あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

リトアニア・カウナス 31 カウナス市

2018-03-31 | バルト三国紀行

 

 

首都ヴィリニュスから 西北約100km
リトアニア第2の都市「カウナス」へ。

リトアニアのほぼ中央,
ネムナス川とネリス川の合流点にあって
周囲が丘陵地に囲まれた三角形の平地の街で
 中世の面影が残るリトアニア第二の都市。


ヴィリニュスが迷路ならば 
カウナスは長い一本道の町と言える。

14世紀の最初の記録に登場する古い町。
15世紀半ばにハンザ同盟の代表部が設けられ、
商業活動の中心地として繁栄した。

旧市街地には この頃の
ゴジック建築が数多く残っている。

カナウスは、2つの大戦間の22年間,
首都ヴィリニュスがポーランドに
占領された時代リトアニアの首都となった。

そのためか、今も首都ヴィリニュスに
対抗する意識が強いそうだ。


人口約36万人の9割余がリトアニア人である。

 

 


リトアニア・ヴィリニュス 30 発電所

2018-03-30 | バルト三国紀行

 

 

ヴィリニュスからカウナスに
向かう途中 火力発電所を見る。


 リトアニアは、平たんな国で水力発電は無理
また石炭や石油も産出していない現状から。

 火力・風力・原子力の発電に頼るようになっている。

 リトアニアには、旧ソビエト連邦時代に造られた
 チェルノブイリと同規模の
「イグナリナ原始力発電所」があった。


 1991年リトアニアは、
EUに加盟することになるのだが

EU側はチェルノブイリの二の舞を恐れ、
この時の加盟条件に

イグナリナ原子力発電所の閉鎖を求めていた。
そのためリトアニアは閉鎖を余儀なくされている。

しかし、現在 電力原確保の為に、
新しい原子力発電所の建設計画が進行中だ。

これには日本の日立製作所が
請負ことになっているという。

 


リトアニア・ヴィリニュス 29 広島の被爆敷石

2018-03-29 | バルト三国紀行

 

 

杉原記念碑の近くに
「広島の被爆敷石」の碑があった。

「1945年8月6日、
米国は広島に原爆を投下した。
その結果、7万人が死亡したほか、
放射能や火傷により6万人が亡くなった。
広島では90パーセント以上の建築物が破損、
あるいは、完全に破壊した。」
と碑文に刻まれている。


日本のNGO組織「ひろしま・祈りの石の会」が、
平和の大切さを伝える重量約50kgの
「祈りの石」をリトアニアに贈呈したものだった。

この活動は、人々の関心を平和と核軍縮に向けさせている。


広島の市電の敷石を再生して作られた「祈りの石」は、
「平和希求のシンボル・メッセンジャー」として、
1991年から世界各国に贈っており、
すでに世界100カ国以上に届けられているそうだ。



リトアニア・ヴィルニュス 28 杉原千畝記念碑

2018-03-28 | バルト三国紀行

 

 

旧市街からネリス川を渡って、
ヴィルニュスのビジネス街へ

22階の高層ホテル「リェトゥヴァ」の前 
ネリス河畔にある公園の一角に
“日本のシンドラー” 
杉原千畝の記念碑があった。

彼の功績は リトアニアでも
高く評価されており、
ここに記念碑や
桜の植樹も行われて、
この公園は 通称『杉原桜公園』と呼ばれている。

 

 

 

記念碑には、杉原の横顔をレリーフにした銅版が、
 右の説明文の上は、杉原の略歴と業績、
中段は杉原が一人ひとりに手書きして
渡したビザ(査証)の原文。
その下はリトアニア語の説明文。


 記念碑は、2001年杉原の母校、
早稲田大学の手により建立された。

 

 


リトアニア・ヴィリニュス 27 テレビ塔

2018-03-27 | バルト三国紀行

 

 

ネリス川の向こうテレビ塔がみえる。

1980年に完成し、高さ326.5mは東ヨーロッパで
最も高い建物の一つになっている。


テレビ塔は観光客に開放されており、
165mの展望台まではエレベーター 45秒で上れる。


展望台は円形になっており
約1時間かけてゆっくりと回り

壮大なパノラマが広がり、
ヴィリニュスの景色を楽しめ
 特に夜景は素晴らしいとのこと。

展望台にはレストランもあるそうだ。

 


