あかない日記

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カンボジア紀行(10) ホテル(ツアー2日目)

2014-05-31 | カンボジア紀行



ツアー2日目の宿泊は カンボジア・シェムリアップの

パシフィック・ホテル・シェムリアップ」 

空港からの国道6号線沿 市街地の一番手前にあり どっしりとした重厚感が漂い

 客室は 全236室あって 我々の部屋は 広々としてフローリングで高級感があった。


 敷地も広く 中庭には塩水プールもある。

ここで明日と”連泊”になるが 明日は早朝に 

アンコールワットの”朝日観賞”のスケジュールが組み込まれている。

 早々に床へ

 


カンボジア紀行(9) 夕食

2014-05-30 | カンボジア紀行

 

ツアー2日目の夕食は シェムリアップ市内のレストラン「トロピカル

カンボジアまで来て 店の名に反して 何と中華料理でした。

  
ターンテーブル2卓の席に着く 食事の途中 参加者の自己紹介があり 

本日 誕生日を迎えられた方がおられ 皆でハッピーバスディを唄って祝し

 添乗員からは 後ほどプレゼントがあった由。

旅先で 自分の誕生日に ツアー仲間から祝ってもらうなんて 素敵ですね!

 

 


カンボジア紀行(8) 政党

2014-05-29 | カンボジア紀行






















シムリアップ市内にある
「カンボジア人民党」オフィス

 
ここで カンボジアの政党の話題を

カンボジアにおける主要政党は
1979年から1991年にかけて

続いた”カンボジア紛争”の当事者である
カンボジア人民共和国(人民革命党)と

ポル・ポト派を主体とする
民主カンボジア連合政府に参加していた

勢力(クメール人民民族解放戦線
・フンシンペック)の流れを

汲んでおり 紛争当時の
親越(人民革命党→人民党)と

反越(サムランシー党
・フンシンペック→
カンボジア救国党)」の

対立構図が そのまま
現在まで持ち越されている。



2013年の総選挙では、
人民党が過半数を維持したが

、サム・ランシー党と人権党が
合同して発足した
「カンボジア救国党」も

改選時の倍増に近い
議席を躍進した。

   
◆カンボジア人民党は
 1979年に再建された
  カンボジア人民革命党
(1991年10月に
現党名に改称)を
 前身とする政党。

◆フンシンベックは
 正式名称「独立・中立・平和
 ・協力のカンボジアのための
 「
民族統一戦線」。 
 1981年に結成され 
   民主カンボジア連合政府
(3派連合政府)の
一翼を担った。

 


カンボジア紀行(7) カンボジア国旗・国歌

2014-05-28 | カンボジア紀行

                  

  

カンボジアに入国しましたので カンビジアの概要を

国旗は 上から 青・赤・青が用いられ

中央に白いアンコール・ワットを表したものになっている。

現行の国旗は、1993年の王政復興の際に制定されたもので

青=王権 赤=国家 白=仏教徒 を表している。


 カンボジアの国歌は 「王国」。

この曲は カンボジアの民謡を元に 1941年に国歌に制定され

194年のフランスからの独立時に改めて独立国の国歌に採用された。


歌詞は三部構成 第一部 カンボジア国王を

 第二部 古代カンボジアの宮殿の美しさを

第三部 仏教を信奉するカンボジア人を褒め称えている。


しかし この国歌 いくつかの変遷を経ている。


         1970年 シアヌーク国王がクーデターによって追放時には この国歌も廃止。
1975年 クメール・ルージュの政権時は この国歌は復活したが
翌年には 他の曲に置き換えられた。
          1993年 王党派であるフンシンベック党の政権時には またこの国歌は復活した。

 

 

 


カンボジア紀行(6) シムリアップ

2014-05-27 | カンボジア紀行

シェムリアップ市内をゆったり流れる「シェムリアップ川」



世界遺産 アンコール遺跡群の観光拠点 ここ「シェムリアップ」

 カンボジアのシェムリアップ州の州都で人口20万人弱。

首都プノンペンからは 北西250kmにあって 首都に次ぐ都市。 

シェムリアップ川岸に広がる 市街地には6万人の住民がいる。


カンボジアの他の多くの町と同じく 

いくつもの“ワット”(寺院と僧坊)の周りに発展した村が

ひとまとまりになって発展してできた町で 

“シェムリアップ”とは 『シャム(現在の隣国タイ)を追い出す』という意味。


 17世紀に当時のクメール人(カンボジア人)が

シャムのアユタヤ王朝の軍隊に勝利したことに由来するという。

町は 観光が主で 世界遺産を保有することから 

多くの観光客が訪れているが 高層ビル的な建物はない。

それは アンコール・ワットの中央祠堂(高さ65m)よりも高い

建物の建設が規制されていることによる。

 

 


