを鳴らしながら 先導するパトカーの後ろに
  ツアーバスが市内を疾走する。

  沿道の人々は何事か?と振り返る。 ほんのひとときVIP気分を・・・

  こんなバツアーは今までも無かったし これからもないであろう! 

 


東欧旅行(222) FIFAワールドカップ予選 

2013-07-13 | 東欧5カ国紀行

 

  

  我々が ベオグラードを訪れた日は 丁度
  2014年FIFAワールドカップ ブラジル大会・ヨーロッパ予選の
  セルビア 対 ベルギー戦が 市内の レッドスタースタジアム
  で行なわれるということで

  周辺の通りには 警察官が 5mおきに警備にあたっていた。

  試合は ”セルビア  0 対 3  ベルギー” で セリビが負けた。 
  この結果 ベルギーは Aグループ首位に浮上いている。

  しかし これほどの警備が必要なのかは 
  この日と同じ 2010年の10月12日

  イタリア ジェノヴァで行われたイタリアとセルビアの一戦では
  セルビア人サポーターの一部がフェンスによじ登りピッチに
  発炎筒を投げ込むなどしたために
  試合が中止されたことがあったからのようだ。



東欧旅行(221) 連邦宮殿

2013-07-12 | 東欧5カ国紀行

 

 

 車窓から見る ”新市街地”には新しい建物が建ち かつ近代的である。

 旧ユーゴ時代に「連邦宮殿」と呼ばれた国会議事堂が見えた。
 旧ユーゴ時代には必要と思われたこの大きな建物
 ユーゴが崩壊し 各々の国が自立していくことで
 もてあます建物になる。 

 2006年 セリビアからモンテネグロが独立し
 2008年にはセルビアの自治州でありながらコソボが独立を宣言している。

 2009年に セルビアはEUに加盟を申請したが
 EUはコソボとの関係改善が加盟条件とされている。

 そのタイムリミットが今近づいている。

 とういことで ますますセルビアは分割状態になり
 こんな大きな建物は更に必要なくなることに。

 将来は 旧ユーゴ時代の遺産として 世界遺産になるかもしれない。

 


東欧旅行(220) USCEビジネスセンター

2013-07-11 | 東欧5カ国紀行

 
                 高く聳える「USCEビジネスセンター」 手前は「ショッピングセンター」 

  
   ツアーバスは 新市街地をいく。
 全面ガラス張りのモダンなビルが見えてくる。


 しかし このビル 1999年4月21日 NATO軍による
 ミサイルによる空爆により 
炎上し廃墟となってしまった。

 当時 このビルは ミロシェビッチ当時大統領が党首を務める
 旧共産主義者同盟中央委員会が入っていたため
  “ピンポイント” で空爆を受けたようだ。

 現在は 改装され「USCEビジネスセンター」になっている。 

 また この新市街地には 当時 中国大使館があって
 誤爆により被害を受けて 今も破壊されたビルとして残されているとか。

 しかし 当時中国はユーゴスラビアに対し
 影で支援していたともいわれ 誤爆ではなかったのではとも・・・
 

 因みに 現在の日本大使館は この通りの1本南側の通りにある。

 


東欧旅行(219) レオグラード中央駅

2013-07-10 | 東欧5カ国紀行

 

  ベオグラード中央駅」はサバ川の河畔にあって 1884年に開業し

  行き止まりのターミナル駅になっている。
  1888年パリやプラハからベオグラードを通り
  イスタンブルへ行く オリエント急行が開始された。
  
  駅舎は 駅とは思えない東欧の雰囲気の佇まいだが
  ベオグラードの玄関として

  国際列車の発着のみとなっているので旅行客は多いが
  一般市民の利用は少ないようだ。

 


東欧旅行(218) レストラン「?」

2013-07-09 | 東欧5カ国紀行

  
        
             
       パーキング標識の向こうに 「?」のランタンが見える。

   
   「
セルビア正教大聖堂」脇のペータル1世通りに
  
    変わった名の レストラン「?」がある。

       

  
    この建物 ベオグラード旧市街の中でも最も古く

   1823年 ミロシュ・オブレノヴィッチによって 
     貿易相の館とし建てられた。

 
  バルカンスタイルで 
    1階は宿・カフェ 2階は居住用となっていた。
 

  そのカフェの名前は 何度無く変更されてきたが
 1862年に向かいのセルビア大聖堂にちなんで
 「大聖堂のとなり」と名づけたところ 
   聖堂側から “神を冒涜する” といわれ
 
    論争の結果 
    名前を変えることとなったが 適当な名が無いため
 とりあえず  疑問符の「?」としたそうで
 その名が、現在まで続いているとのこと。


 このレストラン 
   共産主義時代に国営になっている。

 しかし 2005年民営化しようとしたが 
 
市民団体の強い反対で中止されたそうだ。

 

 


東欧旅行(217) セルビア正教大聖堂

2013-07-08 | 東欧5カ国紀行

          

 

   前回 「聖サヴァ大聖堂」の話題でしたので 
  ベオグラードでもう一つ見学した「セルビア正教大聖堂」を

  この聖堂は カレメグダン公園の近くにある。

  セルビア正教の総本山で トルコ占領時代の教会建設禁止令が緩んだ際
  1840年に完成している。

  ネオゴシック様式にバロック建築の要素が取り入れられ
  ひときわ目立つ鐘楼は 表面が金で被われ
  セルビア公国の紋章が取り付けられている。

   壁に埋め込まれた「イコン」が印象的に残る。

  また この聖堂の真前には 「セルビア総主教座」がある。
  ここ周辺地域の発展は 旧市内でも最も古く中世時代から
  このベオグラードが発展していったところでもある。

     
              セルビア総主教座


 

   
 

 


東欧旅行(216) 聖サヴァ正教教会

2013-07-07 | 東欧5カ国紀行

 

 

   市内見学も すっかり夜になってしまった。

  今日 最後の見学 ブラチャル丘に そびえる「聖サヴァ正教教会」へ

  聖サヴァ正教教会は 世界最大規模の東方正教会の一つで
  東西92m 南北82m 高さ82mもある。
  ライトアップされ その存在に圧倒されるようだ。

  外観は イスタンブルのアヤソフィアに似ているようにも見える。

  1985年  教会の建設が始ったが 第2次世界大戦
  共産主義政権 旧ユーゴ紛争等と
工事が何度か中断され
  2003年にやっと外装は完成したが

  内部の装飾等の作業は バルセロナのサグラダ・ファミリア
  のように 現在も続いている。
  完成すれば 収容人数1万5000人のセルビア正教の総本山となり
  また「世界最大の正教寺院」になるとのこと。

  因みに セルビア正教会の創始者である 聖サヴァは
  1174年にセルビア王朝ネマニッチの設立者の三男
  ラストコ・ネマニッチとして生まれた。

  その生涯を修道士として過ごし(“サヴァ”は洗礼名)
  “啓蒙師、サヴァ”として セルビア人から崇められ
  学問の守護神としても知られているそうだ。