リトアニア・ヴィリニュス 26 ネリス川

2018-03-26 | バルト三国紀行

 

 

昼食を終え 旧市内からネリス川に架かる
ミンダウカス橋を渡り 新市街へ向かう。

このネリス川は、
ヴィリニュス旧市街の北側を流れるが、
隣国のベラルーシを源流とし、
リトアニアのカナウスでネマン川と合流して
ロシア連邦カリーニングラード州から
バルト海へと注いでいる。

この川の遊覧船は 10時から20時まで
1時間間隔で運行されている。

料金は、8ユーロ 約1時間のクルーズとのこと。


          


川の堤面に「AS TAVE 💛」
の文字があったが

 リトアニア語で
「私はあなたを愛している!」
の意味だそうだ。

 

 


リトアニア・ヴィリニュス  25 ツェペリナイ

2018-03-25 | バルト三国紀行

 

 

旧市街で 散策中に昼時になり 
ピリエス通りにある雰囲気の良いレストランへ。

リトアニアは農業が盛んで
自然の恵みを食材とした料理が多い。

その代表は 名物「ツェペリナイ」

擦り下ろされ米粒状にされたジャガイモに
包まれた一種の豚肉ミンチ入り蒸し団子に
クリームソースがかけられている。

ツェペリナイの名前は、
形が ツェッペリン飛行船に
似ていることに 由来しているという。

大きくて肉汁たっぷりの 洋風餃子?のようで
ジューシーで 美味しかった。

 

 


ピンク色をしている
“ビーツ”のスープ も添えられている。

なお、ビーツとは
和名で火焔菜(カエンサイ)と呼ばれている

 

 


リトアニア・ヴィリニュス 24 シェークスピア

2018-03-24 | バルト三国紀行

 

 

聖アンナ教会からピリエス通りへ
戻るベルナルディヌ通りの途中、
この入り口をみて 大使館かなと思ったら
「シェークスピア・ブティック」とあり
また “シェークスピア”ともあるので
文芸関係の博物館かと さらに思ったが。

17世紀の貴族の館を改装したホテルだそうだ。


コンセプトのユニークさでは
この街では得意の存在である。

古い面影を残すシックな各部屋は、
シェークスピアを初めトルストイやジョイスなど、
それぞれ文豪の作品がつけられている。

アンティーク本で埋まった本棚も備え付けられていて、
読書好きにはたまらない環境にあるとのこと。

 


リトアニア・ヴィリニュス 23 ウジュピス共和国

2018-03-23 | バルト三国紀行

 

 

写真左奥に見えるヴィリニャ川に
架かる小さな橋を渡るとそこは…


ヴィリニュスの中に存在する小さな共和国
「ウジュピス共和国」があるそうだ。

といっても 架空の共和国。

“ウジュピス”とは「川向う」という意味で
アーティストの多く住み
パリのモンマルトルのような地域。

遊び心から立ち上げた39か条からなる憲法には
 川と犬と猫の権利にまで
言及しているユニークな条文もある。


さらに、この共和国の独立記念日の4月1日は、
検問所が設けられてパスポート?
が必要になるという。

 


リトアニア・ヴィリニュス 22 ミツケヴィッチ

2018-03-22 | バルト三国紀行

 

 

聖アンナ教会の南脇の広場に 銅像が建っている。


ポーランドを代表する国民的派詩人の
アダム・ミツキェヴィチ(1798-1855年)の像。


何故 ここにポーランドの詩人なのか? 

ミツケヴィッチは、元々リトアニア人の家系であった。
また、中世のヴィリニュスは ポーランド領だった。
さらに、リトアニアとポーランドは
連合王国でもあったことから、
リトアニアでも敬意の対象となって、
ヴィリニュス大学の卒業生ということで、

この地にも記念碑が建てられたようだ。

市内にも博物館が置かれ、1998年には
生誕200周年の記念硬貨が発行されている。

 

 (googleから)

ミツケヴィッチが、ヴィリニュス大学に通う間
 下宿した家が
ベルナルディヌ通り11番地 
シェークスピアホテルの斜め前にあった。
入口の上に下宿していたとのプレートもある。

 


リトアニア・ビリニュス 21 聖ベルナルディン教会

2018-03-21 | バルト三国紀行

 

 

