あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポーランド 152 帰国

2018-09-20 | ポーランド紀行

 

帰途の搭乗機は 

 成田まで1239マイル あと2時間余となる。

日本地図もこのようにして見ると 

某国にとっては目の前の壁とも思われるだろう・・・・

 

 

 
着陸態勢に入る。 

眼下には「鹿島サッカースタジアム」が見える
 今回サッカーの話題も多く触れることができた。

 

 予定通り成田空港に着陸
全行程を終了し 荷物を受け取り散会となる。 

  今回のツアー 前半は少々天候に恵まれなかったが
 5か国を訪問し それぞれ歴史ある地区を訪れ

その美しさが そんなマイナスも打ち消してくれた。
また船と列車と変化にとんだ行程を楽しめた。 

  

世界遺産は 7か所 
特に第2次世界大戦関連の遺産等に
触れることができたことは

今までの旅行とは違い “負の遺産” 側から見て
考えさせられ 印象深い旅行となった。

 

 * * * * * * * * * * * *

  この紀行も これをもって終了いたします。

   長き間 ご訪問いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


ポーランド 151 教習車

2018-09-19 | ポーランド紀行

 

ワルシャワの近郊で 

「L」のマークを屋根に乗せた車を見る。

これは何かとガイドに尋ねると

ガイドもわからず ガイドが運転手に聞いたところ

運転教習中の車とのことであった。

因みに教習車は「スズキ」でした。

 

 

しばらく行くとその教習所の事務所「AOUTO KURSY」があった。

ポーランドでは いきなり路上でのスタートのため

日本のように所内で練習してから公道へ出ていかない。

そのため教習コースを設けることなく 

自動車教習所は一般店舗のような構えになっている。

  


ポーランド 150 高速道路事故

2018-09-18 | ポーランド紀行

 

 

先に ポーランドの高速道路事情に触れたが

帰国して 2018年5月9日  -

ポーランド北部グラボシェボの高速道路で

液体状のチョコレート12トンを運搬していた

タンクローリーが交通障壁に衝突して横転

粘り気のある中身が流れ出で

車線双方をチョコでコーテイングされてしまい

 道路は清掃のため12時間閉鎖される

事態となったとのTVニュースがあった。

 こぼれ出たチョコの除去は油より難しく

加圧した温水を使って徐々に行ったが


一部ではチョコが分厚く固まり

重機ですくい上げなければならなかった。

消防隊員は「固まってしまったチョコレートを取り除くことは

火を消火するより難しかった」と。 

タンクローリーの運転手は腕を骨折し

病院に搬送された。 ほかにけが人はいなかった。


 

  
こちらはお土産に買い求めた 
ポーランド名物のチョコレート
「プタシェ ムレチュコ」

流れ出たチョコレート」は 
これの幾つ分になるだろうか・・・。

 

 

 

 

 

 


ポーランド 149 高速道路

2018-09-17 | ポーランド紀行

 

 

ツアーも最終 帰途 

高速道路をワルシャワに向けて走る。

 

ここのポーランドの高速道路には

高速道路(アウトストラーダ)」と

準高速道路(エクスプレスフカ)」の2種があり

どちらも原則として通行料は無料で、

一部区間のみ有料になっている。


アウトストラーダが国内主要都市間および周辺諸国とを結び

エクスプレスフカがその支線としての役割を担っている。

整備計画は 2012年のUFFA欧州選手権の開催で

大きく進められ重要都市間が結ばれたが

現在も進行中である。

 

 

   ポーランドの高速道路 (web資料から)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 148 ラジオ局

2018-09-16 | ポーランド紀行

 

 

修道院内のこちらの建物の入り口に
「ARSENAL(兵器庫)とあったが

その脇の階段上の入り口には
「Radio Jasna Gora(ラジオ ヤスナ・ゴラ)」とある。

ヤスナ・ゴラ修道院の情報に
特化したカトリックのラジオ局だ。

この壁にも パウロ二世の肖像も飾られている。

このように 世界中には
「クリスチャン・ラジオ」「バイブル・ラジオ」と呼ばれ
バチカン放送協をはじめ数え切れないほどの
宗教関係放送局があるそうだ。


この局は 1995年3月25日に開局している。

ラジオ番組は UKF-FM 100.6MHz波とインターネット経由で
毎日聴くことができる。

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 147 第二の悲劇  

2018-09-15 | ポーランド紀行

 