カンボジア紀行(5) カンボジア王国

2014-05-26 | カンボジア紀行

                                          

 

カンボジア王国(通称カンボジア)は インドシナ半島に位置し

 近世においては フランスの植民地であり

 1993年 いままでの他国からの支配からのがれ

 現体制の立憲君主制国歌を確立した。

特に当時 国連の『カンボジア暫定統治機構』代表として

日本人の明石康氏が 大きく貢献している。

その国境として 東にベトナム 西にタイ 北にラオスに接し

 南は南シナ海に面している。  
首都はプノンペン。

国土の面積は18万余km2で日本の約半分 人口約1338万人 


国民の90%以上がクメール語(カンボジア語)を話し 


仏教を奉ずるクメー人である。

気候は 亜熱帯モンスーンで 乾季と雨季に分けられる。

日本との時差は 2時間遅れ。


通貨単位は 「リエル」だが 旅行中 ドルが使えるので

両替することがなくお目にかからなかった。

 


カンボジア紀行(4) シムリアップ空港

2014-05-25 | カンボジア紀行

 

約1時間のフライト 機内でカンボジアへの「入出カード」と「税関申告書」を書き終わらぬ内  

 アンコールワットの南西に位置する 「シェムリアップ国際空港」に到着する。

 遺跡保護のため 原則的に南西側滑走路から着陸し

 離陸は 北東側滑走路を使用しているそうだ。


また 田園の中 こじんまりとしており タラップから降りて

自分の足で 眼の前にある赤い屋根のターミナルへ。


ターンテーブルも 2機しかないが 荷物の受け取りはスムーズにいく。

 
ホーチミンでは 40人乗りの大型バスであったが

 玄関前には ツアー用の20人乗りのマイクロバスが待機していた。

こちらでも大型バスに 18名がゆったりと 乗車できるものと思っていたが

あてが外れた。

なお ここシムリアップでは 大型バスの運行は 

遺跡への影響等が考慮されて 大はばに制限されているようだ。

 


カンボジア紀行(3) カンボジア航空

2014-05-24 | カンボジア紀行

 

搭乗する カンボジア・アンコール航空は 2009年7月 

カンボジア政府(51%)と ベトナム航空(49%)の出資により 設立されている。


そのため 一部の便は ベトナム航空と共同運航をしている。

 しかし 保有機7機と 直行便も ベトナム 中国 タイとシンガポールと まだ本数が少ない。


機体の色は ”江戸紫”を表しているようで 当方は好むが

 垂直尾翼のマークは アンコールワットとアンコールワットの

レリーフにある鳥の翼を表しているとのこと。 

だが “変なもの”を 連想するようで 少々気にかかりますね?

 


カンボジア紀行(2) ビザ

2014-05-23 | カンボジア紀行

 

今回のツアーは カンボジアの“ビザ”が必要になる旨

 事前に旅行会社から案内があり

 その申請には 旅行会社に代行する場合と

旅行者自身が申請する 二通りある。

 
代行の場合は 手数料が一人あたり高額になること

 また ビザの取得は 初めてのことから 自分でやることにした。

 
ということで 旅行日の1月半前 東京・赤坂にある

「カンボジア大使館」に 家人と出向き 手続きをとる。 

そのビザの発行は 受付日の翌々日の午後になることであったが

 別途払えば 即日交付とすると告げられ 

それに応じて ビザを添付されたパスポート受け取る。

二度手間が省け ラッキー!

 

 

 

 

 

 

 

 


カンボジア紀行(1) カンボジアへ

2014-05-22 | カンボジア紀行

                                     ホーチミン・タンソンニャット空港の3Fロビー

 

今回の「アンコールワットとベトナム」のツアーの

2日目 午前中 ホーチミン市内 一通りの見学を終え

 午後  ベトナムから
 カンボジア・シムリアップへ向け 

再び 昨日到着した ホーチミン・タンソソニャット空港へ

 
一連の出国手続きが順調に終え 出発予定の時刻までには

まだ間があるため 3階ロビーで時間を潰すことにした。


 
今回ツアーの方々と談笑するうちに 住所等から話題が共通し

 時間の経つのも忘れるほどだった

 


ベトナム紀行(76) フォー

2014-05-21 | ベトナム紀行

 

  

ツアー2日目 ホーチミンでの 昼食は ベトナム名物麺「フォー

場所は ドンコイ通り 人気店「フォー24

この店の名の“24”は24時間以上煮込んで作られる

コクのあるスープに由来しているとか。

フォーは米麺で レア牛肉入りフォー・ポー・タイと 鶏肉入りフォー・ガー が人気。
 
 フォーには 香草と野菜を適当にちぎって入れて 

また 決して音を立てたり 碗に口をつけないのだと説明がある。

 家人は鶏肉 当方は牛肉を食したが 

日本のラーメンのような癖のない さっぱりした味で 完食でした。

 