「聖アンナ教会」の奥隣(写真右)に接して
赤レンガの「聖ベルナルディン教会」が建っている。
15世紀半ばにビリニュスにやってきた

フランシスコ会の修道僧が、
木造の教会を建てた後、
1490~1516年に煉瓦造の教会と修道院を建てた。

その後、何度も改築されて、
現在の建物は16世紀に改築されたもの。

ソビエト時代には閉鎖されたが、1994年に復活した。

 なお、堂内の主祭壇は
18世紀に造られた木製のもので、

中央には奇跡を起こすとされる
金箔の十字架が掲げられているそうだ。



ファサードのフレスコ画「磔のキリスト」は
1846年に描かれ、

鐘楼は 1872年に建造されている。


 



 


リトアニア・ヴィルニュス 20 聖アンナ教会

2018-03-20 | バルト三国紀行

 

  

聖ミカエル教会のさらに奥 
マイロニオ通りに面して
「聖アンナ教会」がある。

  この教会は 14世紀初頭 
リトアニア大公ヴィタウタス(在位1392-1430)が
妃のアンナのために建立したが、
当初は 木造で 1419年に焼失してしまった。


現在の教会は、1495~1500年に
建てられたゴシック様式の教会で、

33種類の異なった形の レンガが使われている。

透かし細工のような ゴシック独特の尖塔が天に向かい、
赤レンガ造りとマッチして炎が燃えるような
イメージで 躍動感あふれる外観は、
フランボワイアン(火焔式)ゴシック建築の傑作と称されている。

当時のヨーロッパでは
他に例がない建築になっている。

1812年ロシアに攻め上がるナポレオンが
ヴィリニュスに入城した際、

この教会を見て「我が手に収めて
フランスに持ち帰りたい」と語ったともいう

 

 

 



 

 

 

 

 

 


リトアニア・ヴィルニュス 19 聖ミカエル教会

2018-03-19 | バルト三国紀行

 

 

ピリエス通りから路地を東へ 
右手に「聖ミカエル教会」ある。

リトアニア大公国の最高位であった
レオ・サピエカの命により、

一家の廟として1594年から1604年にかけて
建造されたルネッサンス様式の教会。


1655年にはコサックの襲撃を受け
建物の一部は破壊されたが、

その後何度か改修が繰り返され現在に至っている。
内部には大理石の墓標などが残されている。

旧ソ連時代は、
建築博物館として使用されていた。

現在は、教会遺産博物館を兼ねている。

 


リトアニア・ヴィルニュス 18 署名者の家

2018-03-18 | バルト三国紀行

 

 

ピリエス通りを 南から北方面を望む。

ここらは 26番地になるが 
この地は 今日のリトアニア共和国の
出発点となるところでもある。

 写真右手「26」と「SIGNA・・・」の
表示が見えるが 

この建物の2階で、1918年2月16日
リトアニア評議会のメンバー20人が
独立宣言に署名している。


この事実に基づいて、毎年2月16日は
リトアニアの独立記念日として祝い、

また この建物は「署名者の家」と
呼ばれているそうだ。

 

なお、左隣の赤テントの建物は、
ホテル「ナルーティス」で、

16世紀にヴィルニュス大学の
宿泊所として建てられた。

ヴィルニュスで最も由緒ある
ホテルになっている。

(googleから)



(googleから)


リトアニア・ヴィリニュス 17 聖ヨハネ教会

2018-03-17 | バルト三国紀行

 

 

ピリエス通り側から見た
「聖ヨハネ教会」の鐘楼で
高さ68mもあって
旧市街で一番高い建物となっている。

リトアニアが 1387年キリスト教を受け入れた直後の
1426
年に40年以上の歳月をかけて完成している。

1571
年には、イエズス会に与えられ
 ヴィリニュス大学の教会になった。

現在でも大学の一部になっている。

そのため教会の見学は大学見学のチケットを
買わないと直接入ることはできないそうだ。

なお、ヴィリニュス大学は、1579年創立で
中欧の大学では非常に古い一つだそうだ。

1700年以降、ロシア帝国の統治下であった
ヴィリニュスで反露運動の本拠となり,
そのため大学は 88年もの間ロシアに封鎖されていた。

現在は人文系、社会科学、自然科学、医学系等を擁し
学生2万人以上の総合大学になっている。