 

聖堂入口脇に
ポーランド空軍機墜落事故の慰霊碑があった。

 

この飛行機事故は 2010年4月10日
 「カチンの森事件70周年追悼式典」に
出席するため現地にむかった
 ポーランドのカチンスキ大統領が乗った航空機が
ロシア西部スモレンスク北空港に向け
着陸進入中に墜落してしまった


この事故で ポーランドのレフ・カチンスキ大統領夫妻をはじめ
同国の政府と軍の要人を含む乗員乗客 96名全員が死亡した。

 

この事故は 「カチンの森」の第二の悲劇となった。
政府要人たち一堂が同じ飛行機を利用したのだろうか?
 他の国では考えられないことだ!

 

「カチンの森事件」については
「クラクフ 85 十字架(7/14)」で触れている。

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 146 騎士のホール   

2018-09-14 | ポーランド紀行

 

 

騎士団の旗が掲げられた騎士のホール(2階)へ

 ポーランド王が黒いマリアを僧院に捧げる場面や
修道院が襲われ修道士が殺される場面を描いた画もある。

 

その後 博物館を見学。
1382年の年号の入った本
ポーランドで最初の印刷された
ポーランド語とラテン語で書かれた本や

バロック音楽の楽器も並び

また有名人や巡礼者から奉納された指輪など貴金属
10年かけて1人で作った2万個の
真珠を使った刺繍なども展示されている。




 

   東京カテドラル教会から寄進されたタペストリ

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 145 カラス   

2018-09-13 | ポーランド紀行

 

 

聖堂内の入り口の上に 
”パンをくわえたカラス”が
木の上に止まっているレリーフがあり

その下には洞窟の前で聖パウロと
聖アントニウスが抱きあっている。


これは カトリック教会に伝わる聖人カレンダー
 9月2日に登場する「カラスのパン」の場面。


228-341年ごろの話で 

 パウロは エジプトのデバイスに生まれた。
ローマ皇帝デキウスの迫害下に
異教徒である姉の夫の密告を逃れるため
荒れ野に身を隠した。


パウロは洞くつの中で祈りと苦行の生活を送り
60年もの間、誰にも会うことがなかった。

その間 彼のもとに毎日
一羽のカラスがパンを運んだという。


113歳になったときに 修道生活の父と呼ばれる
聖アントニウスから見つけ出されたといわれている。

このように ヤスナ・グラ修道院では
“カラス” が崇められている。

 

    正門口の広場にもあるモザイクのカラス

 

カラスといえば 
日本サッカーチームのシンボルマークとして
“ヤタガラス” が採用されており

今回のW杯ロシア大会でも 「勝利に輝く」 
「ボールをゴールに導く」神様として
ご利益があったのでは・・・。

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 144 コペル神父   

2018-09-12 | ポーランド紀行

  

ここ修道院でもコルベ神父の関係を知る。


コルベ神父については 
先にアウシュビッツ収容所123(8月21日)触れているが

ヨハネ・パウロ2世から聖人に列せられ

「アウシュビッツの聖者」と讃えられて

ここヤスナ・グラ修道院にも祭壇が設けられていた。

 

コペル神父は 反ナチスとの理由で捕らえられ
アウシュビッツ強制収容所に入れられた。

餓死刑を宣告された男性の身代わりになって
自ら餓死刑を受けて命を絶ち その男性を助けた。

1941年8月14日享年47歳。
 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 143 松葉杖   

2018-09-11 | ポーランド紀行

 

 

聖堂内の壁に沢山の松葉杖が飾られている。

 

1655年 スウェーデン軍はワルシャワ
 クラクフを占領し チェンストホーヴァも攻撃したが

ヤスナグラ修道院がある
チェンストホーヴァは占領できなかった。

これは 黒いマリア様の加護により 
街が守られた奇跡として ポーランド全土に広まる。

その奇跡のマドンナ のことを知った
足に障害を持つ人々が
ヤスナグラ修道院へ 巡礼に訪れるようになり
 祈りを捧げるうちに障害の足が 次第に癒され
 帰るときには松葉杖は不用となり
 その証拠として置いていったものだという。