ベトナム紀行(75) ベトナム人民軍

2014-05-20 | ベトナム紀行

 

幹線路「ナムキーコイギア通り」のタンソンニャット国際空港近くに

「ベトナム人民軍
」の施設を見る。


1944年12月22日 日本やフランスの支配下から解放されるために

「ベトナム解放軍部隊」が作られた。


後に「ベトナム解放軍宣伝隊」と改名し 

1950年に現在の名称の「ベトナム人民軍」になった。


今年は 創設70周年になる。


トナム人民軍」は、ベトナム社会主義共和国の国防を担当する軍事組織。

事実上国の正規軍とみなされているが 

中国人民解放軍と同様 共産党が指揮する「党軍」という側面もある。

憲法上は国家主席だが 事実上、共産党総書記をトップとする等

中央軍事委員会が最高意思決定機関となっている。


人民軍は、陸軍、海軍、空軍で かつては総兵力170万の大軍であったが

カンボジアやラオスから撤退 軍縮を進めて 現在は約48万人強。

ベトナムは「全民国防」を軍事政策の基本と 徴兵制を導入している。

海軍(3年)など一部を除き 期間は2年。

 ベトナム社会主義共和国のときは 中ソ論争では中立を
 
ベトナム戦争時は中国とソ連の支援を受けた。


ベトナム戦争終了後 右派ミャオ族に対して民族浄化を行ったラオス内戦。


1979年 中国と対立してた中越戦争。


1984年 国境地帯で中国人民解放軍と衝突を繰り返した中越国境紛争。


1990年代は 中国と和解し 未確定となっていた陸上やトンキン湾の境界を定めた。


 現在 未確定の南・西沙諸島の領有権をめぐって 依然対立して

暴動まで起こっている。 この先どうなるか・・・

 


ベトナム紀行(74) ハチハチ

2014-05-19 | ベトナム紀行

 

 

タンソンニャット国際空港とホーチミン市街とを結ぶ幹線路「ナムキーコイギア通り」

統一鉄道の踏み切り脇に 「Hachi Hachi」を見る。 


看板を良く見ると 「ジャパニーズショップ ハチハチ」とマーク “蜂”が書かれてある。

 調べたら 2007年にオープンした25000ドン(約185円)均一の店であるが

 
なぜ「ハチ・ハチ」なのかわ分からない。


しかし 1品185円なので 日本の百円ショップよりは高いが

ホーチミンでは買えない またはスーパーに有っても割高になっている日本の和・用食器

 
台所用品 文房具、雑貨、洗剤など日用品をそろえているようだ。
 

 近年ベトナムでは 日本の品物は人気があり 日本の名を看板に 

中国製のものを混ぜて売っている店も多いので注意が必要とのこと。



ベトナム紀行(73) 踏切

2014-05-18 | ベトナム紀行


   サイゴン駅方面を望む


タンソンニャット国際空港とホーチミン市街とを結ぶ幹線路「ナムキーコイギア通り」


統一鉄道の踏切に差し掛かる。 


民家の軒下すれすれに ここを列車が走るのかと思うと ぞっとするが。



道路上の遮断機は 設置されてはいるが 

 
摩訶不思議 線路上にも「SOTP」の遮断機 またその奥には 「右折」の標識がある?


察するに 列車に対する標識ではなく 線路の両脇は民家が軒を並べていることから
 
この線路自体が “生活道路化” していて


その通行のためのもの また日に数本しか走らない列車ならば・・・ あり得ると思われるが。


因みに 統一鉄道は ベトナムの国鉄で ホーチミンからハノイの区間 1726km におよび

その所要時間は 約30時間 とのこと。 

 

 


ベトナム紀行(72) 永厳寺

2014-05-17 | ベトナム紀行



タンソンニャット国際空港とホーチミン市街とを結ぶ

幹線路「ナムキーコイギア通り」に


永厳寺」(ヴィンギエム寺)がある。

 
この寺 日本とのかかわりが深く 

日本の仏教系大学で9年間の研究活動を終えた僧侶二名によって


1964~ 71年にかけて建立されており 日本文化の影響がでている。


境内 8000m2に 高さ40mの七重の塔が聳え 

仏陀 釈迦如来 普賢菩薩 文殊菩薩 などが祀られている。


ベトナムの恒久平和を祈って1968年に日本から寄贈された「平和の鐘」には

 日本語で「日本の佛子こぞりて捧げたる。平和の鐘はベトナムに鳴る」と彫られている。


また この永厳寺の分院としてブンタウに「永厳禅院」があり

 前述の平和の鐘の寄贈にもくわり活動されていた

日本人僧侶吉岡棟一(福島市・圓通寺)の尽力もあって

66~75年にかけて建立されている。