しかしながら 先に見てきた
アウシュビッツ(5号棟「犯罪証拠」8月14日)でも
松葉杖や義足を見てきたが 

こちらは「生かされた証」 
一方は「強引に命を奪われた証」。

同じ松葉杖でも 
人間世界で繰り広げられる有様・・・

何とも言えない気持ちなる。

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 142 ヤスナ・グラの聖母   

2018-09-10 | ポーランド紀行

 

縦121.8×横81,3cm

 

聖堂の「黒いマリア」はよく見られなかったが
 騎士のホールには複製画飾られていた。

黒いマドンナの正式名称は「ヤスナ・グラの聖母」。

1382年 イコンはヤスナ・グラ修道院を建てた
オポーレ公ヴワディスワフによって
エレサレムからチェンストホヴァに到着し
この修道院に安置された。

顔には2本の傷跡がついているが 
これはモンゴル人がこの黒いマドンナを盗もうとした時に
黒いマドンナが突然重たくなり
盗めなかった腹いせに切りつけたという。


またマドンナの顔が暗いのは


「糸杉という黒っぽい木の板に描かれたから」
「コンスタンティノープルに置かれていた時に火災があって黒くなった」
「灯明の煤で黒くなった」等 諸説あるが


それで「黒い聖母」の異名があり
 一般にはこの呼び名で呼ばれている。

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 141 衣装   

2018-09-09 | ポーランド紀行

 

 

「黒マリア」が纏う衣装はなんと8種類もあって

顔や手の部分をのぞいて

上から装飾的な“衣装”をかぶせることができ

機会ごとに衣装替えするそうだ。

修道院内に博物館があり

世界中から寄贈されたカトリックの装飾品とともに


その一部が展示されている。


当然に抱かれているキリストの衣装も衣替えしている。


今年のマリアの衣装は琥珀色でした。



正門壁に掲げられていた画のマリアの衣装が正式のようです。

 

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 140 「黒いマリア」   

2018-09-08 | ポーランド紀行

 


額の銀の覆いが開かれ 黒いマドンナ姿をみせる。

    

正午のミサが直前とのことで 急ぎ聖堂内に案内される。

ミサの邪魔にならないように祭壇脇を通り裏側を抜ける。

 

トランペットのファンファーレが聖堂内鳴り響き
祭壇中央の額の銀色の覆いがせりあがり 
金色の衣装をまとい少々うつむき加減の
「黒いマリアのイコン」が現れた。

左腕には幼児イエスが抱かれている。


イコンは1384年にパウロ神学者たちが寄進。

聖母を拝めば禁煙の誓いが叶えられたり
目が見えるようになったり

病が治るなどと口コミで広がり
国民の篤い信仰を集めるようになった。

 

 

 

                         一心に聖母に祈りを捧げる人々

 





 ミサが終わり再び額には銀の幕が下りた。

 


ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 139 ヨハネ・パウロ2世門   

2018-09-07 | ポーランド紀行

 

 

 

参道から門をくぐって院内に入るが 
この門はポ ーランド出身の 第264代教皇
 ヨハネ パウロ2世(1920-2005)の名が冠されている。

ヨハネ パウロ2世は 法王に就任したとき
 バチカン内のプライヴェート・チャペルに飾ったのが
ヤスナ・グラの「黒い聖母」の画であった。


それでも 即位直後は 
第二バチカン公会議の方針を慎重に守り
中立的な立場をとり 
マリアへの信仰を表に出さなかった。

1981年 法王がバチカンのサン・ピエトロ広場で
テロリストにより狙撃され
臨終者のために行う終油の秘蹟まで
施されたほどの重体であったが
奇蹟的に一命をとりとめた。

自分が助かったのは 発射された弾丸に手を添えて
弾道を変えてくれた聖母のご加護であると確信
した
ヨハネ・パウロ2世は 2年後にヤスナ・グラ修道院に赴き
「マリアよ 私のすべてはあなたのものです。」
との金言をもって 自分の司牧的使命を委ねている。

これ以降祈りを公表している。



ポーランド・ヤスナ・グラ修道院 138 参道  

2018-09-06 | ポーランド紀行

 


駐車場から修道院に向かう。


かつて要塞でもあった修道院は

城壁に囲まれているが いくつかの門がある。

その参道の両側には世界中から巡礼者が来るので

世界各国の国旗がたなびいている。

日本の旗も見える。

そして正面には

高さ105mもある修道院の塔も迎えている。